2011年1月7日金曜日

クロカン

去年から始めたクロカン
雪が降ってまたあの誰もいない緑が鮮やかな場所だった、
木々の合間を雪が無いと入っていけない場所に入りこんでいく、
真っ白な雪の上を先を行く主人のスキーの跡をついていく
時には並んで時には立ち止まり進んでいく、
すこしの坂を下ることが恐くてすっころぶ、
一人で立てず起こしてもらう顔中雪だらけだけど
主人なので恥ずかしくなどない、笑って笑ってまた進む
キリストと歩む人生も
キリストの跡を歩んでいく、時にすっころぶ事もあり
がっかりし立ち上がれないとき手を差し伸べてくださり、
月日が経つと笑えなかった事が感謝に変わっていく・・・
などと思いをはせながら
またはぁはぁ息を吐きながら主人の跡を追う。


こんな広く戸隠山が一望できる景色を二人締めにできる優越感に
浸り汗がにじんで運動不足の体に良い汗をかく
自分の足で地面を踏みしめて歩いていくことが心地よい。

2011年1月6日木曜日

クロカン



クロカンの途中人が入れるほどの根元の木を見つけた。
去年も一度通っていたのだが、去年は3m程の積雪でみえなかったのだろう。
今年は1m程でしたので写真を撮ってきました。
でも地上1m程の所を歩いていると考えると何だか不思議、木は多分ドングリだと思います。
戸隠の参道の所にも人が入れる杉の根元があったのですが、
JR東日本のCMとパワースポットブームで人が増えすぎて今は杉の穴には縄を張ってあります。
人の踏む影響で杉並木が枯れるとの報告やパワーを求め名所の杉の皮を剥いて持っていく人もいて入場制限もささやかれている昨今ですが、
そもそも何もせずそこに行くだけでパワーをもらえるって、考えてみてもありえないでしょ。
でも氷点下の雪道をストッキングも穿かずに来ているミニスカートの方もいて、パワー有り過ぎ。小百合さんも冬に撮ってCGで作り上げたCMらしいので、流石女優です。
まあ熱しやすく冷めやすい国民ですからその時をまっております。
参道から10分で誰もいない場所がある事が感謝です。

