2010年7月31日土曜日

梅の収穫

今朝は外から冷蔵庫を開けた時のような冷気が流れてきていて、
ベッドルームに移動してこれを打ってます。

昨日は午前二人で友人宅へ行き、ペンキを塗ってもらいました。
家内は最近のネーミングに恥じずコンセントやスイッチなどの電気器具もつけてもらうし、ペンキやレンガ工事は私より仕事が丁寧で巧いですね。(スピードは私ですが、、、汗)

仕事を終わらせて、庭の梅を採りました。
ふれなばおちん、という完熟で杏に負けない色になってます。(実際はさすがにここでも採る時期より遅れてだいぶ落下してましたが)
たったの3kgでしたが、友人が引っ越しの時その庭にあったのを、もらった梅の木を畑の隅にに植えただけで、何も手をかけてないのに毎年実を付けてくれる。有難いことです。
その方の思い出と共に収穫させていただきました。
さてどんな梅干しになるのか、私の玄米焼きおにぎりを豊にしょっぱくしてくれることは間違いないようですが
中国では古来より梅干しを黒焼きにして腹痛の治癒・虫下し・解熱・腸内の消毒の効用を目的に食用よりもむしろ漢方薬として用いたらしいです。
子供の頃お腹をこわしていた時、網の上で真っ赤になるまで焼いた梅干しを火鉢で私の前に置かれた湯飲みの中に投入、ジュン、ジュワーワァーとバラバラになり、この墨のようなしょっぱい飲み物を飲まされた記憶がよみがえって来ました。ホントなんでも薬になるんだなー。謝謝

2010年7月30日金曜日

次の一言

仕事から帰ってきたら

家内「見て、窓。」
私「蛾だね。」
家内「バイキンマン」
私「、、、、、、。」

この後の言葉一つで、明暗をわける事になる。言葉は大切なもの

ラベンダー

ラベンダーが今年も良い香りとともに庭を飾っています。
毎年ラベンダーの花が咲いてくると、ミツバチが蜜を集めに沢山やってきます。
最初のころ草取りに入っていくのに、さされるかもしれないと怖かったのですが、
ミツバチがいてもしょうがないと思い、草取りをしてみたところミツバチは私を敵とは思わない様子、花を摘む時もまったく関係ない様子で蜜を集めているのです。
「あなたも蜜取りにきたの~」という感じで隣に移ってくれるのです。
蜜蜂って温厚なのですね。
摘んだラベンダーはドライフラワーにするために家の中にぶら下げてあります。
香りが家中に広がります。
なんだか家全体が消臭されて、体もデドックスされてる様な感じがします。
今年はお友達にラベンダー水の作り方を教わったのでいろんな事に使えそうです。
ラベンダーを使った手作りリンスの作り方がインターネットにのっていたので、それもチャレンジ~石鹸シャンプーで洗うと、きしむから色々試したけれど、今回ラベンダーの効果がいい感じです。化粧水も作ってみましたがどの様な効果が私におこるのか?
ラベンダーを調べていたらラズベリーリーフのお茶は女性にいいらしいラズベリーの葉っぱにそんな力があるなんて~早速乾かしてお茶にしてみよう~
神様は草や花、木、果物、自然の中に人間の身体や心に良い物を沢山備えて置いてくださっているのですね。いろいろ試してみたい。
楽しみ~☆

Mrs 電気屋

2010年7月29日木曜日

野いちご

昨日、長野市は初の猛暑日となりましたが、(と言うことはここは30度くらい?)
近くでは1cmの大きさの雹も降ったところもあり列車も遅れたらしい。
まあ戸隠でも去年8月雹は降りましたが、あまり気持ちよくないですね。

可燃ゴミを出しに行くと
道ばたには野いちごがあったので帰りに採ってきました。
このままでも十分美味いが、生食なら黄色の木イチゴがうんと好きなので
これは、ジャムにしてもらう。
これの、プチプチ感が好きです。
ラズベリーやブラックベリーも少しはあるが、
やっぱり人の手によらないものはなんだか嬉しい。

色も血のように濃く瓶につめるとキャンディレッドの塗装を施したような美しさ。
これからがシーズンなので、また1週間ほどしたら採れるだろう。
これからはフルーツの時期でもあるので楽しみです。
今朝はこれを頂きます。

2010年7月28日水曜日

BBQ

バーベキューは夏の楽しみだ。

アメリカ、イギリス、プエルトリコ、オーストラリア、スイス、そして日本
正直大勢で集まることは若干トラウマになっているのだが、、。
久しぶりに会う人たちと食事をしながら過ごす時間も小さく集まれば悪くない。
ただ薄着で行ったのは、ミスチョイスで帰る頃は冷えてしまった。
朝も、冷え込みが最近強くなったように感じて網戸を閉める。
夏が終わった感じはまだないが、ゆっくりと下り坂なのだろう。
季節や時間というものは不思議なモノだ。
1年に1度しか会わない人とはあと何度会えるのだろうか。

