一昨日から、やっと夏らしい天気
昨日バイクで走った感じでは、まだ戸隠に住むようになってからの夏本番にはまだ達して無い感じで、熱風ではなく涼やかな風を浴びてきた。
朝、テラスでギターを奏でを聞いている様な レイディ
彼は今日飯綱山を登ってくるらしい、たのしんでね。
今日は多分この夏一番の夏らしい日を味わえるだろう。
よし、「あまちゃん」を見てから行こう。
2013年8月9日金曜日
いい天気
朝からいい天気、空気が爽やかで気持ちいい
家内に「ねぇ、今日黒姫登らない?」って聞いた。
一応信濃富士とも言われる2,000mを越える山だから
どうも、心の準備が整って無くて今日ではないらしい。
さて、今日は何をしようかと、
生ごみを裏に捨てに行ったらブルーベリーが採り頃になっている事を思い出し、
ブルーベリーを採っていたら、インゲンが気になって、見たらもう大きくなり過ぎているのもある。
インゲンを採っていたら脇のジャガイモも目に入ったけどアレは土の中にあるからスルー
けれども先日も大きくし過ぎたズッキーニを見ると、食べれるけどあと1~2日置いていく方がベストかな~っておいていく。
信濃町での夏の普通の挨拶
「こんな暑さが少しでも続けばいいね」
ってわからなくもないね。 そんないい天気です。
家内に「ねぇ、今日黒姫登らない?」って聞いた。
一応信濃富士とも言われる2,000mを越える山だから
どうも、心の準備が整って無くて今日ではないらしい。
さて、今日は何をしようかと、
生ごみを裏に捨てに行ったらブルーベリーが採り頃になっている事を思い出し、
ブルーベリーを採っていたら、インゲンが気になって、見たらもう大きくなり過ぎているのもある。
インゲンを採っていたら脇のジャガイモも目に入ったけどアレは土の中にあるからスルー
けれども先日も大きくし過ぎたズッキーニを見ると、食べれるけどあと1~2日置いていく方がベストかな~っておいていく。
信濃町での夏の普通の挨拶
「こんな暑さが少しでも続けばいいね」
ってわからなくもないね。 そんないい天気です。
2013年8月8日木曜日
2013年8月6日火曜日
加賀の千代女
演出家森田雄三さんのブログに加賀千代女の事が書いてあった。
彼は彼女と同じ旧松任市(現白山市)の生まれ。
私の家内の母も松任市に住んでいて私も馴染み深い所でもあります。
だいたい名を残した俳人たちは旅をしているもので日本各地の俳句好きを訪ねている。
千代女も大阪や伊勢、名古屋に歩いて旅をしている。
絶世の美女だったとも、また、そうでなかったとも言われるが、残っているの肖像は確か51才と71歳の時のものだけで、だからこそイイわけです。
ブログもメールも無い時代、手紙さえ相当な金額がかかった時代(龍馬が姉に宛てた沢山の手紙は1通50両とも推定、、)
そこで初対面の人と「俳句のやり取り」をする。
バイカーはバイクにどの様に乗っている事が優先され、社長さんであるとかプー太郎であるとかは関係ない。
犬好きが互いの犬の話題で盛り上がる様に、彼女達も「俳句」が挨拶代わり。
「俳句」があるから、知り合いになれるということ。
そんな歴史的逸話として、加賀のお殿様と千代女にまつわる、次のような逸話があります。
ある日のこと、加賀のお殿様((10代藩主前田重教?)が、女流俳人として名高い千代女の噂を耳にして、金沢城に召し出させたときのこと、
お殿様のお出ましがあり、御殿の大広間で平伏していた千代女が、
「お面(も)てを上げてもよい」
とのことで、お面てを上げたとき、殿が読んだ詩が
「加賀の千代 何にたとえよう 鬼瓦(おにがわら)」
千代女はすかさず
「鬼瓦 天守閣をも 下に見る」
と返したそうです(当時は結構な高齢だったろう千代女、71才のときの自画像は、しとやかな品のある尼の姿ですが)。
また、千代女の俳人としての才能をためそうと、
「一句のなかに四角と三角と丸を詠(よ)み込んで見よ」
題をお出しになったところ、千代女は一呼吸おいて
「蚊帳のなか(□) ひと角はずして(△) 月をみる(○)」
と詠み上げ、お殿様はその受け答えに感嘆、俳句だから受け入れる事が出来るゆとり(まあ、遊びなんですが)。
当人の身分や何を成したとかは、関係なく楽しむ事、日頃の肩に背負っているものを降ろして、今目の前にいる方と向かい合い語らう。
彼女の詠んだもので最も有名なのは
「朝顔やつるべとられてもらひ水」
彼女は月も多いけど朝顔だけでも相当あります、朝鮮やかに咲かせて昼にはしぼむそんな所も魅力だったのかもない。