2011年1月4日火曜日

きらきら


高3の夏前だった。たぶん法事か何かだったのだろう、あまり行かない親戚へ行くことになった。
両親は車で先に行っていたのでバイクで向かった。着いてみると、他にも親戚がいた。
とりあえず中に入って挨拶だけした。「あれ~○○ちゃん大きくなって~。」とか言われる。
ふと居間の方を見るといつものおばちゃん達の中に見たことないお姉さんがいた。二十歳程か、もう少し上だろうか。
ちらりと顔を見た。色白でそして可愛かった。ちょっとドキッとした。
多分向こうの親戚方の姪御さんなのだろう町の雰囲気、そして私の親族と全く違うDNA。
居場所の無い私はそのうち中から出て外でバイクの脇でうろうろしていた。
開け放された昔からの座敷に縁側から流れこむ海風。
砂浜に打ち寄せ戻る波の音と潮の香りも一緒に流れてくる。
時折、昼でも薄暗い家屋の中に黒っぽいの服に混じって華やかなでも上品な服の彼女が手伝っているのが目の隅に見える。
1時間ほどしただろうか暑い日差しの中にいた私は本家の長男にも関わらずその場からエスケープしようと決めエンジンをかけようとした時、
傍らに明るい色服の彼女が立っていた。そこで何を話したのか今では覚えてもいない。
「ねぇ、一度乗ってみたいから、後ろ乗せてくれない。」そんな感じだったのだろう。
心の中では驚きと共に何かの鐘が鳴っていたと思うが、「いいけど、危ないから俺のメットしかないから、これかぶって。」
初めて真近で顔を向い合せるが恥ずかしくて目は見れない、愛くるしいとしか書き様の無い彼女の顎のラインにアゴ紐を通してあげた。
手のひらに彼女のほほがふれる。まるで僕の心にも何かが触れたような気もした。
親戚に何も言わず彼女を乗せ走り出す。親戚の家からの、その長い進入路から3桁の国道を左折した。
しばらく走った、まだ体が硬い感じだった。能登の漁村特有のヤキスギの外壁と漆黒の瓦に照り付ける陽が光って見える。
チラリとバックミラーを見る、私の後ろで私のヘルメットを被った彼女が抱き着いている。
家並みを抜けた後、僕と彼女を乗せたバイクは海沿いを走っていた。
女性を後ろに乗せたのはその時が初めてだったと思う。
何度かバイクを見晴らしの良いところに止めてヘルメットを取る時の彼女のサラサラの髪とこれぞ夏といった弾ける笑顔がキラキラしていた。
少ししてまた走り出す。別に意識してではないが自然と体と体がふれる。どこに当たっても角が取れた柔らかな感覚、なんだか無性に嬉しい。
胸の奥の何かが甘酸っぱいもので浸されていくのがわかる。
ノーヘルで振り返り「ちょっと飛ばすからしっかり掴って」と彼女の目を見て声をかける。
リアス式海岸特有の海に突き出た急カーブをトレースする私も彼女もどんどんバイクと一つになるように曲がるたびにスムーズに駆け抜けていける。
携帯も無い時代。もちろん親戚が騒ぎ出す前に送り届けたと思う。
「ありがと。楽しかった。またね。」そう言って彼女は何事も無かった様にヘルメットを渡して親戚の家に入っていった。
私はエンジンをかけてまた走り出した。さっきまで二人で走っていたその海岸沿いを今度はフルスロットルで駆け抜ける。
吹き込んでくる潮の香りと共にヘルメットの中にまだ彼女の香りが残っている気がした。
今でもその親戚の家に行くと名前も聞かなかった彼女の事を思い出す時がある。
もう結婚していいおばさんになっているだろう。
でも私の心の中では、年を重ねていても今も碧い海の波の様にキラキラしている。

2011年1月2日日曜日

駅伝



駅伝を見ながらのブログ更新です。
箱根と同じく人生にも様々なドラマと涙がある。
写真は去年の家からの景色と今の景色です。
一つとして同じ事は無いからこそ今が大切だと思います。
去年が終わるころ家電が鳴った。
6年ぶりの声だった。教師を辞め突然家族で海外に移住。
日本にいる事より妻といることを優先した彼の荷物はまだ3階にそのまま置いてある。
明日会ってもその荷物は彼に必要ないだろう。
私も溜まりすぎたものが沢山ある。
今年で50才半世紀が過ぎたその後半は少しずつそんな物を片付けていけたらいいな。

その他のバイク



一旦これでバイクメーカーシリーズは終わりです。家内なども元旦の長いのは読む気がないみたいです。
車でもそうだが特にバイクは個人の考え方や国民性が出しやすい乗り物だと思います。
今回書きませんでしたがドカティのムルティやKTM、トライアンフ、ベスパなど心を躍らせる乗り物は沢山ある。カワサキのW800等も日本の美しさを感じれる。
残念ながら現存しないメーカーの中に好きなマシンも多い。
優れているから生き残れる訳でもない。ビンセント、アリエル、インディアン、ライラック、オリンパス、ブリジストンなど
バイクは大量に作らなくともそれを認めてくれる人が喜びを持って乗ってくれるならそれでいいのだ。
車は馬車であり、バイクは乗馬のようだ。多くの人や荷物は積めないが狭い道や急な坂も上る様々な障害を越える事も出来る。便利なのは車、遊ぶならバイクに部があります。
車は箱に入って箱ごと移動するので安全ですが速度感はあまりありません。コンビニで買ったものを飲んだり食べたりしながら走ることも出来ません。
バイクは体がむき出しなので危険回避野力は磨かれます。でないと簡単に死ぬからです。でも車ほど他の人を殺すことはあまりありません。バイクに乗っていると風邪などはひきにくいものです、暑さ寒さにさらされているからです。
画像はCKデザインの仔猿です。モンキーの半分の大きさでバックに入れて電車や飛行機にも持ち込めます。作った方はドイツに持って行って乗ってました。帰りせがまれて置いてきたらしいです。他に仔リラもあります。
ポケバイとは違いさすが元ホンダにいらっしゃった方で、ちゃんと作りこんであります。
正式では無いかもしれませんがホンダからも許可も得ていて原付として公道も走れます。前軽井沢でツーリング団体いました。
エンジンはホンダの草刈り機30cc程でカブと同じ静かな音です。真剣に買おうと思っていた時もありました。
これからは雪国ではバイクに乗れる時期が少なくなるが冬は冬でしか出来ない楽しみがある。
スキーとバイクの乗り方には共通性がある。体重の移動や思い通りトレース出来た時の喜びである。
スキーもアルペンはオンロード(レースも含む)テレマークはオフロード、クロカンはトライアル的な面白さがある(景色を見ながらゆっくりと進む事など)。
ボードも好きだしスキーとはまたちょっと違った面白さがある。横滑りを続けていく感覚などは楽しい。
長野の冬は好きです。今年も最高の冬を楽しみたい。