月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口をとらへて老いをむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂白の思ひやまず。

学校で、覚えさせられましたが、確かにどの様な知識人であっても普通の感覚からすると時間の流れというものは永遠で終わりがないように見える。
人の齢は長くても120年程で、すべてを見極めることは出来ない。
ただ永遠に住まわれる方だけが全てを見通しておられる。

2010年7月27日火曜日

小さな事

写真はあぶくま洞に入る前脇に咲いていた百合に蝶がいたので撮ったものです。
サイズは深山烏揚羽蝶(みやまからすあげはちょう)と同じだが茶系でこれも綺麗です。
SUGARさんが名前を言っていたがごめんなさい忘れました。
母が「ところ かわれば しなかわる」と
新しいモノを見るたびに言っていたことを思い出します。
探検コースを行きました。冒険好きの私にはもうちょっとワイルドでも良いかなと思ったけれどもルートは良く整備されていてそれはそれで楽しめました。
もしまた行くなら
今度はさらに探検になる足場と照明の無いという入水洞窟にしたいなー

良くあることなのですが、その時は気付いてない事に後になって気付かされる時があります。
今回も美しく大きな蝶に目がいっていて、
同じ花にいたのに気付かなかった小さな虫を後で見つけました。
おそらく人生の中でその様なことが沢山あってでも、それでいいんだと思う。
この写真の様に後で振り返ってみたときにこんな所にもいたんだ、と気付かされる。
主はそのようにいつも実に奥ゆかしい。

2010年7月26日月曜日

Mr&Mrs

家内が「どうしてミツバチは刺さないの。」と聞いた。
私が「蜜蜂も刺すけど。」
家内「でもあんなにぶんぶんいる所に入っていって蜜を取っている花でも、ちょっと私にも取らせてねー。ごめんね、あ、これ、悪いけどちょっと横にどいてねー。」
確かにミツバチは凶暴ではないけど刺されると針も残り結構痛いんだけど、と言っておいた。家内の行動は幼子みたいだ。

家内を見ていると面白い、パートナーという言葉は2人で一組ということだが、ベターハーフという言い方もある。私の足りない分を補う半分の人?、日本の伴侶も人の半分と書きますのでほとんど同じでしょうか、意味は、ともに「つれそう」。「侶」という漢字には、人と人とが対(つい)になるという事で英語の両方を2文字で表す感じ(漢字)ですね。
最近まで英語圏のMr.何々さんのミスターは男でMrs(MsやMiss)は女とおもっていたのですが、立場をあらわすものなんだと、例えば自分の名前が「阿部花子」旧姓「山田」で、ご主人の名前が「阿部太郎」であるとき、「花子」さんは、
"I am Mrs. Taro Abe."と言うのが正式で
"I am Mrs. Hanako Abe."ではない!
または "I am Ms. Hanako Yamada." と本人の意思としても使える(ウーマンリブの影響)

最近教えられたことアダムはチリから造られたがエバはそうではない。
そのようにキリスト者はこの地に属する者ではない。
キリスト者はMrs イエス キリストなのだ。

かくして、隣人を自分自身の様に愛せ が自分の力によらず実現する。

2010年7月25日日曜日

ズッキーニー

今年の畑は何だかいい感じです。
トマトも屋根が出来たのでいい感じで実をつけていて
赤くなるのを楽しみにしています。
ここ何年か、ズッキーニーの苗を植えても小さなうちに実の先から腐っていって
数本しか収穫できずちょっと寂しかった。
今年は、デッキの屋根を作るために基礎を作るとき出た土を
主人が畑に入れてくれたところにズッキーニーの苗を植えてみたら調子がよさそう。
うれしい!!

ズッキーニーの時期になると
朝食に輪切りにスライスしたズッキーニーとスライスした玉ねぎと
ベーコンをフライパンにオリーブ油を引いて炒めて
クレージーソルトで味付けしたものに卵を添えてが定番になります。
この食感がたまらないのです。今年初収穫のズッキニーは、今日の夕食の~ズッキニーと挽肉の重ね焼きに~
やっぱり自分の畑で取れた旬のズッキニーを使って料理したものは
、美味しい。
ズッキーニーはまだまだ、この時期食卓を楽しませてくれそうです。

