2010年4月13日火曜日

お気に入り

金沢には古い物が多い。
よって金沢の姉は、どころかこんなかわった物をという珍しいのをもらってくる。
物を集める事や、ひらってくることはどうやら家系らしい。
いつか実家を片づける事が跡取り?の務めだと思うと、その重圧は半端ではない。
写真は、長野市をふらりと通ったときに解体中の家があり、その時もらったものです。
正式にはケビントケースといい、ヤフオクなどでは結構高値で取引されているのを後で知った。
個人の診察室で長く使われていたそれは、薬剤がまだ入っている磨りガラス状のブルーや乳白色のビンが入っていた。
新しくしすぎると面白くないので雰囲気を残して使っている。
揺らめくガラスの戸を開けると懐かしい消毒の臭いが少しする。
保健室が好きだった私はこれもお気に入りです。
神様も沢山のお気に入りあるのかな。
あのひとも、かわったものを、ひらってくることや、あつめる性格なんだろうか。

2010年4月12日月曜日

キャッチボール

ちょっと健康的でない知人が、あるサプリメントを飲んですごかったと。
まるでドラッグをやったようだったとのこと。
成分は只のアミノ酸、数あるアミノ酸の中でも細胞と細胞が
コミニュケーションを取るために使われるアミノ酸は8種類しかない。
その8種類がすべて入っているサプリメントだ。
全ての生き物に効果があり、友人は末期の犬にも飲ませていた。
ボトルガムサイズで、ん万円、しかも犬は人の2倍の投与がいる。

細胞は回りの細胞と会話をしながら刺激しあい活性化していく、
言葉の数が限られると会話の内容も限られ、元気がなくなっていく。
多分リーブ21も同じ事もしていると思ってますが、
進められても私にはいらないと言ってきた。
私はただのケチですが、消毒のされていない土で太陽を浴びて育ったトマトには
8種含めて全てのアミノ酸が十分含まれていますから。

最近私の外側は衰えてはきてますが、
内側は活性化されております。
それは、ブログを通して「言葉」のキャッチボールを楽しみ、
刺激を受けさせているからです。
今までとは違う疲れがあったり、書くことも無い日もあると思いますが、
生きている限り「言葉」は私と共にいてくださいます。
この場をお借りしまして主と皆様に申し上げさせていただきます。
「 誠にありがとうございます。
これからもどうぞ
   よろしくお願いいたします。 」

2010年4月11日日曜日

諏訪御柱祭

祭りとはおもしろいものだ。
平安時代から続く諏訪御柱祭、春宮一に伝説のリーダー がいる
何年か前に一人振り落とされずに最後まで留まった”華乗り”である 

全てが彼の指揮の元、樅の木がひかれていく
今年の木落で一番前に誰を置くか、決めるのも彼
自分も乗りたい、気持ちがある。
彼は自分より若輩に譲り、場所を譲り自分は横で最後までサポートに徹した。自分の方が楽なのに、、次に続く者を自分の肩に乗せるように、彼を持ち上げて、誇らしげに見上げた。「じゃあ、また、7年後に」

異郷の祭りでありながら、その姿を見ていたらイエスキリストが見えた気がした。
Lukeさんも見ただけではなく、参加なされたでしょうか。楽しまれたでしょうか。
いつか話を聞かせて頂きたいと思います。

カヤック

昨日は暖かくなりました。
野尻湖面でも19度
水温は10度くらい
まわりには雪もみえる
湖面がキラキラと輝いている
ほぼ半年ぶりにカヤックを3人で楽しみました。
実に気持ち良かったです。
オールを入れるとスーッと今まであった世界が後ろに流れていく。
いままで手の届かないところにあったものが今私のところにあり
それまであったことはすぎさる
ひとかきで、15m程進む、ホンのわずかな、みずおと
それは、柔らかくて耳に心地よい

