2014年8月6日水曜日

引っ越し予定

 最近Lukeさんが終末の事を書いていらっしゃる(←まあ以前からだけど)

”戦争と戦争の噂、地震、飢饉、そして疫病と・・・。まさに主イエスの描く終わりの時代の兆候がそろってきました。”

http://www.dr-luke.com/diarypro/archives/4393.html

四国では8月ひと月かけて降る雨の4倍が一気に、また奇妙で痛ましいニュースを殆んど毎日の様に聞くそんな時代

「いちじくの木から、たとえを学びなさい。
枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏の近いことがわかります。
そのように、これらのことのすべてを見たら、あなたがたは、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。」

”これらのこと”とは以下等々

「戦争のことや、戦争の噂を聞く」
「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉と地震」
「その時は人々が大勢つまずき、互いに裏切り、憎み合います。」
「にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。」
「不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。」

確かにこれらはこの時代で見る事の出来るリスト。
以前思っていたのは、3年半の患難、そしてその後の大患難はとんでもない事が次々起きて

「いくら何でもわかるでしょ?」

って思っていたんだけどいつもサプライズ好き(?)な彼の事、
大体私の想像を裏切ってくれますから、、
そうでもない(カモ?)とも思いはじめています、聖書には

「人の子が来るのはちょうどノアの日のようだからです。」

とも、ありますが、ノアの日は聖書で読んでいるだけで、
もちろん私を含めて現存する人類は全て実際には、みてないのですが、、
ある意味とても親切にこう書いてあります。

「洪水前の日々は、ノアが箱舟に入るその日まで、
人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました」

カーテンコールで主役が登場するなら、舞台は終わりです。
そんな主イエスの再臨はこう書かれています。

「地上のあらゆる種族は、悲しみながら、
人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて、天の雲に乗って来るのを見るのです。」

”悲しみながら”見上げるという描写がリアルに感じますが
もし(そして多分そうだと思いはじめているのだけど)イエスが来るその日まで
”人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしてい”る、なら
その様な日常生活もある意味普通に行いながら患難大患難を人々は過ごしている(という事)。
さらにソドムの話もそれを裏付けてくれる。

「人々は食べたり飲んだり、買ったり売ったり、植えたり建てたりしていたが、
ロトがソドムから出て行ったその日に、火と硫黄が天から降ってきて、一人残らず滅ぼしてしまった。
人の子が現れる日にも同じことが起こる」

イエスが来るその日まで大患難の中であっても生きていく為に必須な食べる飲むだけじゃなく
”買ったり売ったり、植えたり建てたり”までもしているわけで
今がその時だと言われても決しておかしくない、今がそんな時代でもあります。
事件が起こると人々は、その残虐性、多様性、低年齢化をその時だけは関心を持ちます
が、すぐに忘れる、また忘れないと普通に生きていけない程の時代

「何のために生きるのか」
「何のために働くのか」
「なぜ人を殺してはいけないのか」
「なぜ自殺をしてはいけないのか」
「なぜ盗んではいけないのか」
「なぜ浮気をしては(犯しては)いけないのか」
「なぜ同性愛がいけないのか」

それらに、答えを持てない時代、
世はその悍まし事件に出会い、何とか納得のいく動機を探しそして忘れようとするけど、
そもそも自分の創り主を知らない者がただしく知りえる事もなく、
誠の神に対する恐れがない者にさしたる答えもないだろう。

しかしこれを書いているのは、絶望したり恐れる為ではなく
その中にある私たちの希望です。イエスは

「さあ、わたしは、あなたがたに前もって話しました。」

って言っています、さらに。

「だから、目を覚ましていなさい。」

とも伝えてくれています、そして。

「だから、あなたがたも用心していなさい。」

と、続けています。
そうしているなら突然、気付かないままその日が来ることもないと保証している様です。
もちろん逆に考えるとそうしてないなら気づかないという事だろうと受け取れます。
いい話はまだあります、その日は(私たちの為に)短くされます、そしてイイ子で待っている子には、もちろんご褒美(?)もあります。

「主人が帰って来たときに、そのようにしているのを見られるしもべは幸いです。」

「 人々が「平和だ。安全だ」と言っているそのような時に、突如として滅びが彼らに襲いかかります。
ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。
しかし、兄弟たち。あなたがたは暗闇の中にはいないのですから、その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。
あなたがたはみな、光の子供、昼の子供だからです。私たちは、夜の暗闇の者ではありません。
ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目を覚まして、慎み深くしていましょう。」

7年の患難、大患難やイエスの再臨は、人類最後の日でも、滅亡のシナリオではなく
そのままでは、全てが終わってしまういのちの救済措置の様な所でもあります。
最高裁判所の判決が始まる日でもあり、その超大岡裁きを砂を噛む思いで聞くか、
「勝訴」というプラカードを振り上げて喜び勇んで聞くかは私たち一人一人に委ねられています。

今月末には次女達の引っ越しの予定です。
引っ越しは大変ですが、楽しい事でもあります。
ただ、引っ越しの日が、今日、今からです、となるなら本当に大変です。
この”自分”といういのちを、何処にどの様に引っ越すかは、知る事が出来るのだから

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