by Mrs電気屋

2010年7月24日土曜日

夏本番

夏本番という天気が続いている。
戸隠に住んでいるから夏はさぞ快適だと思う方も多いと思いますが(快適ですが、、すいません)
人の感覚は相対的なものですので、ここにずっと留まっていると同じように暑く感じます。
また、日中は多分34度とかなるんじゃないかと思います。
ですので時折ダウンタウンに降りて街の暑さを体感して来ると涼しさがわかりやすいです。
家を建てるとき長く住むなら夏はちゃんと汗をかけるほど暑いところを望んでいたのは過去の7年の経験ゆえのもの。
その7年が暑さに嫌悪感だけでなく憧れに近いものを生み出してくれました。
家から見える雪は少しずつ小さくなってきていますが、鹿島槍の上はだいぶだいぶ寒そうに見えました。
夕暮れ時に外で涼んでいたら少し肌寒い感じ。
朝夕の冷え込みは流石だと感心します。
昨日信濃町に行っていたのですが、そこでは店などに入って「今日は暑いねー」というと
「この暑さが1日でも長く続くといいねー」って言葉が返ってきます。
確かに8月の第一週を過ぎると本当に寒くなるのだから、暑さ寒さは終わりの時まで繰り返されるとあります。この時期だからこそすぐまた冬になってあの白一色の耳がキーンと痛くなる寒さを今の暑さと共に楽しんでます。

2010年7月23日金曜日

帰り道

福島の帰りは何となく下道で帰ることにした。
阿武隈→郡山→須賀川→日光街道までは普通だったが、そこから尾瀬脇を抜けて奥只見湖抜けるまでが半端ではない道だった。過去に一度、蔵王まで下道の時かなりの道を経験していたが、それの2倍はあった。ここで何かあっても救急車は来るのか?
電話どころか電気もない道脇には残雪が残り湖は底なしに美しい。
あんなに美しいと私はカヤック浮かべる気にもならないほど。

日本いいじゃない。時間はめちゃくちゃかかったが、
後で地図見たらシルバーライン使えば少しは速いことが判明しかし、それでもすごい!
12時に出てついたのが9時過ぎくらい休憩無し。
しかし喧嘩も眠くすらならずひたすらハンドルを切り続けた、楽しかった。

是非一度バイクで抜けてみたい。ヘロヘロになって到着したとき転がって「あー幸せだ、もうバイクに乗らなくてもいいのだから」と言えること請け合いです。
誰もいないすれ違いも出来るのか、みたいなそんな道には主の香りがする様に
後で感じた(その時は結構必死で、、谷向かいの崖に延々続く道を見ながらこの後あそこ走る、まじかよーって言いながら走っていた)
初めての道だから二人でよかったなー。

ふたりはひとりよりもまさっている。ふたりが労苦すれば、良い報いがあるからだ。

どちらかが倒れるとき、ひとりがその仲間を起こす。倒れても起こす者のいないひとりぼっちの人はかわいそうだ。

また、ふたりがいっしょに寝ると暖かいが、ひとりでは、どうして暖かくなろう。

もしひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。

是非、

またいつか

2010年7月22日木曜日

あぶくま

19日から2泊で福島のSUGARさんの所に行かせていただいた。
写真は屋上からの着いた日の夕日で
この変化する景色に囲まれながら聞き、話、そしてブログで知り合えた方とも電話もさせていただいた。
全国的にも夏らしい3日間であったようだが、あぶくまの木々に囲まれた場所は終始、風がながれていて戸隠から移動した私たちは暑さを覚悟していったのだが、良く眠れ、適度にいただき、静かに会話した。
終始、話の中心はイエスであり、エクレシアなる方で、ある時は2時間以上、回転寿司にいて3人合わせて10皿であってもその言葉に十分満たされた。
もちろん趣味の方向が同じ方とは初めて会ったとしても以前からの知り合いのように過ごす事もあるだろう。
ただ3日ともほとんど一緒に過ごし、
3食とも共にしほとんどの会話の中でそこに吹いていた風と同じく緩やかな話口調で興奮もしないが全く退屈しない。
それは勢いよく燃える薪ではなく深い朱色に夕日の様に少しずつ知らない間に変化していく熾きのようでもあり
それは自然のように静かで、調和があり、そして美しい。
「SUGARさんに会ってどうでした。」「どんな方と思いました。」と聞かれるなら一言でいうなら「啓示は素晴らしい」となるだろうそれしかないのだ。
私たちを贖い、すくいだし、よびだし、召し、みちびき、待ち、働かれ、傍らにいて離れない。
ある時は崩し、たてあげ、雷にうたれたようにし、そよ風のようにささやき、王であるのに忠実な召使いの様に振る舞い、謙遜で礼儀深いのにストーカーの様に付きまとい、ゆりかごの遙か前から墓場の後の永遠まで。
諦めず、飽きさせず、愛し続けられる。

2010年7月19日月曜日

使われなかったモノ

もしあなたが果物とか野菜とかだとしたら
あなたは人からは、捨てられゴミ箱に行きたいですか。
それともよく用いられて食卓に登りたいですか。

うちには生ゴミを入れるゴミ箱が無い。
以前は生ゴミのバケツがあり時期によっては小バエがたかったりいい感じではなかった。
そのバケツにご飯を盛って食べようなどと思いもしない雰囲気があった。
今は写真の様に食事でも使うステンレスボールにためて一杯になると畑に行き、たい肥になる。

