3年ぶり 神戸の友人が訪ねて来てくれた。
街の中に住みながら、本当に自然が好きなんだなー
緑に染まるように、もくもくともくどうを、歩いて行く
そんな彼らと一緒だから、近くに住みながらあまり歩かない道を歩いて行く
深く息を吸うと 針葉樹特有の香りが湿った空気と共に、体の中に入って来るのがわかる
手前に設置されていた温度計は17.1度だったから
森の中は15から16度、夏とはいえ肌寒い程度以上に感じる。
昨夜、彼らが語ってくれた事
「私たちが教会へ行って聞く事は、私たちを神から遠ざける、、と、初めて教会の扉をくぐった時から感じてきた。
まず、聞かされることも『あなたは罪人なんです。』ということで
救われてもまだ『許された罪人』でしかない」
「祈りにしても『私は神の子です、だから、、』という強い願いを聞いてこなかった」
「不幸な、目を覆うような状況にあっても『受け入れなさい。神は全てを支配しておられ、主のゆるしの元にそれが起きているのだから」
「でも、僕は『全然、納得してません、受け入れられません』って祈っています。
それは天に向かって唾する様な事で、結局は自分の顔に返って来るんだけど
あなたの救いと来たるべき世界以外は、全く良くありません、ってね」
彼の熱い話を聞きながら(本来彼はそんなタイプとしてかんじてないのだけど、、)
何一つ、よき選択をしなかったロトが義人として救われたのは、彼があんな町の門の内側に住まい続けながらも”そのこころを痛めていた”という所を主が見ておられたという、所を思い出していた。
そしてある、美談と共に信仰の模範の様に語られるある証を読んだ時ゾッとした事も思い出した。
「ケイ・ウォレンは、精神の病を負っていた息子さんが自死で亡くなった現場に駆けつけたとき、I will choose joy と言ったそうなのですが、」
確かに、それぞれに、主が与えておられる導きは違うだろう
彼らと私たちにも違いがある。
それを、平安と共に認めながら
しかし、主はただお一人で、今の世界に満足していない
「それが、よかった」 「それがよかった」
という日々の後に
「みよ、それは、ひじょうに よかった」
そう言える永遠を、主と共に主に もとめていきたい、と感じました。
彼らは、夕方白馬に向かって行きましたけど
再会は何度あっても楽しいね。 じゃあ また
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