まだ、高原では上を歩けるほど、氷が厚く湖面を覆っている。
昨日今日だけ見れば、ずっとこのままで冬が終わらないかの様だけど
見えない所では、いのちの躍動が深い所で始まっている。
何故、キリストを信じる人は”霊”を知らなければならないのでしょう
アダムがもし先に”いのちの木の実”を食べていたなら
キリストのいのちとも言える”神の霊”が、
アダムの魂の奥にあったアダムの霊の中に入いり、アダムに永遠を与えただろう
しかし、アダムはもう一つの実を食べこうして罪が入り
アダムの霊は死んだ(神に対してアクセス出来なくなった)
エバから生まれた者は、生まれながらにして霊が死んだ状態の罪人として生まれてくる。
以前の私には、罪を犯す以外の選択肢はなく、右を行こうが左を行こうが神を喜ばせる事は、なかった
旧約以前も聖霊は働かれていて、ある人と共に歩んだり、ある人の上に留まったり
激しく下ったりして、不思議な技を見せてくれていたが、イエスが来られるまでは、彼を信じるまでは
聖霊が人の内側に入り込み留まる事はなかった
それは聖霊の地上での唯一の住まいは、神が与えて下さる”霊”の内しかないからで
生ける聖霊は、死者の中で見つかる事はありません。
神の聖霊は、ただ、人の内側にある生きている霊の内にベッドを据え、
生きている霊の中にオフィスを置き活動を始めます。
神の意志を知りたいなら、自分の中にある霊に聞くしかなく
自分の身を死に引き渡そうとも、全財産を捧げようとも
どれほどの聖書の知識であっても自分の理解、知恵や理解や感情や思い、
強い意志であっても、入れるのはせいぜい聖所まで、
私たちは肉に従って歩まない時だけ、霊に従って歩む事が出来ます。
ただし、肉に従わないという選らびを、もし自分の思いや感情もふくめて意思決定する時には
肉に従わないという選択は不可能になる、つくづく魂はそれだけでは不自由だ
”霊は霊によって”、霊の知覚だけがそれを可能にならしめます。
それは、実に不思議な事です。
長女の庭に、咲き始めた福寿草
長野では、新しい季節の訪れを知らせる花です。
