2016年6月28日火曜日

そんなバカナ!キャリパー

 ショベル時代のハーレーの特徴の一つに無骨でゴッツイ作りがある
全体がそうなのだけど例えばブレーキ
中期のショベルまでは(以前乗っていたFLTのショベルは後期型で日本のニッシン製になりだいぶスマートに)
びっくりする程大きくて 先日あった人もマジマジ見て

「これ俺の車のよりデカいね」

しかもアメリカ車のブレーキ自体効きが甘いのだけど
この頃のハーレーのブレーキは国産車を乗ってきた人間から見れば恐ろしく効かない
4本指で握力測定の如く握ってもスーって感じ(←多少大袈裟)

エンスーに言わせると

「緊急時のパニックブレーキでもロックしないから安全なのだ」

とか

「ブレーキが効かないから自然とスピードも出さないし車間距離も十分開け周りの状況に気を配るようになる」

などとポジティブ変換するが、いやはやなんともな世界なのです。
バイカーからバナナの様にでっかいからハーレー用語では

「バナナキャリパー」

と呼ばれているが
オッソロシク大きくて重いキャリパー故に、それを支えるこれまたぶっといピンであっても
ハーレー特有の振動とも相まってこけしの様に面白いように削れていく
いったん細くなるとそこに力が集中し簡単に中折れするとネットにも書き込みあり
男でなくても考えただけでも恐ろしい

だから社外品のバナナキャリパー スタビライザーなどと言うハーレー以外ではありえないモノもアマゾンでも楽天でもちゃんと今でも売ってます。
?以下 説明文の一部をコピペ

「振動と自重でマウントのガタが大きくなりがちなバナナキャリパーのスタビライザーです。
バナナキャリパーは1ポットの片押しなので、ガタをゼロにして組むのは危険
こちらは26ポンドのスプリング圧でスタビライズする対策部品(ちなみにフロントも同じなのでリーフスプリングタイプの物付けてます)」

笑っちゃうのは社外の軽く、効率の良い、コンパクトでちゃんと効くブレーキではなく
このバナナキャリパーが以外や日本だけでも無く海外でも人気なのだからハーレー乗りのバカさ加減
優しく笑ってあげてくださいませ。


2016年6月22日水曜日

ハーレーダビットソンというバイク

ある意味でハーレーをハーレー乗りをアメリカを本気にさせたのは日本人である。

アメリカに数百もあったバイクメーカーはバラ色の夕暮時を迎える事も無く
最大のライバル、インディアン社も1953年に倒れた,
が、残ったハーレー自身も勝者と言うよりも血だらけの帰還兵の様に息も絶え絶えで当時年間数千台しか売れず
フォードが自社製品より安い4輪を販売しはじめバイクが交通手段の主流になるという夢は完全に断たれ
ヨーロッパ市場でもハーレーは見向きもされていなかった。
そんななか唯一の例外が日本であった。
アルフレッド.リッチ.チャイルド(もちろんユダヤ人だね)が1920年代にはコンスタントに年間2千台以上が売れる金の鉱脈といえる市場を発見する。
実にハーレーが生産する半分近くを日本が捌いたのである。
その後アルフレッド.リッチ.チャイルドの応援もあり今も現存する三共製薬がライセンス生産権得て、
当時ハーレー本社にとって邪魔者となりつつあった古いモデルの生産ラインの機械や金型全てをミルウォーキーから日本に運び
日本ハーレダビットソン社となり日本でハーレーを生産し始める。

その後戦争で敵国の名前を使えなくなっても一般公募により「陸王」として改名1959年まで生産を続けた。
その頃日本でタケノコの様に生まれたオートバイメーカーは陸王だけでなくイギリスの名門メーカーをあっという間に駆逐し、アメリカに進撃を開始していた。
ホンダはイメージの悪いハーレー乗りを揶揄するかのように

「ナイセストピープル オン ホンダ」

のキャンペーンを開始→大成功を収め
他メーカーも未開の地の様にアメリカ市場に乗り込んだ。

片や迎え撃つハーレーは1968年にAMF(アメリカン・マシーン&ファウンダリー)社がハーレー社を傘下に加え、AMFの一部門に降格
AMFは総合的にレジャー用品を扱うベンチャー企業でAMFマークは日本では当時ボーリングのピンを並べる機械?によく付いてたと思います。
とにかくハーレーは自力で動けずとても日本車に対抗できる手段は無い状態だった。

