2014年3月26日水曜日

メガネ越しに見えてくるもの

小さいころから、おハギが好きじゃなかったけど
家内が嫁いで来てから、彼女がおハギ好きで

「オイシイ、オイシイ」

と食べるので、私も少しずつおハギ好きになってきた。
母の味を再現してくれる、妻のおハギが一番美味しいと、感じる。


先日、思い切って眼鏡を買った
小さい時から目は良くて、不自由した事はなかったが
加齢により 遠くがぼやけて、見ずらい様になってきていた

年始にゲレンデでしこたま眼を打っての検査で
なるほど、レンズを透すと、かようにはっきりと遠方が見渡せるのかと
バイクや車の運転時も市街地や夕暮れなどに効果があると感じたからである

家内も目は私より良いようだが
そのぶん老眼は、進んでいるようだったので
どうせ必要なものなら メガネは今買ってもいいのではと
車で帰宅途中の道沿いにある、眼鏡屋に寄った。

私は、モノを選ぶときあまり迷わないが
家内は、ファミレスのお決まりのメニューでも

「なんにしようかなー」

とか、選ぶのには時間がかかる。
冒険はしない堅実なタイプだし、倹約的でもあるから
そうした彼女を見ながら、ホントは殆んどアレでしょ的メニューが決まるまで
私は、待っているだけの時間となる。

眼鏡のフレームを選ぶという事になると、それよりは、やはり迷う事になる
私は適当に面白そうなフレームを2つ3つ持って行って

「これどう?」

などと持って行くが、ちょっと冒険する私の選んだモノをチョイスする事はまずない事もわかっている
それで私は店内の椅子に座って、持参してきた小説を見る。
少し離れた所にいる家内が

「これは、どうかな?」

と訪ねているが、ちょっとだけ首をふり

「それで、いいんじゃないの(どうせ、フレームは違ってもレンズは同じだし、、)」

.....的な、やり取りが悪かったのか、、
無事決まって、乗り込んだ車中、別に内気循環にしていた訳でも
外気導入で前にトラックがいた訳でもないのに車内の空気がすこぶる悪い
家内が

「何で、メガネ一緒にみてくれないの~」

「あなたには、興味はあるけど、メガネには興味がないんだ」

「それでも、付き合ってくれてもいいじゃない」

「その様な演技は出来るけど、素直に生きたい」

などと、問答みたいな事を繰り返していたんだけど
今になって考えたら、私が悪い
メガネ自体は興味がなくとも、メガネ姿の家内に興味がない訳ではない
他人のメガネだけ、あっても気にしないが
家内のメガネなら、無関心なワケではない。

それは、クリスチャンの活動にもちょっとだけ似ている。
2年前の末にクリスチャンとしての価値のある(神にとって)働きは”霊”しかないと、気づかされてから

「これは、肉そのものの動きだな」 とか

「全く魂としか言いようがない」

などと、心の中で揶揄してきたが、魂が体に命じているパターン自体はさしたる興味もないけど
家内の顔の上に乗っているメガネには興味がないわけではないように
霊の命にのっとって動いている魂の働きは、面白いと感じる
ただそれは、今の所 非常に稀だ


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