「人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。」と書かれてあるように肉の目にはどうしても見えないものがある。
イエスも捨てられた礎の石だった。それも家を建てるプロの目を持っている人が見てこれは使い物にならないとゴミ同然に捨てられた石であった。そこには人が見て魅力的なものは何もない。まだ罪も犯してなかった人から見ても、良く、目に慕わしく、好ましかったものは、いのちを見つけることがなかった。

このあと土に埋められるものの中の、切り株が花みたいに見えた。
それは、この後、畑では次の多くのいのちを実らせることになる。

2010年7月18日日曜日

梅雨あけ

梅雨があけた感じです。
最後はさすが梅雨の終演らしいすごさで浸水や土砂崩れ等の被害もまだ残っています。
その傷や悲しみが癒される事を願います。
長野では隠れる様に住んでいる家が結構あります。みんなでも無いですが、ご先祖が隠れるために山に隠れる様に住んでそこが代々の住まいとなった歴史もあると聞きました。
覆い被さる崖の下などに住む方が安全だった時代があったのです。

龍馬の時代からすると夢のような中に私たちは生きています。脱藩しなくとも自由に移動できます。日本は50年以上戦争をしないという約束を守ってきたお陰で世界中で最も自由に多くの国に住んだり出入り出来る民族になりました。まだ見てない景色と食べたことのない食べ物と会ったことのない人と語らえるチャンスがある。
煙る山並みはこれぞ日本といった風景です。
咲き始めたラベンダーを一束、湯に浮かべて
設定時間を間違え、なみなみを越えてあふれた湯船に入った。
ヒマラヤのピンク塩とブッラクソルトもブレンドして
身を浸す。染み込むように芯から暖まってくる。
すごく豊だと感じた。ただありがたい。
さあ明日は私も行ったことのない所で会ったことのない人と語りますか。

2010年7月17日土曜日

ジャック

3日ほど滋賀の友人のジャックが来ていた。
すごく、いいこで、犬のいる生活は楽しい。
以前はちょっとワイルド系だったのだが、成長したなーって感じ。
こりゃ長いこといても苦にならないわ。

犬をみるとついそこにベルの面影を探してしまう。
臭いを嗅いでみるちょっと濡れた「犬の臭い」なつかしー。
他の方のブログでワンちゃんを見る、そこにも見つける事が出来る。

父も私を見るときにそこにイエスの面影を探すのだろうか。
正直あまり似て無いどころか、似ても似つかぬ現実がある。
だが、希望がある。しかもその希望は失望に終わることがない。
憧れのウルトラマンや仮面ライダーの様に「変身」するのだ!
その変身グッズやアイテムには「十字架」や「空っぽの墓」など少々自虐的なモノが多いのだが、しかし無敵である。死んでも生きるそれはありなのか。
私の内側では私も知らない間に密かにその「改造計画」が着々と進行しているのだ。
私は大胆に言いますが、私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
まさに「信仰」による「進行」! 
肉の目には後退しているように見える事も神の目を借りた「信仰の目」でみたら完了しているのだ勝利者なのだ完成者でもある。

2010年7月16日金曜日

”ルー無しカレー”&”レーズンクルミパンシナモン入り”

今日の夕食は”ルー無しカレー”見た目「うっ!なに?」ですが、食べてみたらちゃんとカレーで美味い、辛みがもう少し欲しかったので辛唐辛子を味噌で和えたのを足して食べると実に美味い、食後にレーズンクルミパンシナモン入りも試食焼きたての香りも口に広がりもう少し食べたい気持ちもあるが、これで歯磨きがいいと思います。途中雨がすごくて嵐のよう雷もすごくて停電もありましたが、こんな時でも吹き回されず濡れない。家ってありがたいですね。
今日のメニューは時々コメントを下さる”りぼん”さんからの情報元で頂きました。
生きているものは、生きているものと様々な情報交換をしながら活性化していきます。
レシピどうも、ありがとうございます。肉もいいですが穀物の出来たての香りって何とも言えない良い香りを放ちますね。
これもキリストの香りだからでしょうか。

2010年7月15日木曜日

肉食系?

このベーコンは、ミズーリで食べた自家製を思い出させてくれて好きです。

年を重ねてきてだいぶ脂っこい食事が減ってきたとはいえ未だ”肉”はご馳走だ。
野菜って「なんでこんなに美味しいの~」と思っても食卓に何日も動物性タンパク質が無いと体が”肉” を食べたがる欲求が増してくる。
なぜ”肉”はうまいのか。

聖書の中では人は、木になる実や、緑の野菜等を食べて生き続けていけるものとして神が造られたとある。
変化があったのはノアの洪水以後で、大きな環境の変化により植物だけ食べるだけでは十分な栄養を取れなくなったからなどという声もあるが。
私は人は肉を食べなくとも生きていけると思う。
ベジタリアンの友人もいる。
多くの肉を食べる人たちより彼らの方が健康的だ。