なすがままだったハーレーの復活は意外な所から始まった。
全米の正当派のモーターサイクルマガジン数社がもうミルウォーキーのマシン(つまりハーレー)にはレポートする必要は無いとして試乗すら取りやめた頃、
その反動として安手ながら威勢のいい雑誌が出る。
疲弊しきった退役軍人やオートバイギャングとも呼ばれた、世にならず者用愛読書として
「イージーライダーズ」や「アイアンホース」が創刊
瞬く間に二輪雑誌トップの75万部の読者を築き上げ、二番煎じの摸倣誌までもが既存モーターサイクル雑誌を引き離し出版界を騒然とさせる。
彼らはメーカーが売ろうとする善良平凡のイメージにことさらに反抗し、胸をはだけ入れ墨をむき出し改造ハーレーにふんぞり返る姿を掲載し続けた。
それまでもアウトローと呼ばれるバイカーは沢山いたのだが社会の底辺であまりにもバラバラでカウント出来なかったのだ。

ハーレーをはじめアメリカのモーターサイクル団体(代表はAMA)は長きに渡り社会の底辺に居る彼らを無視し白眼視してきた。
ある時AMAは

「ライダーは一般市民から悪く見られがちだが、その99%は愛すべき善良な市民なのだ」と公言

それに反応して彼らは自分達こそ残りのそれだと自らを「1%ter」と呼んだ。
彼らは時に留置所や議会所を取り囲み、仲間を武力で開放したり
ヘルメット義務化法案時期に、路面にむき出しの頭をぶつけて割ろうとも文句を言わずにいる権利を求め勝訴。

「イージーライダーズ」は当時ハーレーのディーラー団体が1ページ広告を出す提案をしたが、雑誌側はAMFハーレーのCEOがスーツ姿でリムジンで乗り付けた事などもあり(?)全面白紙のページをわざと掲載

そんな中一人の創始者の子孫があることを思いつく、ウィリアム G.ダビッドソンである
通称“ウィリーG”は後にこの会社の救主となるのである。
彼はひそかにアウトローらと接触し彼らの生き方を教えてもらう。
彼はいささかの創造的思想と少しの幸運があればこの潮の流れを変えられると確信していた。
彼は部品倉庫から集めたような今までに無いマシンを世に放つ

1977 FXS LowRiderと1977 XLCRである
デカくて重い部品を外しフォークを伸ばし、セルさえ外してワザとキックスタートに

これが大ヒット!

その頃には結婚してみたものの上手くいかない夫婦の様にAMFとハーレーの離婚は明晩避けがたい状況でもあった。
AMF側は既にハーレーの運は尽き果てたのだから、出来るだけ損失を減らしたいと売却工作を始めていた。

「ウォールストリートジャーナル」がAMFはハーレーをホンダに売却と報じた事で
ハーレー社員のストライキで危うくハーレー社自身、流産しかけそうな時
13人が個人資産を持ち寄って資金を捻出、1981年2月不協和音が絶えなかった10年の後AMFは重荷から解放される。

その頃はホンダとヤマハ両巨人の争いで競い合って価格競争を繰り返しハーレー社の売り上げ増加の可能性はゼロに近く細っていた。
アメリカのバイクと車業界は全体が恐慌状態で日本はその指針となるカルフォルニアの半分を支配

産業コンサルタントは日本とアメリカではビジネスのやり方に3つの大きな違いがあると指摘

1.日本では労働力は技術だけでなく、”やる気”も評価されること
2.いわゆる”ジャスト イン タイム”在庫管理の徹底
3.”統計的工程管理”という何所でも通用する真理

この考えの元はアメリカで生まれ、その後ガラパゴスの様に島国日本で標準化→さらなる発展を遂げ
アメリカの時代遅れの技術と比べて日本は物作りを桁違いに高めていた。

独立したハーレーも日本の侵攻に対する反撃として、日本のやり方を取り入れ、
脆弱な電気関係は日本電装に、品質にばらつきのある足回りやブレーキは、元はホンダが作ったニッシンに
それにウィリーGの卓抜なアイディアがプラスされた。
そしてその頃カルフォルニアから馬に乗って現れたような長身の男レーガンが大統領になる。

アメリカは”原点にもどれ”が合言葉になり何故か彼の時代を超えたヤンキー的なことばとその心地よい語りかけをきっかけに、
デジタルウオッチに変えてアナログウオッチに
喋る電化製品や車が疎まれ、本物のウールが好まれカウボーイブーツや手作りのベルト、リーバイスのジーンズが大人気を呼ぶ。

