2010年4月8日木曜日

家出3


ある朝、娘の部屋には手紙だけがあった。
3日目に探し出し、張り込み、連れ帰った。
私は「聖書」を開き、この様に書いてあること
それを私が守ってきたことを、とくと聞かせた。
大きな声で私は
「どうだ、お父さんの言っていることが間違っているか」
小さな声、、しかし、はっきり
「間違ってない。お父さんは正しい、、、、、
でも私は守れない、だから、出てい、く、、」
私は本当に自分の耳を疑った。
「ごめんなさい。私は悪い娘でした。心を入れ替えて、、」だろ?

「じゃあ、今すぐ出ていけ。夜中にこっそりと出るのではなく昼堂々とお前の足で出ていけ」(自分も夜こっそりと出たのだが)
「うん」そういって娘はスーツケース一つだけ、もって家を出ていった。
今も、あの時の後ろ姿を想像するだけで、自分の愚かさに胸が熱くなる。

それから数ヶ月、あのときほど祈ったことはない、それしかできないのだ。
ただ、祈るだけではなく、具体的に日にちを決めて祈った。「この日には帰ってくる」
人は実際経験してみないとほとんど理解できない。
私は子供によって「神の愛」がどれほどであり
私がどれほど愛の無い者であるかを知らされた。

私たちの祈りを主は聞いてくださり、12月25日に娘は帰って来た。
お盆と正月とクリスマスが一緒に来た様な日だった。
そしてそれからが古い自分との戦いでした。
主のなさることは、本当に時にかなって美しい。
それを、今日も見せていただいている。

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