2011年1月1日土曜日

元旦


朝おいしくお雑煮をいただいた。能登の岩のりは香りもよく美味しい。
年末年始はノープランで予定もなかったのだが、来客や呼ばれたりして今日以外は何かとあるようだ。
息子が長野市内でモトクロスというので私もどうしようかなと思っていたら家内に誘われクロカンに戸隠牧場へ。
手前に戸隠神社があるが、道にもかなり車が溢れていて驚いた。早くブームが終わってほしい。
家の周りは意外と積雪が少ないのですが、ここは十分で大体1m位ありました。
神社と違いほとんど人がいなくて自分の息しか聞こえない。
去年は行きたいと思っていた所に行けなかったので今年行けるように主に期待しています。
今年もあと364日しかないのだから。

モトグッチ(MOTO GUZZI)



現存するイタリア最古のメーカーで、他のイタリアメーカーがレース活動やスポーツモデルの開発に重点をおくなかで、優美なデザインのツーリングモデルを主軸とした製品を作り続けてきており、エピソード豊富な独自の道を歩んできている。
技術は素晴らしく第二次大戦前のスーパーチャージャー付きマシンや500ccのV8エンジンのマシンは今でも伝説である。だからこそ公道ではそんな高性能=高金額はいらないと割り切り頑固とも言われる程縦置きのOHV空冷Vツインエンジンしか作らないという徹底さ「これでいいのだ」と言ってくれるものは高性能とスピードが魅力でもあるバイクでなかなかあるものではない。
創業は1920年。第1次世界大戦時に、イタリア空軍に徴兵された3人の 若者達の出会いがきっかけで、生きて帰れたら一緒にバイクを作ろうと話あっていたが、
3人の内の1人が第1次大戦終了直後に航空機事故で亡くなってしまい、実際の会社設立には参画できなかったことを悼み、そして3人の友情が出発点であることの象徴として、イタリア空軍の“AQUILA”(アクイラ=鷲の意)が、エンブレムである。 残りの2人、エンジニアのカルロ・グッツィが社名になる。