では何故あなたは肉を食べるのか?と聞かれたら「うまい」「私は食べたい」いう欲求でしかないような気がする。「くったー」という感覚が欲しいのだ。
世界食料危機が叫ばれる今日、植物を食べることを推進しようとする動きもある。
その先には一つだけ危険な思想を生み出す可能性を持つ。
それは「神はまちがったのだ」ということだ。
もちろん神は間違えない、では何故神は肉を食べることを許されたのか。

目には目を、歯には歯をとあるように
命には命で贖うしかない、神の考えがある。それは人にとっても的はずれではない。
ニンジンを切るときに、私たちはどれほどの罪悪感を覚えるだろうか。
でも生きた動物を切るときは、どんな気持ちになるだろうか。
私は家で飼っていたニワトリ程度しか捌いた事がない。
人はどの様な事であっても繰り返すとなれるものだが、それでもネギは逃げないし叫ばない暴れることも血を流すこともない。中には殺人鬼と呼ばれるそれらに快を持つ人もいるかも知れないが、それとて刺激が強いからこそで植物では刺激の強いタマネギを切ることに快感を覚えることは無い。

コミニオン(聖餐式)という儀式がある。
そこでは酵母で膨らませてない麦をつぶし焼いたパンを食べ葡萄酒を飲む
それは一粒の麦として来られたイエスの体と血だという。

肉を食べない理由には様々あるインド人は牛が聖なるものだから食べなかったし、日本人は4つ足で汚れたものだから食べなかった。大事な事は肉が野菜がという問題ではなく
人が救われる為にはイエスの体が捧げられる必要があったという事。
私的には「油ののった肉を食べたい」そう思うとき霊的には「油注がれたイエスを食べたい」なのだ。そんなことも考えながら食べるベーコンは一層有り難い。

追記です。昨日のブログでアザミにクモいるんだよと拡大してみせたら家内は爆笑でした。
「顔無し?と思ったら志村さんだったのね」

2010年7月14日水曜日

アザミ

梅雨あけが近づくほどに、雨も激しい時が多くなります。

雨にうたれながらもアザミが花を咲かせています。
ここらではアザミは食べるからか刈り取られずにいます。
信州の名産”おやき”にはアザミというメニューもあります。
聖書では
「あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。」

それ以前は
「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。」
と書かれていてそこには神の祝福である様々な実がいつでも手を伸ばせばそこにあった。
”生きるもの”であった人は生き続ける為に、上を見上げ手を伸ばすという形で神の祝福を受け取るだけで良かった。
しかし善悪の知識の木の実を採って食べたことにより、神からの祝福が絶たれ、人は下を向いて額に汗して自分のちからで土地を耕しそこから、はえ育ったものを、食べて肉の命をつないでいく状況になる。

神に造られたものは、神の考え方やさまざまな栄光、そして真理などを私たちに教えてくれます。

罪によってあたえられたアザミにはアザミにしか表現できない特性を持たされています。
なんだか人に似ているように感じてきます。

野に咲くアザミは今日もきれいです。

2010年7月13日火曜日

諸江でカラオケ

日曜の午後から金沢とお隣の白山市に行ってきました。
石川は暑いと覚悟していったのですが、全体に過ごしやすくそんなに気温も上がらなかったのですが、さすが夜はマレーシア行ったときの様なムッとした湿度で気候の違いを感じました。

80になった父と母、私の姉妹らと家内の6名でのカラオケが今回の目的です。
VIPルームで、快適なソファーと大画面で歌う家族のイベントは悪くないですね。
あんまり楽しく過ごせたので、その後、家内の両親とも別の店でカラオケの”はしご”をしました。
両方の親も楽しい時間を過ごすことが出来たようでした。
残念な事は私が石川にカメラを忘れてきたこと、、。

両親が結婚して50年以上共に過ごし、その子供らが元気で共に集まれる事。
結婚という神の造られた”家族”というものに
”幸い”を感じます。

家内の母から私の両親が、家内をもらいに来たときの話を聞きました。私も両方の親に報告は、してあったのですが、そこは地方の習慣もあり、結婚は家と家の儀式でもありました。
当時、未成年まだ修学中の家内でしたので、せめて卒業や資格も取ってからと、義母が話すと、父は「私たちは”学”は、いりません。お宅の娘さんだけを頂きたいのです。」と話したそうで、初めて聞く話は、28年前なのに何だか不思議な新鮮さがありました。
神のつくられる家族というものは大変な事も多いけど、いいものだな~と考えながら長野に戻って来ました。
あと何度この様な集まりが出来るかわからない。
だからこそ大切にしたいが、本当に望むことは「永遠」です。
ずっと、ずーーっと続くと良いね。

