人は、、、
探してみたり計画を作ったりするモノ、、
戸隠の教会を出て人由来であったとしても
いわゆる”交わり”というものが遠のく
ただでさえ、お隣が遠く少々人恋しくなる様な所に住んでいる
わざわざ訪ねて来てくれる人もほとんどない
いわゆる”交わり”のない7年
その後まるでリハビリの様に、あちらこちらで不定期な”交わり”が
それは多くの刺激も教えてくれたけど、
定期的に合うには距離的な隔たりが存在していた。
「いつか、神様はここでも始めさせてくれるかも知れない」
そう願いながら、
「ひょっとしたらこの人」
「この人かも知れない」
「この人たちなんじゃない」
と思えるような人々との出会いはあったのだけど、主から
「いま、はじめなさい」
の、ことばもなくさらに5年
明確な啓示はなかったけど経験から教えられる事
いわゆる聖書の学びや話のテーマを決めない事もそうなのだけど
具体的には
「集まる場所を決めない
集まる日時を決めない
集まるメンバーを決めない」
それは極私的に与えられたものだけどそうする事によって
隙間のような時間に霊が働いてくれる(又はスルリと働く時がある)
それでも時々、古傷の様に魂は疼くときがある
決してそこを見つめ続けず、掻き毟らず、
見上げるのは、いつも キリストならイーネ
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