2014年3月20日木曜日

新しい季節の息



まだ、高原では上を歩けるほど、氷が厚く湖面を覆っている。
昨日今日だけ見れば、ずっとこのままで冬が終わらないかの様だけど
見えない所では、いのちの躍動が深い所で始まっている。



何故、キリストを信じる人は”霊”を知らなければならないのでしょう

アダムがもし先に”いのちの木の実”を食べていたなら
キリストのいのちとも言える”神の霊”が、
アダムの魂の奥にあったアダムの霊の中に入いり、アダムに永遠を与えただろう

しかし、アダムはもう一つの実を食べこうして罪が入り
アダムの霊は死んだ(神に対してアクセス出来なくなった)
エバから生まれた者は、生まれながらにして霊が死んだ状態の罪人として生まれてくる。
以前の私には、罪を犯す以外の選択肢はなく、右を行こうが左を行こうが神を喜ばせる事は、なかった

旧約以前も聖霊は働かれていて、ある人と共に歩んだり、ある人の上に留まったり
激しく下ったりして、不思議な技を見せてくれていたが、イエスが来られるまでは、彼を信じるまでは
聖霊が人の内側に入り込み留まる事はなかった
それは聖霊の地上での唯一の住まいは、神が与えて下さる”霊”の内しかないからで
生ける聖霊は、死者の中で見つかる事はありません。
神の聖霊は、ただ、人の内側にある生きている霊の内にベッドを据え、
生きている霊の中にオフィスを置き活動を始めます。

神の意志を知りたいなら、自分の中にある霊に聞くしかなく
自分の身を死に引き渡そうとも、全財産を捧げようとも
どれほどの聖書の知識であっても自分の理解、知恵や理解や感情や思い、
強い意志であっても、入れるのはせいぜい聖所まで、
私たちは肉に従って歩まない時だけ、霊に従って歩む事が出来ます。
ただし、肉に従わないという選らびを、もし自分の思いや感情もふくめて意思決定する時には
肉に従わないという選択は不可能になる、つくづく魂はそれだけでは不自由だ

”霊は霊によって”、霊の知覚だけがそれを可能にならしめます。
それは、実に不思議な事です。



長女の庭に、咲き始めた福寿草
長野では、新しい季節の訪れを知らせる花です。


4 件のコメント:

  1. 一連の霊のお話をゆっくり伺いたいと思っています。電気屋さんは何かしら「特別なこと」を啓示され、経験されたのだと感じているからです。だからこそ、兄弟姉妹に丁寧に伝達していただきたいと願っています。

    ”霊は霊によって”、霊の知覚だけがそれを可能にならしめます。
    それは、実に不思議な事です。

    と、聖書にもよくありがちなこういう言い回しは、それだけででは、実はほとんど何も語っていないのと同じではないでしょうか。

    語弊があるかも知れませんが、私は「もし、いのちの木を食べていたらという選択はなかった」と思っています。仮にそうであったとしてもそれは、「贖われた人」とは全く異質なものです。実は善悪を知っていることは極めて大事なことだとも思います。さらに、機能不全ではあっても霊的な存在である罪人、再生された人の霊と助け主としての聖霊についても「厳密な表現」が必要だと感じます。

    不愉快なコメントになっていたらまことに心苦しいのですが、率直に書かせていただきました。

    Lukeさんにもお願いしているのですが、「霊」についての正しい理解のための発信が求められていると感じているので、そういう放談も企画中です。

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  2. この論点、非常に興味深いです。極私的にも、特にこの点についての兄弟姉妹の認識と経験をシェアしてみたいですね。

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  3. 「再生された人の霊と助け主としての聖霊」のモデルは、僕と主人や父と子より妻と夫になろうかと
    Lukeさんがわざわざ残していらっしゃる「厳密な表現」には、急に彼まで拝みたくなりましたよ(笑)

    一番イイのは、言い回しではなく各自が経験することですが、相応しい年齢になっている事と裸になる(させられる?)
    結構恥ずかしいですよ





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  4. Lukeさん お手柔らかにおねがいします^^

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