金沢には古い物が多い。
よって金沢の姉は、どころかこんなかわった物をという珍しいのをもらってくる。
物を集める事や、ひらってくることはどうやら家系らしい。
いつか実家を片づける事が跡取り?の務めだと思うと、その重圧は半端ではない。
写真は、長野市をふらりと通ったときに解体中の家があり、その時もらったものです。
正式にはケビントケースといい、ヤフオクなどでは結構高値で取引されているのを後で知った。
個人の診察室で長く使われていたそれは、薬剤がまだ入っている磨りガラス状のブルーや乳白色のビンが入っていた。
新しくしすぎると面白くないので雰囲気を残して使っている。
揺らめくガラスの戸を開けると懐かしい消毒の臭いが少しする。
保健室が好きだった私はこれもお気に入りです。
神様も沢山のお気に入りあるのかな。
あのひとも、かわったものを、ひらってくることや、あつめる性格なんだろうか。
物の価値は持ち主で決まりますよね。
返信削除感謝です。
「イエスの所有であること」は、「私が何者であるか」よりまさっているのだから。
なるほど
返信削除そんな考え方ありますね。
オークションなどでは、著名人が持っていたというだけで、凄い値段がつきますね。
最近キリストをくるんだという毛布が話題になってましたが、この世の祭り騒ぎは見ていてなんだかなーって。
それにしてもキリストさすが私の師匠、超有名なんですけど。
さすが、Saltさん。また一つ単純な事を教わりました。
返信削除「私が何者であるか」を追求すると、おかしな方向へ行っちゃう訳ですね。
ひろってもらったんだから、そこにいれば良いのにまたどこかに行っちゃうんだな、これが。
先進国(この言い方も何だかね)では便利だからと言うことで定価というものがありますが、ものにはもともと値段がありません。
返信削除売る人と買う人が会い、いくらで買ってくれたかがそのものの価値ともいえます。
言い尽くされた例えですが、私はイエスという代価を払って買われたものですから私の価値は∞無限。
ルツ記に買い戻しという言い方もあるように、
元は神のものですから、2重の意味で私たちはイエスのもの、しかも聖霊が今住んでいるから3重
やっぱり「俺ってグレート?」 ノー イェー
だから人命は地球よりも重いのか?
返信削除この歌、18番の一つです。