2010年7月11日日曜日

マタタビ

うちの近所ではマタタビが沢山あります。
ツルなので色んなモノに巻き付いてます。


去年はマタタビの仲間の猿ナシを頂いて食べましたが、猿梨を改良したキウイより美味いです。
猿梨でもちゃんと猫に同じ効果があるそうです。しかし市販されているキウイフルーツは品種改良されているため「マタタビ効果」の期待は薄いと。(でも熟したキウイには反応する猫もいるそうですしキウイの木の根っこはいけると思います。)
自分だけなら緑のままの葉のほうが効率は良いはずですが種を残すため花の時期が近づくと写真の様に遠目からも葉っぱが白くなって遠くからでも虫を呼び実を付けるためのサインですね。その白は涼しげで綺麗です。

2010年7月10日土曜日

木漏れ日

ベッドルームから見える、今朝の裏庭です。
夏が近づき緑が濃くなってきた。
木々を抜けてくる日差しもそれに負けないくらい力強い。

この時期、草木の成長は最も勢いがある。
1週間毎に刈り取らないと、荒れ地瓜などの増えて欲しくない雑草が蔓延ってしまう。草丈が高いと蛇なども家に近づきやすいから、時期を見て刈り取る。
家をここに建てて15年、やっと庭も見て楽しめる様になってきた。
今朝は空気が冷たく感じる。
この長野らしい凛とした空気が好きだ。
神様がここに住めと仰って住む所は、私にとってこの時代のエデンの様でもある。
いつまでここに留まって良いのかも神がきめてくださる。
ここに骨を埋めることになっても、それも良い。
アダムが園を追い出された様にではなく、イエスが、天から降りてこられたように、そして天に挙げられたように、ありたい。

2010年7月9日金曜日

杏狩りその後

食べるものの話が多いですが、それも幸せって事で。
杏狩りに同行したメンバーで、昼食はフランス料理
ちょっと前まで籠をぶら下げて畑で収穫していたギャップが楽しいです。
田舎者の私には少し分不相応だが、美味しくて良い経験でした。
ゆっくりと出来たてを味わう事は素敵な時間です。

帰ってきてから家内の作ったラスクも食べていたから、一気に体重が1kg以上増えていた。紫イモやシナモン、キャラメル等、美味くて食べ過ぎ。
まあ少し気を付けていれば体重は、元に戻ると思うが、若いときには痩せているのが嫌でちょっと太りたい願望があった。
通信販売で「ザ.ダイナマイトプロテイン」ってのがあって白人系ムキムキのお兄ちゃんの写真が貼ってあるもので、それを飲んだ事もあったが、胃腸の弱い私は、かえって体重が減ってしまった事がある。
年齢を重ねると、食も変わるが、体重も落ちにくくなる。
独身時代のモノはちょっときつめだが、入らないわけではないから、まだ良しとしますが、年を取るって面白い。色々今までと違った経験が出来てそれもちょっと楽しい。
自分の外側がどんどんポンコツになっていくそれを内側から私が見ている。
今まで出来たことが出来なくなっていく、そんな経験が加速度を増して行く。
輪島出身の永井豪のデビルマンやマジンガーZの漫画版のストーリーの中に、人に天敵が存在しない不思議さや、傷つきやすい弱い体を持つ人間が、無敵のロボットに乗り込む話を覚えている。
土に帰るしかない肉の体、小さいときから好き嫌いが多く、自分の体にちゃんと材料を与えてない、50年程使いっぱなしでろくにメンテしてない。そのくせ無理をさせてきた。
仮住まいの儚い肉の体であるが、神が与えてくれるものの凄さ美しさを見つめて今日も過ごす。

2010年7月8日木曜日

ハッカ

杏狩りに行くときに、あそこならブヨもいるかもしれないと、私はジョンソンの虫除けを持っていった。家内は息子のハッカ油を持っていった。
途中虫に刺された方がいて、ハッカ油を分けてあげていたが「北見ハッカ?」
と聞かれた。持っていた私たちが「そーなの?」「わかんないけど有名だから。」「そーなんだ。」
ペパーミント商会のもので調べてみたら確かに北見名産とありましたが、最近は美幌町で作っているらしい。でも、なんだか嬉しい。
 
小さい頃、故郷の藪などを歩いていて 多分ハッカを足で踏んだのだろう。
あの同じ香りがした。夏の暑い時、子供ながらに清涼感を感じたものだった。
杏の畑の隣では巨峰が育っていた。
葡萄も絶品だから9月に又来てと仰っていた。
近所からも頂き食べ比べてみるが近くの平地の葡萄と違ってここのは長野でも一番だと。
そこは、がれた岩ばかりで畑がほとんど出来ない。だから果樹園になっているそうで、しかも傾斜がきつく水がすぐ流れてしまう。盆地に面していて夏暑く冬は寒い。
葡萄はそんな場所でこそ甘い実を付けるものだ。

私は甘いワインが好きなのでこれで作るとうまそうだなと夢心地で、言ったら「高いだろうね。」と横から現実的な言葉が、、。

全てのワインを作る葡萄の木は接ぎ木されてあります。逆を言うなら接ぎ木されたものだけが良い葡萄の実をつける。
ハッカの香りにも似た、涼しげな青い葡萄の画像をお楽しみ下さい。

