2015年5月11日月曜日

自制

アカシア特有の甘ったるい風がまとわりつくよう

「すごい香り~」

千曲川に架かる丹波島橋の上、ちょっと振り向いて声をかける

「うん」

かき消されそうに後ろで小さく声
ちょっとヘルメットを縦に動かしているのがサイドミラーに見える

上流には遠くに北アルプスがくっきりと見える
帰宅途中の車の流れが途切れ前方が開ける
両側のパニアケースには買い物した食材がズッシリ詰め込まれている。
軽くアクセルをゆっくりと、でもしっかりと開ける

「ぐぅぅ、、るるぅぅぅ、、」

フラットツイン特有の低音をうならせながらシットリと加速して行く
丁寧に扱っていると本当にBMWという機械は乗り手に優しい
鉄とアルミの塊が自分の手足の延長になった様に感じれる程で
思い通りに出来るとゆっくり走っていても気持ちが好い
善光寺通りを右目の奥に見ながら左折して30m程の所にある最後の信号

そこから私の家まであと12km飛ばせば15分
だけど今日の夕暮は何だか勿体無い感じがして
渓谷沿いを左右に奏でるように登って行く

オートバイをコントロールする、それは楽しいし満足もある
その様に、自分の体もコントロール出来たらどれほど幸せだろうか
以前、それはあの呪われた「実」の影響で、どれほど努力しても出来なかった事
絶対抜け出せない牢獄の様に、この滅びゆく体に幽閉される魂

魂では魂は制御できない、そして死んだ霊は死にゆく魂を従えせない
だから魂は肉体に従ってでも何とか生きていこうと必死になってきた。
蘇った霊だけが、魂を神の御心のままに躍らせその魂は体を従わせる事が可能になる。
それは、なんと楽しく、喜ばしい事だろうか

私が最も私らしくある時は、私が私の霊に従っている時だけ
私の霊が、私の魂に命じ、私の魂が、私の体に命じる時だけ私は本当に自由なのです。
それは私を造られた方の御心の通りに私が永遠に生きる時でもあります。

霊の父が、キリストを霊の体で蘇らせ
キリストの息が、私の霊を生き返らせ
生き返った私の霊が、私の魂に命じ
救われた私の魂が、私の体に自制を与えて下さる。



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