今日もだけど、昨日もブルーマウンテンという、言葉が相応しい感じです。
あまりにも、暖かくなってきたので、家内に声をかけました。
「さんぽ、しよう。」
近所の所では鶏も気持ちよさそうに歩いています。
独身貴族は、好き勝手に出来る自由がある
自分の好きな時に、外出し、好きな所で食べる
自分の好きなスケジュールを 自分だけで決めても、いいし
その日その日を ある意味お気楽に過ごせるし
相手の為に、長々と興味のないショッピングに付き合う必要もない(いつもそうじゃないけどね)
好きな相手とも好きな時に会い 抱き合って そして別れる
カッコ悪い所も見せないように出来るし
うまくいかなくなったら、少しつづ距離を置く事も容易だ
そして、また新しい恋を探すという選択肢も 社会的には受け入れられやすい
それでも、私は結婚生活は、独身の時とは比べられないもの
「ふたりは、ひとりよりまさっている」事に 私は心からアーメンする
そして、霊と歩むクリスチャンライフはそんな感じ
先日、想定外という話もブログでちょっと書いたんだけど
そもそもクリスチャンになるという事が、想定外の人生だけど
別に、そうでなくとも、リストラや、倒産、癌、交通事故、家屋全焼、ウツ、引きこもりなど
まあ、人生ってそんなもんだよね、って冷たく言うとそう
だけど、、何か今までの想定外と違うのは、いい流れの想定外で
自分の外で起きていると、いうことより、内側の想定外
霊と歩む生活という日々の想定外は自分では、
”こうしたい””
”この場合こっちを選ぶ”
”絶対そうでしょ”
”えっ、どうゆう事?だってあたりまえじゃん”
って、感じたり、思ったり、過ごしてきた事なのに、
それを自分が想定外を選ぶという想定外が発生している(ややこしい)
まあ、もちろんそれでも、選ぶのは自分なんだけど、その選びは自分を選ばないという形に近い
一人なら何を食べようが、断食しようが勝手だけど、もしパートナーと一緒にいて
「昼、何処で食べようか」
と、話をしている流れでの選択に似ている。
前から、言っているかも知れないが、何処で何を食べるかより、誰と食べるかが大事で
グルメ番組で出てくる様なステーキより、連れ合いと一緒に頂く一杯の味噌汁ってわけ
もちろん、今までも、そうやって来たつもりだったけど
なんだかんだ言って、自分のやりたい事を、賢いつもりの知恵で誘導して来ていた。
自分の魂より、自分の霊の方が神の定めた関係性では上で、その関係は夫と妻の様なもの
旦那は誰よりもへりくだっているから、妻が出ればそれが通るだろう
そんな事も聖書の中の旦那と妻の関係性でみると、見えてくる感じもする。
旅の途中でマリヤが
「えー、ここしかない、アンタ何考えているの、、、
こんな所に泊まるのは嫌よ、ア、リ、エ、ナ、イ、宿主ともう一度交渉してきてよ。
お客さんだって、臨月だからと泣き付かれれば、変わってくれる人もいるんじゃないの?
そもそも、アンタ人が良すぎるわよ、信じられそうもない話でも簡単に鵜呑みにしちゃうんだから(だから、結婚してくれたんだけど)
もっと、ずうずうしく、開き直ってみたり、泣いてみたり、アメとムチ作戦やってみ
キャラに合わないって、原因はちゃんと計画して予約しておかなかったアンタの責任でしょ。
アイタタッ、、、ほらアンタが怒らせるから、お腹痛くなってきたじゃない。
こっちは、アンタが田舎の出身だというだけで迷惑しているんだから
こんな調子だと、わたし実家に帰らせていただきますからね。」
などと、ヨセフに高圧的な態度だったらどうだっただろうか、もちろん妻の提案や忠告に耳を貸さない旦那は
全てのモノの主である方の権威をないがしろにしているとも言える。
ただ、エバやサラ、イザベル、アタルヤなどを見ていると
やっぱ夫を立ててこそ、賢き妻と思える
そしてその形の方が、美しいし、楽しいし、何と言っても楽
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