水の上にいると霊的な感じがするときがあります。
豊にいのちをたたえる御霊の水に私というオンボロなふねを浮かべて
暖かい日差しの下で水の流れと風の吹くままふねは進む
必死で漕ぐのでもなく、自分で行き先を決める訳でもない。
沈んでもそこはいのちの泉、イエスはこんなふねでも喜んで乗りこんでくれて
わたしが譲れば彼は嫌がらず舵をにぎってくれる。
鏡のような湖面をふねはゆっくりと進んでいく
私は彼の横で与太話に花を咲かせている。キリストはわたしのバカ話を聞いて笑っている。
それを見て私もおかしくなってしまう。
イエスと遊ぶのはとても楽しい。私はもっと彼と遊んでいたいと思う。

2010年4月10日土曜日

家出 まとめ


まとめ
この雲をつかむような世にあって、風に吹きまわされるような日々
完全な家庭は無く、地上には永遠の家がない。
イエスキリスト彼が何者であるか。
それは自分を知ることでもある。

イエスを信じてから22年程。
それ以前の人生にもそれなりの満足もあり、
いい家庭を持ち楽しみもあった。
私が神を必要とする状況は私の知る限り何も無かった。
健康で働く喜びもあり問題も感じてなかった。
私がイエスは何者であるかを知ろうとしたことは、
まるで、心の深いところで私を突き動かす何かがそうさせたようだった。
主を信じてから一度もイエスを信じた事を後悔したことはない。
剛一郎さんの言葉を借りるなら、「何故もっと早く信じなかったのか、それが唯一の後悔」
うーん、それもあるかもしれないが、主の時がある。
あのタイミングで、あの方法でしか、私はイエスが何者なのか知ることは無かった。
それが良かった。

2:24 それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。

この奥義は深い、私は主によって人生で2度目の家出をする事になる。
「私は長野に行く」その言葉を私に言わせたのは聖霊の力しかない
「勘当」捨てる父あれば拾う父あり 、それがなければ今の私もない。

私は何度も失敗してきた。
しかし、神に従って失敗したときは一度もない
主は私を、けったり奈落の底に突き落としたことは無い
神は私を完膚無きまでに打ちのめし、罵った事も無い
逆にそうならないために黄泉に下られた方
いつも、どんな時もイエスは私に良いことしかなさらない。

私は、主にある家出を応援している。
乱暴な言い方をするならイエスも家出した。
放蕩息子のように全てを与えつくされた。
貴方が戻るなら、その旅の終わりには祝宴を用意して待っていてくださる方がいる。

31:17 あなたの将来には望みがある。――主の御告げ。――あなたの子らは自分の国に帰って来る。

イエスと共に旅をしよう。そして父の家に帰ろう。
イエスのように、反抗する息子でなく従順な息子として帰ろう。
そこに私の思いも、イエスの建ててくれた私の家もあるのだから。

31:8 見よ。わたしは彼らを北の国から連れ出し、地の果てから彼らを集める。その中にはめしいも足なえも、妊婦も産婦も共にいる。彼らは大集団をなして、ここに帰る。

31:9 彼らは泣きながらやって来る。わたしは彼らを、慰めながら連れ戻る。わたしは彼らを、水の流れのほとりに導き、彼らは平らな道を歩いて、つまずかない。わたしはイスラエルの父となろう

2010年4月9日金曜日

家出4

娘が帰ってきて半年くらい過ぎた頃、
娘と同い年で、幼稚園が一緒だった子が家に来ることになった。
その子の父は再婚にも失敗し、母は、別の家庭をもって行き場もない。
「父親に殺される」
私が親に連絡しての家出
出来ればずっといても良かった。裏山のタケノコを掘って暮らしていたという彼女に少しでも良い思いをさせてあげたかった。
私が長野に引っ越してからの12年能登でどの様に暮らしてきたのか、想像するだけでも大変だっただろう。

その時の私は、とにかくお金が無かった。
勤め人は、大変だが、来月のあてがある。
神はその時私に、務めることは、話されなかったし、
私はローンはしない事を神の前に置いていた。
もってあと2ヶ月、、家族を両方の実家にお願いする事も考えに浮かぶ
でもあの子はどうする。
今、仕事が無いという事は、=この後お金が入らない事、
悪い思いがどんどん支配してくる。せめて下の娘も中学だけは卒業させてやりたい。
そうすれば、一人でも生きていけるだろう。「お願い神様」