そんな彼女の最後の句は
「月も見て 我はこの世を かしく哉」
意訳(病気の私は、もう命が短いが、仲秋の名月の夜、今年も 明るく澄みわたった満月を見ることができた。
そして、 世の中のあらゆるものを十分に見つくしたので、思い残すことなく、心やすらかにこの世の中を去ることができる。)
”かしく”は女性だけが最後に付ける事を許された言葉”かしこ”と同じ言葉だったらしいですが、
かしこく生きて世を去る時に「、、それでは、この辺で、 かしこ」とさっぱりと行きたいものです。
彼は彼女と同じ旧松任市(現白山市)の生まれ。
私の家内の母も松任市に住んでいて私も馴染み深い所でもあります。
だいたい名を残した俳人たちは旅をしているもので日本各地の俳句好きを訪ねている。
千代女も大阪や伊勢、名古屋に歩いて旅をしている。
絶世の美女だったとも、また、そうでなかったとも言われるが、残っているの肖像は確か51才と71歳の時のものだけで、だからこそイイわけです。
ブログもメールも無い時代、手紙さえ相当な金額がかかった時代(龍馬が姉に宛てた沢山の手紙は1通50両とも推定、、)
そこで初対面の人と「俳句のやり取り」をする。
バイカーはバイクにどの様に乗っている事が優先され、社長さんであるとかプー太郎であるとかは関係ない。
犬好きが互いの犬の話題で盛り上がる様に、彼女達も「俳句」が挨拶代わり。
「俳句」があるから、知り合いになれるということ。
そんな歴史的逸話として、加賀のお殿様と千代女にまつわる、次のような逸話があります。
ある日のこと、加賀のお殿様((10代藩主前田重教?)が、女流俳人として名高い千代女の噂を耳にして、金沢城に召し出させたときのこと、
お殿様のお出ましがあり、御殿の大広間で平伏していた千代女が、
「お面(も)てを上げてもよい」
とのことで、お面てを上げたとき、殿が読んだ詩が
「加賀の千代 何にたとえよう 鬼瓦(おにがわら)」
千代女はすかさず
「鬼瓦 天守閣をも 下に見る」
と返したそうです(当時は結構な高齢だったろう千代女、71才のときの自画像は、しとやかな品のある尼の姿ですが)。
また、千代女の俳人としての才能をためそうと、
「一句のなかに四角と三角と丸を詠(よ)み込んで見よ」
題をお出しになったところ、千代女は一呼吸おいて
「蚊帳のなか(□) ひと角はずして(△) 月をみる(○)」
と詠み上げ、お殿様はその受け答えに感嘆、俳句だから受け入れる事が出来るゆとり(まあ、遊びなんですが)。
当人の身分や何を成したとかは、関係なく楽しむ事、日頃の肩に背負っているものを降ろして、今目の前にいる方と向かい合い語らう。
彼女の詠んだもので最も有名なのは
「朝顔やつるべとられてもらひ水」
彼女は月も多いけど朝顔だけでも相当あります、朝鮮やかに咲かせて昼にはしぼむそんな所も魅力だったのかもない。
そんな彼女の最後の句は
「月も見て 我はこの世を かしく哉」
意訳(病気の私は、もう命が短いが、仲秋の名月の夜、今年も 明るく澄みわたった満月を見ることができた。
そして、 世の中のあらゆるものを十分に見つくしたので、思い残すことなく、心やすらかにこの世の中を去ることができる。)
”かしく”は女性だけが最後に付ける事を許された言葉”かしこ”と同じ言葉だったらしいですが、
かしこく生きて世を去る時に「、、それでは、この辺で、 かしこ」とさっぱりと行きたいものです。
2013年8月5日月曜日
学ぶこと
今日ヒナは足の指で扇風機のスイッチを入れたり切ったりしていた。
家内が足でやっているのを見て学んだようだ。
私の家では、薪ストーブに 柵は回していない。
うちで育った子供達は一度も薪ストーブで火傷をした事は、ありません。
逆に、私は何度か薪の出し入れで、皮手を使わずに、火傷の経験があります。
猫や犬でさえも薪ストーブの快適性と危険性を覚える事が出来るのですから、例え1歳児であっても知ることはそれほど難しくありません。
ヒナも、よちよちであっても、燃えている薪ストーブを中心に円を描くように遠ざけて歩いていたものです。
所が先日見ていたら、薪ストーブのハンドルを触って、上下に動かし、扉さえ開閉して中を確認していました。
その事を話すと家内は最初「冬になって同じ事をしたら大変だから、止めさせないと」などと言ってましたが、
ヒナは、薪ストーブが危ないのではなく、薪が燃えている時が危ないことを知って確認していたんだろうと、話すと安心していた。
