2010年12月31日金曜日

年越し


これが年越し兼、御節になります。
戸隠の蕎麦はポッチ盛りが基本です。
後は黒豆、コンニャク、里芋、卵焼き、から揚げ、トロロ、ごぼうです。
色が地味ですね。
台所から見えるツララも冬らしい景色だ。
ただ主のお蔭で本当にいい年だった。感謝。

ハーレー


左はハーレーのスクーター250cc右は陸王です。戦前の写真ですね。年の瀬までこれかよと思うが、今日も明日も一日一日過ごす意味ではかわらないので、はい。
1903年にアーサー、ウォルターのダビッドソン兄弟とウィリアム・シルヴェスター・ハーレーによって設立された。ダビッドソンではなくハーレーの名が先に来るのは、心臓部であるエンジン設計をハーレーが担当したため。バイクはモーターサイクルと言われる様にまずエンジンに重きがある乗り物なのです。
製薬会社の三共(現第一三共)が生産した車両を日本国外へ持ち出さない事を条件に、サイドバルブエンジン車両の生産に関するライセンスやツール全てが日本側へ供与された。この三共製ハーレーは、巷間で言われるようなハーレーダビッドソンの模倣、コピーではなく、正式なライセンスを得て生産されたものでハーレーそのものだったが戦争で敵国の言葉が使えず「陸王」となる。戦後日本がアメリカのハーレーを作り続けていたことにはアメリカも驚いたと言われている。

かつてはデカい重い遅い壊れるそして高いという駄目バイクの代表的みたいなバイクメーカーで(今もデカく重く高いが)AMFアメリカンマシンファンドリィーという会社に吸収されたが、自分で買戻し立て直しに成功2001年以降日本のメーカーを抑え750cc超の大型車シェア首位を獲得AMFはその後倒産したので買い戻しておいてよかった。
仮面ライダースーパー1の愛車としてもショベルのハーレーが登場した。なぜあんなに道も広く大きなアメリカで速いバイクや車が生まれなかった背景には、大陸だからという理由があると思う。
日本の様に狭く何かあっても整備工場や病院、ガソリンスタンドが近いならなんとかなるが、アメリカは広すぎるので早く着くより確実に着く事や移動中の味にプライオリティがある。
日本から速く馬力のあるマシンが続々と登場してもただ排気量をデカくするだけの対処などが全てアメリカ的でそれがあの味を残してくれた。古いモデルが好きだが、やはり私の青春時代のショベルのビッグツインが好きで3日前も同じエンジンのノーマルマフラーのハーレーがセルを押したときの「ガッ、グッ、グルッグル、、ドドードーン」というかかり方は免疫が無いとやられてしまう程、腹に残る響き。ただ重量は345kgで超重かったです。
ただ新しいほど快適な速度が速く、エンジンの表情も面白みに欠ける。スポーツスターはまだ味があるが、速さでは差があっても883の方がよりエンジンの趣や、ハーレーらしさがあると思うのは私だけではないと思う(ただし883を1200にしたりローコンプものを除くまた速さなどトータルではもちろん1200が上いわゆるツインの味)。70年代みたいに大きい事はいい事だとはいえないが、、やっぱりどちらかと言えば多くの人は大きいのが好きなんだよね。
ハーレーは定価も高い数年でこんなに円高が進んだにもかかわらず値段を一切下げない。まあハーレーはある意味商品を売っている訳ではないのでわからいでもないが、では円安が同程度進んでも値段を変えないくらいの根性は見せていただきたい。

このように書くと何だかハーレーが悪いみたいに思われるかもしれませんが、そうではありませんしショベルの経験が無かったらジャンキーになる程魅力がある。本当に最近は故障も少なく正常進化だと言えます。おおいなる田舎が生んだ実にタフなバイクです。いつまでも残って★い。