1983年ウィリーGはペンシルバニアのヨークからミルウォーキーのホームグラウンドまでツーリングを敢行

旅のテーマは「鷲は一羽で飛ぶ」

これはAMFとの繋がりの終了と日本車との単独の戦いを意味した。
これ以後ハーレーのロゴマークに鷲が多く入る事になる。

その頃には市場の拡大はどうやらアウトローと準アウトローの集団から始める事にハーレー社も気づき始める。
ハーレーの魅力を一般大衆に向かって最も強烈に放ってくれるのは実は彼らなのだ。

「また日本がくる」

そんな思いは真珠湾世代でなくてもアメリカ人の意識にある。
時代遅れのデカくて鈍間な恐竜に好き放題群がるネズミの様な日本のオートバイ
それはパールハーバーに停泊していた戦艦らを突然やってきて好き放題に破壊したゼロ戦の様に彼らは感じただろう。
今や唯一のメイドインUSAのバイクであるハーレーを自分らアメリカ国民が守るのだ!ってね

日本のお蔭で彼ら自身が見限っていた時代遅れのマシンの旗の元、彼らはついに一致団結したのである。
手持ちのモノは古臭く重く扱い辛いものだけど、実はそれこそが大切なモノだと気づいた。
少々薄汚れているが
やっぱり青い鳥は自分達に最も手近なところにいたのだ。

それ以降、焼き付き、オイル漏れ、駆動系のトラブル、電気系不良、ベアリング焼損、ヘッドガスケット洩れ、バルブ焼き付き、その他あらゆる無数の路上でのトラブルは、
ハーレーを愛するライダーからただ許容されるだけではなく妙に望まれるようになる、

「だってハーレーだからね」(以前からアウトロー達はそうだったのだが)。

また繰り返すそのトラブルのお蔭で部品は常に供給されるし、完成度も低いから直しやすく結果アフターマーケットパーツもよく売れる。
壊れる事で需要が生まれ、修理する事で愛着も育ったわけ
それらの部品群はモンキーと同じで
どんなに古いハーレーでも全くゼロから組み立てられる程である。

日本のバイクに慣れたライダーはハーレーのブレーキは効かないとかすぐ言うだろう、それがどうしたこれはMade in USAなのだ。
気にいらないなら自分で好きにすればいいパーツは悩む程に沢山ある。
ハーレーはあくまで素材なのだ。
特にショベルの時代、新車時点ですら完成品とは言えないものだった。
そしてそれはいくら手を掛け品を変えても完了する事は無いだろう
だからいつまでも弄り続ける事が可能となる

ここまで読んで頂けたなら

「どうしてハーレー?」、、とか 「ハーレーの何がイイの?」

そんな疑問が少し理解出来たり、今日も汚い格好でボロボロのハーレーに乗る輩の気持ちのホンの一部を許せるかも知れない。


ハーレーを選ぶという事②

私がまだ石川の時代だから25年以上前 
当時の我が家の居間に鎮座していたテレビでは東京モーターショーを映していた。
華やかなコンパニオンと共に最新の(そして今ではほとんどガラクタの)車達の前で
故徳大寺 有恒氏がインタビューされていた

「最後にお聞きします。これから車はどうなっていくのでしょうか?」

「わからない、、、でも少なくともこれだけは言えると思うんだよね。
より速く、より快適に、より安全に、より経済的に」

それはまるで預言のようになって来ている


そしてそれに逆らうかの様なメーカーもまだ存在する
その筆頭がハーレーだと言ったら言い過ぎだろうか

「何に乗ってる」と聞かれハーレー乗り同士ならでは伝え方がある

「ナックルのFL]又は「ショベルのFLH]「アイアンのスポスタ」など
エンジンが先にあって、形状説明がそれに続く
それは変わらない事こそ唯一の価値だと考えているからこそ生まれた言い方である。

最もハーレーらしいと言われるウルトラやスポーツスターを初代から最新型まで並べて見て頂きたい。。
そのスタイルは何も変わってない様に思えるだろう
時代に合わせる為に載せるエンジンを変えてきただけの様にすら見える
何故日本の車は定期的にモデルチェンジを繰り返すのか
一言でいえば販売促進の為だ。
今までの車を古臭い過去に追いやる手法である。


車好きな故徳大寺さんはこうも言っていた。

「僕にとって自動車は、自動で動く車では無く、自らが動かす車」

しかし、今や車はどんなに不器用な市民にも扱える家電製品の様で自動運転の足音もかなり近い所に聞こえる。
ひきかえバイクは、乗り手に常にバランス感覚、運動能力、持久力、そして乗り出す勇気が要求される。
天候や物理の法則に対する脆弱性はウォルターダビットソンとビルハーレーが初めて自分達のバイクに跨った1903年とほとんど変わっていない。
その頃アメリカでは250ものバイクメーカーがひしめきあっていたが
彼らの数々の夢と野望は、たちまち打ち砕かれた。
それは風雨氷雪、泥、灼熱、極寒がよほどの技量と胆力をそなえるライダーを除き、利用を制限したからだ。