大事なのはルールを守る事じゃなく、何故こんな決まり事が出来たのか、そのルールの意味を知って危険を避ける様になる事が望ましいとジィジは思っています。
ただ、少し前までは、長女が虫を怖がっていたのを見てヒナも怖がっていたのだけど、
家内が足でアリを踏み潰すのを見て、ヒナもそれ以来踏み潰す様になってしまった、ハハ(汗)
家内が足でやっているのを見て学んだようだ。
私の家では、薪ストーブに 柵は回していない。
うちで育った子供達は一度も薪ストーブで火傷をした事は、ありません。
逆に、私は何度か薪の出し入れで、皮手を使わずに、火傷の経験があります。
猫や犬でさえも薪ストーブの快適性と危険性を覚える事が出来るのですから、例え1歳児であっても知ることはそれほど難しくありません。
ヒナも、よちよちであっても、燃えている薪ストーブを中心に円を描くように遠ざけて歩いていたものです。
所が先日見ていたら、薪ストーブのハンドルを触って、上下に動かし、扉さえ開閉して中を確認していました。
その事を話すと家内は最初「冬になって同じ事をしたら大変だから、止めさせないと」などと言ってましたが、
ヒナは、薪ストーブが危ないのではなく、薪が燃えている時が危ないことを知って確認していたんだろうと、話すと安心していた。
大事なのはルールを守る事じゃなく、何故こんな決まり事が出来たのか、そのルールの意味を知って危険を避ける様になる事が望ましいとジィジは思っています。
ただ、少し前までは、長女が虫を怖がっていたのを見てヒナも怖がっていたのだけど、
家内が足でアリを踏み潰すのを見て、ヒナもそれ以来踏み潰す様になってしまった、ハハ(汗)
2013年8月4日日曜日
2013年8月1日木曜日
グレーてるグレてない
伊勢湾岸を桑名から豊田方面に向けて車を走らせていた。
バックミラーをみると後方からそれなりの勢いで近づいてくるバイクが見える。
ここは橋の上でも道幅にゆとりがあるから車線が開いて無くても車と車の間を殆んど減速もせずに抜いて行く
ZX-14Rが一台、二台、三台、四台 一本の糸が牽かれているいるように、切り返しながら小さくなっていく。
同じ車種どうしで、走らせ方の傾向が似ている者同士なら、お互いストレスはあまりないだろうけど実は面白みは意外と少ない。
それは、スピードというピンポイントな魅力で繋がっているだけで、誰か一人が、些細なミスで障害を持ったり、ハーレーに替えたりしただけで崩れていく関係でもある。
長い間世界最速の名をほしいままにしてきた文字通り、飛ぶ鳥を落とす勢いだった隼を追い落としたZX-14Rだけど
頂点は狭くそこにいれる時間は短い、まるで自分がバックしているじゃないかと思えるほどみるみる車間を開け放っていく4台のZX-14Rを見ながら「死ぬなよ」と心の中で呟いた。
前に、良い知らせを聞いてから具合が良くなったら行きたいと思っていた桑名に住むご夫妻の所に伺って今回初めて、ほんのわずかだけど「交わり」を感じれた。
聖書も持って行かなかったし、御言葉も語るでもないけれど、それは蛤の2枚の貝殻がぴったり合うような感じで自然な事。
”ぐりはま”ということば(あるいはスラングまたはシャレかオタク用語)がある、物事が食い違うことや、あてが外れること。室町時代から使われている言葉だそうです。
図のように『蛤(はまぐり)』をそのまま逆さまにした文字で書かれますが、漢字辞書には載っていません。
これは正式な漢字ではなく、「おのがばかむらうそじづくし」という著者の造字(国字)だといいます。
ハマグリの貝殻は、ペアになっている殻以外ではぴったりと形が合わないという性質を持っています。このことから『はまぐり』の倒語として『ぐりはま』が生まれ、食い違って合わないことを意味するようになりました。
「神経衰弱」に似たゲームの貝合わせ(貝覆い)という遊びでは、ピッタリ合わなかった貝殻のことを『ぐりはま』と呼んでいたことからのことば。
ちなみに、不良になることを意味する「ぐれる」という言葉は、この『ぐりはま』→『ぐれはま』→『ぐれた』からきているそうです。
グレるということばは家族の間で、噛み合わなくなったという事の一つの結果
今まで、価値があると思ってきた事が、つまらなく思えたり
何気ないものが特別なモノに思えるパウロもそうだったのかな、、
食べた事のない程大きくて美味しい蛤「ご馳走様でした」
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