2010年7月7日水曜日

最近、集中的な豪雨がありますね。
福島では郡山で大変みたいです。
他でも土石流とかあったようですし、、。
早く普通の生活にもどれるといいですね。
普通ってすばらしいですよね。

フルーツが家にあるだけで、豊かな気持ちになれる。
果物の「果 」という字の第一の意味は
原因・因縁によって生じたもの。結果。むくい。とありました。
漢字だけ見ると木の上に何かあるんだな~的な雰囲気ですが、
聖書的に見ても意味深い。

自分でがんばってみた所で、所詮自家発電程度、しょぼい実しかならないのですが、良い実を付ける枝を接ぎ木していただいたので私ががんばらなくとも、イエ スが実を付けてくださる。
私はいのちを味わい楽しむ事だけでよい。
大体1年分のシロップ浸け出来ました。

2010年7月6日火曜日

杏取りに行ってきました。
同じ松代ですが、以前と違う近くの畑で種類も違います。
■新潟大実(にいがたおおみ)■信州大実(しんしゅうおおみ)■信山丸(しんざんまる)あと梅も採ってきました。天気も暑くなく寒くなく山裾を吹く風が気持ちいいです。
実は杏の酸っぱさが少し苦手ですが、ハーコットという、生食専用は大きさも味もフルーツと言って良いものです。今回はシロップ漬け、ジャム、干し杏、梅干しと家内がやってくれることを期待してます。写真は 、信州大実です。一口にフルーツ、また、杏でも色々あります。それぞれに良いところや特徴があり、面白いと思わされました。
ただ、以前行った杏畑はと見ると、ほとんど手入れがなされて無く、怖ろしいほどの貝殻虫。枝の剪定をちゃんとしないと”かぜ”の流れが悪くなり、びっしりと細い枝まで付いてしまうのだとか、正直刈り込まれることは、何だか好きではありませんが、私の心の中も”かぜ”どおりが悪くなって良からぬもの所狭しと張り付くよりはいいなー、と感じさせる凄さでした。ちなみに貝殻虫対策は油を塗ってやることだそうです。なんだか似てるな~

バラとハーブ


今年はバラが綺麗に咲いている。
いつもは虫がすごくてひどいときには、葉のほとんどが食べられて葉脈だけになっていたり、蕾のまま丸かじりにあっていたときもある。咲いてからならまだしも、咲く前に食べられてしまうとさすがにちょっと悲しい。コガネムシなどはもぐもぐ頭をつっこんで食べていたものだ。

確かに今年も天候不順かも知れないが、反対側のバラは今年も虫にやられている。
家内が「下にミント沢山育ったからじゃないの。」と、なるほど。
マリィーゴールドや、ハーブにそんな効果が有ることは聞いていたが初めて実感。
ハーブは増えすぎて困ると言われるが、嫌いではない。
今年は増えすぎたハーブを切ってお風呂にも浮かべて楽しんでいる。
ペッパーミント、パイナップルミント、カモミール、ヨモギなど試してみたが、ヨモギはやはり和の感じで木桶等の風呂には最高だろう。ペッパーミントは 私には少し強すぎて吸引するときに若干むせかえる感じでした。このあとは咲き始めたラベンダーも試してみよう。

そういえばぶゆ(関東では、ぶよ)はハーブの香りが嫌いだそうで、特に効果があるらしいです。何となくだが、ハーブの近くでは蜘蛛の巣も少ないです。まあ、虫が少ないから「こんな所に網を張っても上がりが少ない。」と思って張らないのだと思うが、、。

2010年7月5日月曜日

沢ガニ

石を積んだり並べたりする事は楽しい。木をいじることが好きな人ならやってみると、ほぼ必ず、はまるのが、石組み。最初は重くて硬くて泥だらけになって何だかなー。って思うのですが、少し形になってくるとこれが、実に面白い。
夢中になって、続けてやりすぎて、腰や、手首、足首がガタガタになってくる。
単純だが頭を使う、そして作った後の状態を見るに付けほれぼれとしてしまう。
久々に家内のリクエストに応え少し石を動かしていたら、沢ガニがいた。家を作るときもいたから、私が住むずっと以前から住んでいて、出来ればこの後も同居させてほしいと思う。(時々家に入ってきて、困るときもあるが、、)
かつては日本の沿岸におそろしいほど住んでいた。アカテガニも最近はコンクリート化が進みあまり見なくなってしまった。
ドイツでは20年以上前から河川のコンクリート工事部分を取り壊し、自然の状態に近づけているのに、まだ日本ではコンクリートは建設工事の花形である。
鯨やイルカをまもる精神も立派だが、守ってやってるという精神はどうもね。
小さないのちを楽しむことが、結果として大きな生き物や自分自身を愛することになると思う。日本で唯一の純淡水域で生息する沢ガニは私の並べた石を忍者の様に登って石のスキマに入っていった。

