2010年1月30日土曜日

このあと、神戸に行きますが、
体が移動すると、心も移動するようで、楽しみです。
新しい場所と、新しい人との出会い
もちろん、ひどい旅もあれば、嫌な思いでも多い
でも、それも含めて、今の自分がある
すべてが、合わさって良かったなーと思える。

自分の中に、何か自慢すること、強い信念のようなもの、などがあると
結果として、良いことにつながらないことばかり
弱い自分でいたい、馬鹿な自分で満足できるか、人からの冷ややかな目で、安心できるか
結局、自分が可愛くて、良く思われたい、すごい人と思って欲しい、いい人だなーっと感じて欲しい
そんな、自己満足、自己完結的な醜い自分との戦いを楽しんできたい。

俺は俺、所詮ちっぽけなオレ、ふけば飛ぶようなオレ、それでいい、そんなもんだ、そうなんだ俺

2010年1月28日木曜日

野尻湖面の個映像です。
生き物のように揺らめき綺麗です。
人の心も、水面に例えたりしますが、荒れるとき、揺れるとき、平穏なとき
 
どれも同じ水なのですが、常に移り変わっていくもの
今日は、白く姿をかえて、天から降りてきていますが、
長野の冬の綺麗さは、雪を抜きにして語れないと思います。
ほとんど全てものを、覆い尽くして辺り一面、真っ白に変える
その雪がとけた頃には、下からフキノトウや福寿草が咲き始める。
そいうえば、去年の12月20日頃野尻の近くで雪をどかせたら、すでにフキノトウが2本ありました。
とても準備が良いなーと思いました。

全てを司る、お方の恵の雪がどうぞ、私を覆い尽くして、醜いもの、汚いこと、やらしい思いなどを、隠して頂きたい、ただ、もし雪解けがきたら、私の場合、その下からあらわれるのは、新緑や瑞々しい蕾ではなく、道ばたによく見られるような、捨てられたゴミやカスのようなものばかりになりそうだ、
どうぞ、泥のなかから蓮の花を咲かすその魔法のよう力で、私の人生からも美しいものの一つでも咲かすことができますように。

2010年1月26日火曜日

遊び

今日は、よく転んだ、雪まみれになりな、がら良く遊びました。
今シーズンは多分6年ぶりくらいになるが、スキーは楽しい、というより
遊ぶことは楽しい、遊びってなんだろうね。
理由はわかります。「楽しいから}ただ、どうして楽しいのか?
難しく考えない方が楽しいですね。

多分その楽しさは、月にまで行ってしまったほどの楽しみを楽しむ楽しさがあったのだと思う。
その、楽しさは、冒険心とも関わりがある。
これをこうすれば、どうなるのだろう。
あれとそれを、あわせるなら、ここで、こんなことは?不思議なことがあれば、行きたい、見たい、知りたい、探求心ともいう。
体を使う遊びを、スポーツともいう。道具を使うことも多い。スポーツマンという言葉に冒険家という、意味もあると聞いたこともある。
行ったことのないところ、見たことのない場所、食べたことのないもの、見てみたい、行ってみたい、食べてみたい。
美しいもの、驚くべきシーン、信じられない事、美しい音、綺麗な音、心に響く言葉
知りたいと、思います。

2010年1月25日月曜日

昨日の、牧場から見えていた。月です。(ちなみに、右に見えているのは、白樺の枝です)
向かい側の空では、お日様がサンサンと輝いていました。
日本人は、古来、月を最も美しいものとして、見てきたそうです。