2010年12月30日木曜日

BMW


プロペラを模したトレードマークで知られるドイツのメーカー。1916年 - グスタフ・オットーが航空機エンジンメーカーとしてバイエリッシュ・フルークツォイク・ヴェルケ株式会社(BFW AG)設立。BMW社自身はこの年をBMW誕生の年としている。人名ではなく地名が付く会社です。車では割と高級車として名を馳せているがバイクも確かに悪くない。
ただ国産の様に故障が少ないわけではない。シャフトドライブの車両が多いがその3割が大体粉砕するそれならチェーンにしたらと言いたいが変えないそれもまたドイツらしい。ただ部品をちゃんと管理交換していけば一生持つことも事実。
ドイツの製品と日本の製品が共通して誤解される事もあるが、日本人は器用で細かいところもつめすぐ改善してまた新しい物を作り上げるのに対して、手先の不器用なドイツ人は自分らを知りそんな自分らでも確実に良い製品を作れる精巧な機械を作って長い間作り続ける差が面白い。
昭和30年代はBMW一台で家が建つと言われる程高価な高値の花だったが今では結構買いやすいものだ。この前はBMW1100Rが25万円で思わず買ってしまった(綺麗で速く心地よく調子も良かったです)。
よく「あがり」のバイクと言われるが私にはやはり優等生で一生持つには無理と思いました。これは好き嫌いだけの問題でマシンの問題ではない。
作りこみはすごいが最近はあまりにも色々出しすぎで少し鼻につきます。かつてドイツのメーカーは自分の分をちゃんとわきまえて大衆車はフォルクスワーゲン、その一つ上はアウディ、BMW,ベンツ、スポーツカーはポルシェと明確に線引きがあったがそれも崩れつつある。
まあ、所詮人のすることではありますが自分の分からはみ出さない様にしたいとは思います。R80GS(パリダカ)がやっぱ私はいいかな。

2010年12月29日水曜日

カワサキ


モノ作りのメーカーで人の名前の付いている方が好きな私です。それは個人の意見が出た方が面白いモデルが生まれる事が多いからである(癖のあるモデルとも言う)
もし自分の名前の車を作ったとして、その自分の名前の付いたマシンがしょーもないものならやっぱり恥ずかしいと私は思う。
これが私ですという物を作りたいと思うはずだし、やっぱ作り手という人が見えないと面白くない。1878年に、松方正義等の援助のもと川崎築地造船所を設立した川崎正蔵さんのメーカー「男、カワサキ」これがこのメーカーの魅力を物語る。
だから一応国産バイク4メーカーはすべて人の名前これはすごいです。その4つのメーカーの中ではもっとも少ない販売ですが内容は一番濃いメーカーでもある。一番荒っぽい作りと原付やカブ系を作りたくないという考え方は面白い。
なんといってもマッハというバイクがすごい。金沢の甥も乗ってますが、他と全く違うマッハだけの音や加速アメリカでウイドゥメーカー(未亡人作り)とも言われたマッハは伝説である。また名前とイメージが合っている。今年春、長野市から上がってくるときダムの脇に一台のバイクが止まっていた。マッハ750でオーナーもなんか雰囲気が合う感じだったので声をかけてみて家まで来る事にそのあとお互いのバイクに乗りあってバカ話に花をさかせた。彼のお父さんもハーレーに乗っているらしい。遺伝するのか?
SS750又はマッハⅣとも呼ばれるが、曲がらない、止まらない、真っ直ぐ走らないと言われたバイクだが加速こそバイクの命だと言わんばかりのいのちを削るような吹け上がりは他の何物にも無い魅力があった。バラバラ、と不協和音を奏でていたその3気筒は5000回転を境にギューンという音に変わりそのすべてをただ前に前に進ませるためだけに共鳴する。
個人で所有したのはSS400だけだがマッハの末裔だけあって当時TZR250,RZ350,SS400と2サイクル車は3台もってましたが、速いのは前からの順、面白いのは後ろからの順番でバイクの面白さは速さでは無いと感じた。
でも船や戦車など大きな物を作っているだけに細かい事言うなよみたいないい加減さも嫌いでは無い。それにしてもエストレアやTR250はいい加減すぎる。もう欠陥品ですよ。去年落札した軽トラを引き取るためにそれなりの程度のいいTR250を落札し一通りメンテして走り出してすぐエンジンからオイルがそのご高速でエンジンをだましだましSAで大量にオイルを買いながら喜多方に到着した時は出品者に「キャンセルはありません。これではもう帰れないから」どうも新車でも同じ問題があるとネットで判明、なんで?やっぱカワサキだからしょうがないか。