人生上手くいかない時もある
横殴りの冷たい雨がこれでもか!って叩きつけパ○ツまでグッショリな時もある
灼熱の太陽がジリジリと肌を焦がす時もあるし、冷え切って顔の表情が固定されたままコタツに小一時間うずくまったままの記憶は数知れない
時にはヘルメットが割れる程、アスファルトに叩きつけられる時もあった
だから何だっていうんだ 何を選び何に乗るかその自由だけは誰も奪えない。

2016年6月21日火曜日

ハーレーを選ぶという事

「バイクは走ってナンボ」

「加速こそバイクのいのち」

「バイク持ちではなくバイク乗り」

「故障は無いに越した事はない」

 こころからそう思う

能力が変わらないなら、より安い方がいいに決まっている
自分の体にフィットし扱いやすく、手足の様に思い通り動く
当たり前だけど そう思い込んでいないだろうか

今まで少なからずバイクに乗ってきたモノなら初めてハーレーに乗って面食らうのは
その重さと鈍重なエンジンだけでなく、ニーグリップを許さないかのようなポジション

人車一体という言葉があるように、
機械と自分がひとつになった様に駆け巡る喜びをハーレーは拒否し続けている様に見える。
まさにホースバックライディングよろしく馬は馬で、乗り手は乗り手
人は機械の一部ではなく、また機械も人の一部にはなれない
人はそのマシンに相応しく扱う担い手でしかない。
それは結婚生活にもどこか似ていると思う
どちらかが一方的に我慢したり、繕うものでもない

「互いに愛し合い、仕える」

とあるように双方が寄り添い合って生き続ける様な関係

ある意味不自由さを強いるハーレーだがよく「自由の乗り物」とも言われる。
しかし勘違いしてはいけないハーレーを手に入れれば”自由がもれなく”付いてくるというものではない。
実際友人の知人は頭金なし196回ローンでハーレーを買ったが磨いてばかりでほぼ乗らないというし
ヤフオクのハーレーでもさほど走ってないハーレーも結構見かける。

走り続ける事、家族ご近所の白い目や経済的事情、運転免許所の点数にめげず
走り続けるなら ひょっとしてあなたのハーレーは
 あなたにとって ”どこでもドア”の様なものになれるかも知れない。
バイカーにとって有名なこの言葉を最後に記させて頂きます。

「Live to ride.Ride to live.」

乗る為に生きる。生きる為に乗る


2016年6月20日月曜日

ケーターハム

 車好きだけじゃなく、バイク乗りであっても気になる車
スーパー7
 まさに4輪のバイクであります。


 さすがヨシムライイ音させています。
絶版でヤフオクなどでビックリする値段が付いているというスーパー7あるある

はぁーれぇー

「ハーレーの何がイイの?}

「ハーレーはイイとしてハーレー乗りって何か好きになれない!」

そう思っている方も少なくないんじゃないかなと(私もですが、、)
デコトラみたいにキラキラさせてゾロゾロもそうだけど
チョッパーやラットなどのライダーは着ているモノも黒系のまあそんなに綺麗そうじゃない感じ(実際クラブのベストは洗濯不可)、、、
ホント傍から見ると、そんな風に思えるのも無理はない

しかし、もし自分がそちら側に行って見たらまた違った世界が見えて来るかもしれない
別に、あなたにそうなって欲しいと言っていませんのでご安心を。

所であなたはフットクラッチのバイクに乗った事があるだろうか
新しいハーレーでもあえてそうしている人達がいるが、
世界に沢山メーカーあれど
ハーレー以外ではまず見たことがない。
ハーレー乗りにはある傾向があり、6速より5速、4速.3速と旧い形態の方が好まれる気がする
わざわざガラスのテールライトやウインカーに変えている人もいて、只でさえ振動の多いハーレーだから
落下して破損する不安と戦いながら走っているとも言える

さらにハーレーにはチョッパーという無駄に長いフロントフォークを持つ種族もいて
重心も後ろなのに太っているからはさておき(アメリカではほぼそうだけど)おねーさんを後ろに乗せたりして、、
尚且つ、ザックやホームセンターのボックスを積んでいるお方もいる。
ちょっと想像力を働かせて頂きたい、そんな行為がどれほど大変な事であるかを、
チョッパーは只でさえ後ろに重心があるのにタンデム又は荷物を積む重量物は殆んど後ろになるからバランスも悪い
上り坂などで信号待ち等になった時は、タンデムの方は決して左に重心を移してはならないのである!

