前にも書いた事あったけど、後ろのモノは忘れた事の様にまた書かせて頂きますが、(沢山のエピソードもあったと思いますがそれも忘れたかも?)
小さい時から忘れ物が多かった私ですから、小学校へ上がるとすぐに両親は私に傘を買う事をしなくなりました(バスなどに忘れて持って帰ることが無いから)
「雨止んでひと傘を忘る。」でなく、まだ降っていても忘れた
憶えているのは、母が授業参観に来て後ろの所で一人一人の名前の棒グラフ表が目に留まり見てみると
自分の息子が2位以下を大きく引き離して断トツの1位!
母の心に誇らしさと嬉しさの混ざった気持ちが湧き上がって来たという(母も本家に嫁いだけど女ばかり3人、後継ぎの長男を所望されての私が末っ子の長男である事を理解しつつお読みください)。
何の成績表だろうと母が上の欄を見上げると「今月の忘れ物」と書いてあって今度は一転恥ずかしくなった、との事。
当時は(今でも?)
「何が恥ずかしいのだろう。何でも一番になるって事はいいじゃない」などと懲りずに思っていた。
母がそんな話をしていたからか、その時の事は良く覚えている。
ある時は、学校についてランドセルを開けたら、空っぽだった。
担任の先生はさほど反省もせずへらへらしている私に「今から取ってこい」と大声で怒っていつもの如く立たされていた。
そんな1時間目が終わり、家に歩いて帰り始めた。子供の足で道草しながらのらりくらりと進む帰り道は楽しかった。
数キロの道程だけどいつもはバスで通う道を昼前に歩いていると農作業している両親の畑の所で母が私を見つけ声をかえた。
私は
「先生が家に戻って持って来て欲しいモノがあるから、って言うから家に戻ってそれ持ってすぐまた学校にもどるさかい」と伝え
学校に戻ったのは午後2時を過ぎていた。
確か小学2年頃だったから、学校では、ちょっとした騒ぎになって探していたらしい。
携帯などない時代、教室に戻ったら先生が血相を変えて
「何処へ行っていたんだ」
「先生が家に行って取って来い、ゆったから歩いて行って来てん」(その後先生は、その事から学ばれて二度と私にはそんな事を言わなかった。エライ先生だ)
忘れ物がひどいというより、細かい事は気にしない性格なのかもしれない
学校からの宿題や、連絡事項を伝えたことはまずないし、運動会や遠足でさえ忘れて普通の用意で行ったこともある。
幸い上の姉達が、伝えてくれたり、ソロバンなどは学校でも貸してもらっていたから、
「人生、大抵の事はなんとかなる」と学べたのは学校へ行った収穫だった。
傘を忘れても濡れれる事を楽しめればそれもよし、傘以外のもので工夫できればそれもよし
そんな私も今日も仕事をさせて頂いているまことに有り難い
今日も梅雨らしいどんよりしたいい天気です。今週もあと2日
担任の先生は大変だっただろうなあ。
返信削除Saltさん 先生ならではの実感のあるご意見ありがとうございます。
返信削除この話には後日談があって書きましたが、続きは家内が近日書くと思います。
妻は「親は大変だったね」と言っております。
しかし続けて「でも、楽しかった(だろう)し」とも
有り難い事です。
読んで、自分は学校にランドセルを忘れて帰ったことを思い出しました。
返信削除やるなぁ baby
返信削除元気が何よりです。