2010年7月4日日曜日

命の火

昨日は朝、久々に薪ストーブに火を入れた。
薪を燃やすと空気がカラッとして気持ちがいい。
雨が多くなってきたが、蝶も雨の中飛んでいるのが目にとまる。

以前戸隠小学校のあるクラスで蝶の観察ををしたレポートを読んだ。
名前は忘れたが、少し珍しい蝶で、その蝶の幼虫(毛虫)は、ある種類の草の葉しか食べない。
だから子供達の「戸隠は自然が沢山あると思っていたが、その葉を探すことが大変でここでも自然が失われつつあると思いました。もしその葉が戸隠から無くなってしまったらこの蝶もいなくなる。」と締めくくってあった。

別に進化論を攻撃したくはないが、環境に適応し、自らを進化させていくなら、その草がないなら、小松菜やレタスを食べて増えればいいだろうと私は思う。
生き物に、変化はある。しかし、神の定められた所を越えて進化した生き物を私は知らない。

写真は仕事で取り付けようとしていたヤフオクで落札したドアに、とまった蝶です。
時々塩気が欲しいのか肌にとまったりするのもいます。
口吻を伸ばして、汗なのかとにかくミネラルを補給しているみたいで、なめられた所が冷やっこくてちょっと気持ちいいです。
いのちや、火の力を見せてもらうこと は、楽しい

2010年7月3日土曜日

フサスグリ

外で働く事の多い私だから濡れる事は好きではないが、雨はなんだかホッとさせてくれる。建物で一番大事な所は基礎だが、2番目はと言われれば、柱、梁、間取りではなく、ノアの洪水以降は、屋根だと思う。
壁は無くとも何とかなるが屋根が無いと建物とはいえない。
雪や雨、夏の日差しや枯れ葉まで受け止めてくれる屋根はすこぶる具合が良い。
テラスに屋根をつけてからは雨が降っても外に出て結構くつろいでいる。
冬に半袖と同じような、贅沢さを味わせてもらっている。
雨が好きな人はあまりいないかも知れないが、最近はいい感じがある。

もし、梅雨の時期が日本に無ければ、夏は連日40度を超える気温になる。
この前たけしさんの特番で中国の奥地の方の水の苦労している家族を報道していた。
日本は水に恵まれている。

この時期フサスグリが綺麗な液果を付けている。甘酸っぱいその中に十分な恵も詰まっている。

この前ハウスウェディングで雨の日式を挙げさせていただいた。
ホテルと違いガーデンスタイルの結婚式場は天気による影響が大きい。
ほとんどの新郎新婦は当日の天気を気にする。
その時の花嫁のお父さんが「今日の雨は良い雨 だ。」としみじみ言っていた。農夫である父はさすがに深い。
テレビや本で読むだけではわからない事が、経験の中で育っていく。
今だけを見るのではなく、その先にあるものを見つめるゆとりこそが、今日の魂を満足させてくれる。

2010年7月1日木曜日

蕎麦の花

写真はうちの近所の蕎麦畑です。戸隠は今、蕎麦が満開です。
霧と蕎麦が見た目も良いのですが、霧の下だからこそ蕎麦は美味しくなるとも言われてます。
蕎麦は窒素などの多い土地だと収穫が減る特性があり、肥料や農薬など要りません。
まあ、本当はお米も本来肥料や農薬など要らないのですが、品種改良(改悪?)で、必要になったのですが、、。
蕎麦は環境に対応する能力が高くお米の取れない所で良く作られています。戸隠は斜面ばかりで、水はけが良いので良い蕎麦が出来ます。
日本の蕎麦の花は白ですが、ヒマラヤの蕎麦はルビーからピンクで戸隠でもその畑も有りました。蕎麦畑で探してみると時々ピンク系の花を付けている蕎麦もみかけてそれはそれで綺麗です。
ただ麺にするときは白の方が良いらしいです。
痩せた土地や、水や日照の少ないところ、標高の高いところでもちゃんと実を付ける蕎麦もまた、見習いたいものです。

”そば”とは尖ったモノという意味で、蕎麦の実、見たことある方ならわかりますね。
同じ表現で耳をそばだてると言ったりします。
信仰は聞くことからはじまるとありますし、私も、もっと神様の声に耳をそばだてないといけません。
収穫は蒔いてから75日から90日ですので今月末くらい刈り取りで9月に新蕎麦です

蕎麦の花はけっして良い香りと言えませんが、
地味なので逆に見ていて飽きません。
集まって咲く姿は、この時期と秋の風物詩を奏でてくれている様です。
お茶の蜂蜜は少し茶の苦みがありますが、蕎麦の蜜は色こそ黒蜜と同じ程の濃さでドロリとしてますが、風味もあり結構好きです。