同じくイタリアに本社のある大手ファッションブランド「グッチ」とは関係なく綴りも "GUCCI" と異なる。またモト 冬樹とグッチ 裕三の名は多分これから取ったと思われるが関係は無いと思います。
どえらく人気がなく2チャンネルでも人気がなさ過ぎてレスが立つほどである。こんなに売れないだから見ないこのメーカーが潰れない事がまずすごい。前に私が乗っていたネバダは日本に入れた年に2台しか売れなかったから次の年は輸入しなかった。売れないからか変わらないエンジンフレームを使い続けている。ただ、だからこその面白さもある。
私が最も好きなのはカリフォルニアビンテージです(ジョンアンドパンチも同じシリーズのバイクだったと思います。)がこのエンジンは1965年から受け継がれてきたものでフレームも基本変わってない。ハーレーなども長いスパンで同じ様な物を作るイメージがあるがデザインは変わらないが(変える必要が無い?)味も中身も実は別物でグッチの歴史に最も近いのはカブだとおもう。(形や味)ネットを見るとビンテージは発売された06年は年は22台が日本で売れたらしいが、2007年を最後に3年ほど日本には来なかった。
古い車と同じ雰囲気の大きくて重い存在感はやっぱり無骨さが目を引く、そして乗った時の鼓動は他のどのバイクとも違うグッチならではの味で止まりたくないほどで病み付きになる。しかも飛ばさなくても面白い。
まず同じバイクと出会うことはない。そしてもし会うことがあったら驚き、喜び合うだろう。地球の裏側で同じ県民に会ったような感激である。このバイクの味を文章でどのように伝えたらいいのだろうか。
特に2,000回転前後の味付けは絶妙で、速く走るということを忘れてしまうほどだ。トップギアである5速にシフトを入れ、ゆるやかなクルマの流れに合わせて走れば、まるで心臓の鼓動のように回るエンジンが愉悦の時間を与えてくれる(ハーレーとはエンジンの向きが90度違うので横に揺れる。これを書く私もバカだと思うが本当だ)。
あまりにもバイクが急かさないため、全く追い越しをかける気が起きないほど。時速50kmのゆっくりとした速度が気持ち良いため、足をつくのが億劫になるほどだ。
今のある意味進み過ぎたエンジンは抵抗がなく軽く速くシューンとまわり切ってしまう。所がこの農耕車の様な古いエンジンはドロドロとして昇りつめていく感動がある。(人生もあまり簡単に登りつめるとろくなことが無い)
ただ残念な事に古くから続くあのエンジンはもう日本には入ってこない。(新型エンジンを除くチョット見は同じだがあの古臭い味が、、)日本の厳しい排気ガス規制をクリア出来ないらしい。
ゲテモノ好きと言うなら言っていただいて構わない。「好きだ!」という言葉に説明はあえていらない。私の目には高価で貴いのだ!(確かに安くない!ハーレー並み?)
アールデコに象徴されるように、技術が人々の周りの彩りとして、身近に降りてきた時代。
第一次大戦の以前から、技術的な研鑽を積んでいた、ある若者が居た。
戦争から戻った彼は、兵器という「高度な技術製品」に触れたことも影響したかも知れない、新たなイマジネーションを抱いた。
それは、独創的なモーターサイクルを作る事だった。
市販車でもレーサーでも彼らの作り出すものは他のどれにも似てない。
また、成功(?)してもバイク以外に手を出そうとしない(金が無いだけかもしれないが)
レースでの熾烈な技術開発の様相は、昨今でも共通して見られる風景です。
モトグッチも旧式な形ながら勝ち星も多く輝かしい歴史を持つ。
他のメーカーと決定的に違うのは、同じ技術を、市販車へフィードバックすることをしなかった点です。
なぜ、せめてイメージだけでも取り入れて、市販へのテコ入れをしなかったのか。
簡単に言えば、市販車とレーサーは、違うユーザーを騙さずレースはレーサーで楽しみ道は道を走れるバイクが楽しい事を実践していた。それを知っていた。
価格も維持費も高価で、扱いも難しくて耐久性が無く、一般道を走るのに実用性がない。時に危険ですらある。そんな物を市販する愚かさは彼には無い。
大型バイクをポンポン買い替えることなど、できなかった時代。苦労して買った一台は、ほとんどが一生ものだった。だから、それがいかにいつでもちゃんと走るか、が評価の第一点であり、商品性の焦点だった。
モーターサイクルの楽しみ。それが、
「次に何を買うか」と、うさん臭い広告と、井戸端会議のようなインプレッションが並ぶ雑誌に目を通すこと、ではなく、
「次はどこに行こうか」と、書き込みだらけのロードマップに、また目を落とすこと、
(MOTO GUZZI)その一台は、イタリアの、小さな、良心のかけらなのです。
写真は私の机の上にあるグッツィ最初のカリフォルニアのオモチャ(イタリヤ製で古いですね50年位は経っていると思う)です。
新年早々長くてすみません。