人々がイカに、税金を収めたくないかは、ガソリンスタンドの混雑でも良くわかる。
環境税と消費税増のダブルで、6円程明日から値上げとなる。
税金を納めれる事は、特権であるなどと高尚めいた事は言わない。
実際、今日は、持っていたガソリン缶も合わせ80ℓ程入れてきました。
「ハイオク、満タンで、、」
これは、なかなか気分がいい
私にとって、とっても贅沢な感じが貰える(俺って、豊かだ~、ってね)
だって、お金の無かった時は、財布の中を見てから、考えて~
「すみません、2,000円だけお願いできますか。」 だったから
バイクも満タンにしたのは、節約ではなく、リッチ気分を味わうためでもない
目的もなく、走り出す為、しいていえば、走る事自体が目的
姪たちが家内とケーキやらクッキーやラスクをつくっていたので
「ちょっと、行ってくる」
と、近くにあるんだけど、雪が完全になくなると
ここまでローカルな道は、走る事も無いので、逆に今しか走れない
実際、初めての道を気ままに、流す
この世的には、貢は出来ればあんまり収めたくないものだけど
神の国に置いての納税(そんなのあるならだけど、私的には似たような収めるモノがあると)は、
天に国籍を持つモノだけの特権
その納税方法は、献金というギラついた現ナマでは、もちろんない
全ての物の持ち主なる方が、そんなもの必要だろうか
もし、現金という形があるなら、それは、副産物的なもの
”いのち”とか
”いきる”とか
”いきた”ということばには”息”とえらく関係している
神が吹き込まれた”いき”によって
”いきた たましい”になった
生きている事は息をしていること
生きていく事は息をしつづけること
普段は意識して息をする事もないけど
息って、吐くのと吸うのは
どっちが先で?
どっちが大事?
吸う事は、この世界を自分の中に取り込む事
吐く事は、一度自分のモノとしたものを返す事
息を吐くという行為は、ひとつの自己表現でもあるし、
自分がこの世界にも影響を与える事でもある
目覚めた”霊”が吸い込む ”いき”はこの世のものではないから
その”霊”が吐き出す”いき”も、神のものである
今日、私の前を電気自動車が走っていた。
殆んど音もなく、スルスルと加速する(意外と速い、ま、その速さは内燃機関と違うのだけど)
排気ガスも出さず、騒音や振動もほぼ無い
だけど、旧態依然としたキャブレーターを複雑にリンクさせて
少し、濃いめの生ガスを無駄に吐き出して、前に前に進んでいくのは
とっても楽しく、どうしてだろ 満足がある
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