冷蔵庫を何度も開けてまだ少しある。ガソリンは10Lでお願いします。
スーパーの買い物に汗が出る。何度も財布の中を見る、
情けない、稼ぎのない男=無能な男に見える
子供達は互いに「もう2ロールしか無いんだから少しで、、」とトイレの所で話している。
全ての持ち金合わせて最後の一万円が無くなったら「解散」する気持ちだった。
そんな深刻な時、電話があった。 「ちょっと、用があるので来て」
何年ぶりだろうか、もう覚えてない。
大工としてその人の家を建てたが、トラブルでそれっきりだった。
正直嫌だった。どうせいつもの様に、ごみの様な何か物おしつけて、そんな事だ。

次の朝、娘の申し訳ない様な声で必用なお金を持たせたら、
あと残りは1万円になった。

する事もなく私はアポも取らず、その人の家に行った。
「いないならそれで良い、私はとにかく行ったのだ」
残念ながらいた。長いどうでもいい話、変わってない。
電話でオレを呼びつけるこの人の神経はどうなっているんだ。
「で、今日の用事はなんですか」
「そうだった、あなたにコレを渡す為に呼んだんでした」
差し出された茶封筒、
「、、、、図書券か、、ビール券ならいいな換金すれば少しは、、」
受け取って中を見ると一万円札ばかりが、、。
「これは、、」顔を見上げると彼女は「実は先月まとまったお金が入り、十分の一を教会に献金しようと思ったが、主は”まて”と。それでこのお金は何処に行くのかと思っていた。昨日祈っていたら貴方の顔が浮かんだそれで電話した」

さすがに震えた。
彼女は更に「ただし、一つだけ条件が有ります。この事は誰にも話さないで、誉れは地上ではいらないから」
まだ震える手で受け取り「ありがとう」と、言おうとすると
「私に言う必用は無い、これは神のお金だから」

それから何年かたって彼女の旦那と話をした。
「彼女は、一度、祈ると決めると毎日最後のその日まで、その人の為に一生祈っていました。」

「やっぱり、言うよ。イエスに従ってくれて、ありがとう。祈ってくれてありがとう。
あの子は今、長野でお嫁さんとお母さんやってます。いいよな貴方は今、直接イエスといる。ブログに書きました。ごめんなさい、でも地上には貴方はいないから許してください。神様、貴方は本当に生きていて今日も約束を守られ豊に与えてくださいます。ありがとう」

今は旦那さんも天にいる。私も神の舞台に出演させていながら
いつも貴方の書いたストーリーには泣かされてます。

2010年4月8日木曜日

家出3


ある朝、娘の部屋には手紙だけがあった。
3日目に探し出し、張り込み、連れ帰った。
私は「聖書」を開き、この様に書いてあること
それを私が守ってきたことを、とくと聞かせた。
大きな声で私は
「どうだ、お父さんの言っていることが間違っているか」
小さな声、、しかし、はっきり
「間違ってない。お父さんは正しい、、、、、
でも私は守れない、だから、出てい、く、、」
私は本当に自分の耳を疑った。
「ごめんなさい。私は悪い娘でした。心を入れ替えて、、」だろ?

「じゃあ、今すぐ出ていけ。夜中にこっそりと出るのではなく昼堂々とお前の足で出ていけ」(自分も夜こっそりと出たのだが)
「うん」そういって娘はスーツケース一つだけ、もって家を出ていった。
今も、あの時の後ろ姿を想像するだけで、自分の愚かさに胸が熱くなる。

それから数ヶ月、あのときほど祈ったことはない、それしかできないのだ。
ただ、祈るだけではなく、具体的に日にちを決めて祈った。「この日には帰ってくる」
人は実際経験してみないとほとんど理解できない。
私は子供によって「神の愛」がどれほどであり
私がどれほど愛の無い者であるかを知らされた。

私たちの祈りを主は聞いてくださり、12月25日に娘は帰って来た。
お盆と正月とクリスマスが一緒に来た様な日だった。
そしてそれからが古い自分との戦いでした。
主のなさることは、本当に時にかなって美しい。
それを、今日も見せていただいている。