「月と、スッポン」

という、ことわざがありますが、高校の時の先生の教えによると、月と、スッポンは形と大きさが似ているが、月は、天にあって輝いているし、
かたや、スッポンは、泥の中 
美しいものと、汚いものの代表としての言葉だとか。
野生の亀を世話していた、じぶんとしては、亀やスッポンを汚いと思ったことはないのですが、(おそらく当時の方は、身分のちがいなどで、田畑などで泥にまみれる生活も、感じただろうとおもいます)
月は、美しいですね。
もし、UFOの基地であっても、死の世界であったとしても、私たちから見る月は、子供の時からかわらず
綺麗です。
満月が、ドロリと月の出を迎えるときなどは、少し恐いくらいの美しさです。
長野に来て、冬の月夜の明るさに、驚きました。
夜空が青く、ライトなどいらない明るさ、その美しさを、楽しみたくて、車のライトを消して走ったりしましたが、(家族からはひんしゅく)太陽が隠れている時は、月がありがたいもの。
お日様にはなれなくとも、その光を受けて、おこぼれでも、輝かせてもらう。
棚からぼた餅を信条とする、私とすれば、いつか月のようになりたいと思うこの頃でございます。

2010年1月22日金曜日

共有

友達のJさんとクロカンに行ってきた。風もあり、顔も少し痛いくらいの時もありましたが、とても楽しかった。
友達の条件は、何なのか、考えてみる。
一定以上の時間、共にコミニュケーションを取っていること。
知り合い以上の、共有できるモノがあること。
お互いを、認め合い、自由であること。
利害関係と関係が、ないこと。
もちろん、上下の関係や、好きなところが全くないのでは、一緒にいて楽しくない。また、すこし難しいが、この関係は兼用できると、考えている、たとえ上司であっても友達になれることもある。

他にもあるとが思うが、友達は良いものである、一人が良いときはもちろんあるが、
気の合うメンバーで、時間を過ごすことは、それに優る事が多い。
この地上においては、一番の友達は家内である。結婚生活は、夢のような毎日ではない。
「愛は戦いである」とは、言わないが、日常生活にあって、多かれ少なかれトラブルもある。
一人の方が、楽であるには違いが無いと思う。
でも、2人のほうが、楽しいと思う。
あなたは、楽を取るか、楽しいを選ぶか。

実はほとんどの事において、私たちは、そのどちらかを選びつつ生きている。
私に、置き換えてみると、今、私の横にある、プリンターは、楽な方を選んでいる。
楽しいプリンター、それもいいね。でも楽に買えて楽に使える、今はそれだ。
車も、道具として最近は割り切ってきている。
もちろん、納得のいかないモノに乗りたくないが、妥協出来るところは随分、低い。
動けば良いじゃん、的なことも事実です。

では、楽しいを選んでいることは、薪ストーブは楽しい、満足がある、薪を集めるのに苦労はするがそれに変えられない。
バイクはその典型だ、わざわざ古くて、高くて、重くて、扱いにくく、壊れやすい、遅い、でかい、寒い、暑い、濡れる、でもやめれない。
歩くスキーもそれに入る、らくどころか、わざわざ時間を作って運動しに行く、結構高いでも、楽しい
究極の一つに子育てがある、全く楽の、反対側にある。これは、大変な仕事である。
責任も大きく、自分の人生さえも狂わせる可能性が、高い。
ただ、これを打っていて、楽しいから、子育てしているのか?と考えると????

確かに楽しくない事はない、でもそれが理由ではない。
老後とか、自分の成長や、他に変えられない満足や、幸福感、でもそのために子供を育てた覚えはない。
これに関しては深すぎて、私も、わかりません。どなたか、お答えを持っていらっしゃるなら、教えてください。
でも、今日は、たのしかった。また、行こうね J さん!

