普通将棋と言えば本将棋だけど、、、
「本」と言うだけあってもちろん他もあります。
例えば「小将棋」81マスの将棋盤と42枚の駒
「中将棋」は、玉将(玉)または王将(王)・金将(金)・銀将(銀)・香車(香)・飛車(飛)・角行(角)・歩兵(歩)・横行(横)・竪行(竪)・龍馬(馬)・龍王(龍)・獅子(獅)・奔王(奔)・反車(反)・盲虎(虎)・麒麟(麒)・鳳凰(鳳)・猛豹(豹)・銅将(銅)・醉象(象)・仲人(仲)の21種類あり、それぞれ特有の動きがある。
高校の頃、やっていた中国将棋に似てます。
「大将棋」は、なんと駒数130枚!しかもこちらが元で中将棋はそれから派生したらしい。
駒は、中将棋の21種類に鉄将・石将・桂馬・悪狼・嗔猪・猫刄・猛牛・飛龍を加えた29種類(本将棋は8種類しかないのに、、)
結果、1局を指すのに時間がかかりすぎたため、南北朝の動乱の時期には廃れてしまったらしい。
最近マルコを読んでいて 気になるのが
例えばマルコ1章43節
『そこで、イエスは、彼に対して激しく息巻き、すぐに彼を追い出した。そして彼に言う、
「心して、誰にもひとことも言わないように。ただし行って祭司に見せ、
あなたの清めのことで、モーセが命じた物を捧げなさい。彼らへの証しと」
しかし、彼は去って行くと、大いに宣べ伝え始め、またこの出来事を言い広めた。
そのためにイエスは公に町に入れなくなり、外の荒涼としたところに留まっていた。』
悪霊やレギオン、風や波でさえもイエスに命じられると静まるというのに、
(例えばマル4-39)
『風を叱り、海に命じた「黙れ、口をつぐんでしまえ」。
すると風は収まり、大きな凪が生じた。』
癒してもらった人だけが、イエスの言う事を聞かないというお話
これ実にクリスチャンあるあるで、じっとしていたり、静まって主の足元にいる事が出来ない。
自分にも何かが出来ると思って、勝手に行動したり、語ってみたりしても
それはイエスの邪魔をするだけ(まあ、少し前までは私がそうだったんですが、、)。
チェスや将棋をやった事にある人ならわかることだけど
駒は勝手に動いてはいけないもので、たとえば桂馬が
「俺様のジャンプ力なら、敵の歩など簡単に頂けるゼーット」
などは、指し手である主のいい迷惑ってワケで、最優先すべきは、勝利つまり敵の将を倒す事、
その為には、自分は与えられたその場所で命令があるか強制的に動かされない限り静まって動かない事
例え敵の駒が自分に進んで来ていても、目の前に敵の”歩”が突きつけられても
王のことばが無いなら、動かない事、決して闘わない事
せっかく陣を固めてどっしりと構えていたのに、勝手に
「全地の主に刃向って来るとは無礼千万、御用でござる」
などと、自分勝手に動いたりするから、その為に王であるイエスが退かないといけなくなる
マルコの3章33節
『「わたしの母、兄弟たちとは誰か」。
そして自分のまわりを取り囲んで座っている者たちを見回して言う、
「見よ、私の母、私の兄弟たち。神の意思を行う者、その者こそ私の兄弟であり、姉妹であり、母だ」。』
主のまわりで座しているだけ、何もしてない。
でもそれで十分、それだけで十分、それこそが十分
例え無様に敵に喰われても、、
駒の布陣はただそうなっているのではない
必要があってそう置かれているし、優れた将なら敵は敵としてさえ使いみちもある
それが出来ないと、イエスの仲間では、あるかもしれないが家族とは言えない。
神のことばを本当にちゃんと聞かないクリスチャンが悲しいことにあまりに多すぎると、思うのは私だけ?
はじめまして。
返信削除時々読ませていただいている者です。
この路線の信仰は、周囲があまりにもにぎやかなので
迷う事も多々あるのですが、今日はまたおおいなる励
ましをいただきました。感謝です。
静まって聞くことの豊かさと楽しみと導きの暮らしは、
いと深しですね。
「静まって聞くことの豊かさと楽しみと導きの暮らしは、
返信削除いと深しですね。」
↑深いですね~
mifuさん読んで頂き、またコメントしてくださりありがとうございます。
最近、担当している子どもとよく将棋やチェスをするので、非常によくわかる話ですね。最初から最後まで全く動かない駒もありますが、それぞれに重要な役割を果たしています。
返信削除わかるでしょうねー
返信削除主に任せていれば、クリスチャン程お気楽な生き方は無いと実感中
「お気楽」というのはちょっと違うと思います。
返信削除そうでしたか 失礼しました。
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