2010年12月28日火曜日

スズキ


鈴木道雄が鈴木式織機製作所を創業。織機をつくるだけでは満足できずバイクと車を作り出す。乗って面白いエンジンを作るのだが何故かあまり乗っていない。ロータリーエンジンのバイクも市販した。今乗っているDRベースのカスタム車両がスズキだがそれなりに面白く具合も良い。先日久々に乗ったGT750も気持ちが良かった。
でもスズキで憧れるのは隼だ。世界最速というその性能はマジで、アメリカのテストでは世界のスーパーカーを相手にあっさりノーマルで333km/hを記録。世界一とか最強という言葉は実際に使えなくてもそれを所有する愚かさ、扱えない力を自分の股の下に置くという所有欲を満足させる機械である。
ただどうも多くのスズキの作り出すものは本気になれてない気がするのはわたしだけ?松岡修造じゃないが「本気になれよ」というものがバイクでも車でも多すぎる。隼を手に入れたら300km出して死ぬ可能性が高すぎるのでハスラーの400がいいかもしれない。木の大きなハンマーで打つような「ストーン、ストーン」というアイドリングを聴くだけでも価値があると思う。またほしいなー(バカだまったく)

2010年12月27日月曜日

帰郷


地響きの様な雷
飽きる事無く砕けちる波の花
灰色の空とさらに重い色の海
私はここで生まれて育った。
環境は人を育てると言うが
同じところで育っても人は皆それぞれ違う

「あなたの息子は死んだと思ってください。」
私が長野に来る時、父に言った言葉
その実家のコタツでテレビを見ている
家内も横でその番組を見て
「すごいねAKBフォーティ>ナイン<」とか言っている。
「そうだね。」と何事もなく過ぎる平和な時間も主が与えてくれたもの。
育てるのは主であって、それに何も足す事はない

2010年12月25日土曜日

ヤマハ



山葉 寅楠(やまは とらくす)が創業し日本では珍しく泥臭くなくブルジョアの雰囲気を持っていると思う。
基本的に生活必需品以外の物を作っていて、オートバイ、楽器、ヨット、ベッド、高級キッチン最近は携帯のフォーマット対応サウンド制御や音楽ソフトなども手掛けるが
私はやっぱバイクメーカーとしてホンダとまた違ったつくりてとして評価している。トヨタとも関係が深く幻の名車と言われるトヨタ自動車とヤマハ発動機が共同開発し、ヤマハへの生産委託で1967年から1970年までトヨタブランドで限定生産されたスポーツタイプの乗用車
TOYOTA2000GTはバイクの技術を使った車では初のDOHCエンジンやローズウッドのハンドルやインパネはピアノ製作技術を応用したと言われ
その後のカローラなどでもYAMAHAの刻印の入ったエンジンが混じっていて(DOHC車の中にだけだが)全く同じ2T-Gでもトヨタで組んだのよりそっちの方が良く回ったので金のエンゼルの様にマニアにはもてはやされた。
確かに今見ても美しい、ポルシェもそうなのだがドアのカーブやタイヤに対するホールカットのアーチ、全体の曲線など芸術品と言ってもいい。エンブレムは七宝焼きでボンドカーとして唯一イギリス車以外使われたのもこれ!あれっ車の話になってきた。

初めて自分のバイクがヤマハだったり後では当時ナナハンキラーと言われるほど速いRZ350というバイクに乗っていた。
当時1500万円したポルシェターボと同等の加速がわずか50万円で手に入るという夢の乗り物だった。速さや馬力は麻薬と似ていてもっと速くもっと先へ進みたかった時期だった。でもそんな事ばかり続けていると違う方向にも行きたくなりSRなども乗った。
SRは32年も基本設計・デザインを変更せず今でも売っている日本では超ロングセラーなバイクです。RZV500やV-Maxも力こそ全てって潔さやデザインがいいですね。オフではセローもヤマハらしい。
初めてモトクロス専用競技車両を買ったのもヤマハだった。6気筒CBX1000を買うか80のオフ車を選ぶかマジ迷った。結局でかいバイクは50才になっても乗れるだろう。でもモトクロスは今始めないと50では無理だろうと思ったからだ。
わずか80ccしかない小さいなマシンに初めて乗ってぶっとんだ。今まで乗ってきたバイクは一体なんだったのだのかと思える速さを感じた。ナナハンより速い感覚があり、そうかファントムなど戦闘する為のマシンはこういうものかと思った。
モトクロスは道で飛ばすより危険とは思わないがどちらにせよ体といのちが残っていてよかった。ありがとう神様。今日から能登に行ってくるので少し更新はないかもしれませんが元気です。