2010年1月21日木曜日

コストコ


昨日はコストコに行ってきました。
相も変わらず、アメリカというところは、、、、でも今回は冷静に買い物をしてきました。(割と無駄な物を買わなかったという意味)

長野から行くと、小春日和も満開で、春そのものでした。
ただ、それでもわたしたちは、長野それも、今住ませていただいている
ここが、一番です。

     ”あなたのいるところにあなたの心もある”

みたいな言葉があったように、思いますが、そう思います。
自分の生き方、自分のスタンス、自分の思いのあるところ、自分の行こうとしている方向

私は好きなようにハンドルを切ることが出来るのですが、沢山の事故や、間違い、迷惑、迷ってみたこと、恥ずかしいこと、嫌な思い、焦ること、そんなことの連続で、お陰で傲慢なわたしも、少しは遠慮することを、覚え、さらに信用できる方にハンドルを任せることも出来るようになった、気もする。
まだまだですが、あわてなくとも、あせらなくとも、あきらめなければ、とにかく今よりは、昨日よりは、
自分というものを、見えるようになってくると、信じてます。

克服するということ


今朝は雨、
この時期に雨が降ることも取り立て驚くことでは無くなったことが少し恐くなる。長野の冬に雨が降った個人的な記憶は長野オリンピックだ。その時は2月。
1月の21日は一年で最も寒い頃で、その時期の雨は、夏の雪のようにふさわしくないと感じる。
お陰で、デッキも洗われ、まるで中禅寺湖か宍道湖の逆さ絵の様に
綺麗に手すりが写っている。
明日は、-5℃くらいにはなるので雪だと思いますが、朝から痛いような寒さがなく、
  「洗車でもするか!」 と言うくらいの温度です。
この世は、良いことばかりではないけれども、逆に見れば、悪いことばかりでもない
真っ白な人間も地上にはいないが、真っ黒な人間もいない。
多少の濃い薄いはあるが、みんな同じ灰色の心を抱えながら生きている。
赤ちゃんの笑顔や、寝顔を見るとき本当に無垢に思いますが、
赤ちゃんには、責められるような、過去が無いこと、又、何も言えない、出来ないのでそう見えるのでしょうね。
教えなくとも、残念ながらそのうちに、綺麗ではない言葉をくちにしたり、わがままな行動をおこしたりする
これを読んでいるあなたは違うかも知れませんが、とにかく私はそうだった。

小さいとき、いじめにあった経験を持つ方は少なくないと思う。
いじめた方より、いじめられた人の方が、時間が経っても覚えていることが多いように思っている。
程度の差こそあれ、子供は、分別のある大人から見たら、知らないだけに、残酷だ。
私より、すごいいじめにあった人は沢山いると思うが、個人的な評価を見れば、かなり上位だと思っている(あくまで、個人的評価です)

いじめも辛くないわけではないが、それよりも相手に対する恨みや、自分の中にある復讐心(それがたとえ自殺という形であったとしても)が、嫌だったわけです。
ボロボロに殴られ「ごめんごめん」と言葉や態度では、ヘコヘコしながら、心の中では
「もうそれくらいで、やめてくらないかな。じゃないと俺どうなるかわかんないよ。頼むから、俺にあんたをころさせないで、まだ俺の人生これからだから」みたいな冷静さ。
自分で自分が怖ろしかったです。

そんな、怖ろしい自分が全くなくなったわけではありませんが、
ありがたいことには、「その時がきたら、今の自分は完全になくなり、自分がも、うっとりするような理想的(それ以上)の自分になれる、希望ある。
自分が復讐したり、恨んだり、ねたんだりしていると、本当に人生楽しくなれません。
そんなことは、神様にまかせて、よく見ると、自分の回りには、素晴らしい出会いや、楽しいこと、美味しいこと、美しいものが、たくさんある、それを見て、手にとって、味わってみる、人生は思っているより短いのだから、無理に自分を追い込まなくとも、刺激をわざわざ作ってそこに行かなくとも、十分すばらしいでなないですか。
さて、今日も楽しみたいと思います。
面倒くさいことや、少しやりたくないことはあるけれども、それも今しか味わえないかも知れないし、
なにより、甘くて、うますぎる物より、少し苦いとか、硬いとか、不味い物のほうが、体に良い事が多いし
あら、不思議、何度か食べていると、何だかそれ無しでは物足りなく感じてくる。
これ、うまいじゃない、これ、好きになれた、
なんだか、初めて自転車に乗れたときのように、昨日まで出来なかった事が出来る喜び
たとえ一年に、ひとつでも味わいたいなと思っています。