何故なら左足はクラッチを操作しているから重いハーレーが左にグラリとするとリカバリーは難しい
慌ててクラッチを繋ぐとフロントが持ち上がってしまう、
しかもアメリカのチョッパーはフロントブレーキも外しているから、
右足しかブレーキは無い上り坂で止まって発進する時は足は二つしかないから、仕方なくブレーキを放す。
慌ててクラッチを離す(実際は踏み込むのだが、、)と簡単にフロントが上がってしまう。
「スーサイド・チョッパー」「スーサイド・クラッチ」と呼ばれる所以である(スーサイドは自殺ってことね)
何故にそんな苦労を敢えて選んでいるか理解する事は難しいだろう

結論を言おう、それは

「カッコいい」からだ!(正確に言えば本人はカッコいいと思っている)

驚く事にそれは神の創造された自然界にも見受けられる
この辺りでは、キジや山鳥も結構いる、そして彼らの雄は無駄に長い尾を持っている
それを持つ事も維持する事も決して楽でもない
しかし、それで雌にモテるなら
その愚かしいスタイルはオスにとっては大切なアイテムである。
動物園やインドに行って孔雀を見る時、出来たらその尾を広げて見せて欲しいと思うだろう。
どうか、皆さまおかしなハーレー乗りを見かけた時には、
羽根を広げた孔雀を見るのと同じ様な思いで暖かく見守って頂けたらと願う。

2016年6月19日日曜日

好きこそものの上手なれ

知らない人間にとってはハーレーなんて何を買っても同じじゃないと思うかも知れないが
いざ乗ろうと思い始めるとこれほど奥深いラインナップを持つメーカーはそうない
スポスタ、ダイナ、ソフティル、ツーリング、その他とヤフオクにはカテゴリー分けされているが
これら全ての機種自体がチョイスするには十分な魅力を持っている。
更にユーズドモデルを入れるなら雷電、大鵬、千代の富士、若貴、白鳳など全ての力士を並べて

「さあ、あなたのお気に入りを決めなさい」

と、言っている様なもので迷いに迷ってしまう(プロレスラーやヒーローモノでも可)。
数か月愉悦に近い悩みの末に絞り込んだのは5機種

一番は舞鶴のショベルFLHストリップ
二番は世田谷のXLH1200サンダンスモデル
三番目は川崎のショベルFXRオリジナル
四番目は地元のエボ系FLSCサンダンス
そして最後がツインカム96を積んだツーリング系と奇しくもヤフオクの5カテゴリーが揃い踏みとなっている。

大体上のものほど年式が古く、値段が高く、シンプルで、手作り感のある造形で美しくそして壊れやすい、、
頭で考えると下から選んでいく方が賢く正しい選択となるのだが
ハーレーって奴は、大変失礼ながらことばを憚らず言わせて頂くなら「バカ」な乗り物だから

「いっちゃん好きなモノに乗らないでどうする?」

そうだよね そんな感じで過ごしています。

2016年6月18日土曜日

朝はイイ!






 家内が「この時期暑いか寒いのかわかんない」
とか言っているから考える
”真冬や真夏の様にはっきりしている方がいいのか” いや違うな~
「暑くもない、そして寒くもない」そういうこどだ
今年は庭が賑やかで楽しみだ~





2016年6月15日水曜日

天橋立

 三大景勝地と言われる天橋立に行ってきました。
直前まで長雨で展望台も霧の中でしたが、お昼を頂いている間に見えてきたのでリフトに乗り登ります。
 近くの神社では人々の願いがかかってます。
天に架かる橋、それは私にとってイエスキリスト
 いつの日か天の主の園から見る時が楽しみです。
雨のお陰もありとても空いていてよかったです。
グルリと回ってきたので車での走行距離は1100Km、
借りた息子の車の総走行距離はほぼ32万キロになりました。
ありがとうね

2016年6月5日日曜日

綺麗になる




 20数年前に大工として(電気屋としてもだけど)建てさせてもらった友人の家
新築時に一度(クリア)、その後オーナーがグリーンで塗ってたぶん20年程経過
ホラー映画の舞台になりそうないい雰囲気になってましたが
削って、磨いて古いのを落として新しいのを塗る
やっぱり綺麗になるっていい感じです。
足場もしないでやったから腕と足が疲れた~