あと、いくつ出来るようになれるか、楽しみです。

2010年1月18日月曜日




















今年は平成18年いらいの雪で、前からクロカンのお兄さんが、来たので声をかけたら、その方は雪下ろしで、来たみたいでした。
遊びに来ている私たちが少し申し訳なく感じないでもないが、モクモクと進んでいく。
今日は、薄着で来たが、額からも汗が、
いい感じです。
前回、鏡池の時、前からスノーシューを履いた、いかにも良く雪の上歩いてますよ!風な、
おじさんに 
        「良く歩かれるのですか?」と、挨拶程度に聞いてみた

「結構、来ますね。今シーズンは3回目です」とのこと

私たちは、2人揃っての歩くスキーの行動だけでも、すでにその時5回目
うーん、良く遊んでます。
ありがたいです。遊ぶことが大人になっても出来て。

今日

今日の夕日はまるで燃えているような感じでもあり、血の色のようにも見えます。
恐いくらいですね!
とても、いい天気で、牧場に家内と歩くスキーで2時間弱行ってきましたが、
野尻や、遠く志賀高原もブルーに見えてきれいでした。足腰の良い運動です。
昨日の温度に間違いがありました。-16℃まで下がったようです。
模様は
今朝も出来てますが、いつも違った形で、しかも美しいです。
昨日は-16℃くらいになりましたから、氷も力強い感じです。

たあいもない日常生活ですが、その中にあって、主の働きが感じ取れると思って
ます。
朝起きて、働き、疲れたら眠る、そんな繰り返しの毎日を過ごしているあいだに、
芽を出し、葉を広げ、時期になると花が咲き、実を付ける。
そんな神の働きを、見させてもらうことはなんと、幸いでしょうか。

2010年1月17日日曜日

氷点下


今朝は、この冬一番の冷え込みでした。
画像はうちのマスターベッドルームの窓に出来た氷の芸術?です。(外側に出来ています)
温度はよくわかりませんが、長野市が-6℃ですから-11℃くらいでしょうか?
最高で-20℃近くになるこの地方では、まあまあと言ったところでしょうか。
寒いのは嫌いだとか、嫌だとか言う方多いですが、(私も、好き?ではない)
ただ、その時でしか、見れないこと、その時を経験しないと、得られないことがあって、この時期がいいなーと思ってます。
薪の山を見て、とっても豊かな気持ちになれるのも寒いところにすんでいてこそ。
凍えた手を、薪ストーブに翳して、少し痛いようなジンジンしてくるあの感覚。
暖かくなってくるころには、眠くなる感じ。
どれも、この長野の冬があってこそ。長い冬が終わり、雪解けの頃待ちに待った春が来たときの喜びは大きいです。
この地方では、平安時代より前から、人々が暮らしをつないできました。
その時代は、どんなものだったのでしょうか。
そんな時代でも、生きて来れたのですから、その時になれば、何とかなる(だろう?)。
いま、その時代の生活をしようとは思わないけれども、
その時の生活に憧れもあります。楽ではないが、楽しみが無いわけでもない。
今の時代に生まれた者として、この時を楽しもうと思います。
今日も、空が青いです。

2010年1月15日金曜日

暖かそうな、画像を張らせていただきました。
撮影者はDr,LUKEさんとなります。特に冬は太陽がありがたく感じますね。
長野からも富士は見えますが、かなり小さく見えます。
写真に納めると、こんなに小さいんだと悲しくなるほどです。
又、それをすごいズームで撮ると、回りの雄大さが写り込めず、目で見た感じとの違いに驚きます。
人は、星空全体と、その中で一際明るく輝く、明星を同時に見ることが出来ます。
無限とも言える星くずの様な、一人一人の営みと、その中にかいま見える本質
遠くを見つつ、近くのことにも気を配る。
地球や日本の事を憂いながらも、日常の小さな事を喜び楽しむ
毎日が雪ですが、その中にあって、雪解けの春を、燦々とふりそそぐ夏の日差しを思う
海外に行って、なをいっそう、
日本の事がよく見えたり、知らないと気づいたり、日本をもっと味わいたくなる
一日、生きるということは、一日死が近づいたと言えます。
若いときはずいぶん命を無駄に危険にさらしたものだと、感心します。
人生の半分以上使って気づいた事は、一日一日の大切さ。
とにかく今日が私の人生です。当たり前ですが、明日には今日は過去になり、未来は今日になる
良く生きてきたものです。
いえ、良く生かせて頂きました。 
 本当にありがとうございます。

2010年1月12日火曜日

年を取るということ


年を取るということ

実は年末に2年ぶりに歯医者に行ってきた。
年が明けて、今日も行ってきたのだが、少しも嫌ではなかった。
それどころか、少し楽しかった、もちろん担当の方が、若い女性と
いうことも、あったが、とにかくこんなおっさんの口の中を甲斐甲斐しく
見て、触れて、弄ってくれる、仕事とはいえ、頭が下がる。

としを、重ねると若いとき嫌だったことが、そうでもなくなる。
野菜嫌いの私が、野菜を好きになり、寒いことや、体を動かすことも好きになってくる。
年を取るということは、素晴らしいことだ。
いつまでももし、若いままだと、体に気をつけることもなく、年を重ねた方を思いやるでもなく、
わがままに、パッションに、振り回されながら、過ごし続けることだろう。
そのように考えると、死ぬということも、決して悪いことではないかも知れない。
この人生に終わりがあると知って生きることは、この人生を過ごすにあたり、影響を与えるだろう。
それは、決して悪い影響ではないような気がする。
寒い冬を、楽しめること、小さいときのように、年を取っても楽しむことが出来る。
いつ頃、雪が降って楽しく感じなくなったのだろう。
では、今は、少しばかり、積もりすぎても楽しみに感じるのは、なぜだろう。

本当に年を重ねることは素晴らしいと思う。それは昨日まで知らなかった自分と出会う時でもある。

冬の楽しみ

冬の楽しみ

バイク乗りとしては、冬は時間があるのに、なかなか乗れない、じゃあ、冬が嫌だとか、うっとおしいとかいうと、そうでもない、長野に住んで20年近く、「冬がいいんですよ」と言ってきた。

長野の冬は私のふるさととは違い、厳しく長い、しかしそれが悪いわけでない。

乗れる日の喜び、そこでしか味わえないこと、好きで長野と来た訳ではありませんが、
長野は最高です。
                   
凛と言う、言葉が好きです。
上野から新幹線にのって長野におりるといつも感じる空気。
その漢字の意味の中には寒いという言葉が有るそうです。
寒いからこそ、育つものがあると思います。
長いからこそ、培われるものがあります。
1日1日、見て、食べて、飲む、起きて、また寝るそんな1にちの中で新しく見付けること、変わらないこと、かわっていくこと、見過ごしたことそれが、私の大切な1日です。
なぞなぞ?  「使うとき使わなくて、使うとき使わないもの」
バイクが好きです。
自分だけでは、立つことさえ、走ることさえ出来ない不完全な乗り物、
スタンドのあるものもあるが、それを使うときは、バイクに用が無いとき
不安定な乗り物だからこそ、出来ることがあります。
安定しているからこそ、失われることも多い
                            選ぶのは、自分だから

2010年1月9日土曜日

続2010


続2010

今年も、いい年と感じている。冬は冬らしくとても気持ちがいい。
家内と何度か、歩くスキーをしている。
地味なこと、単純なくせに単純な事の嫌いな私にして、黙々と歩く
誰一人、歩いたこのとのない、新雪
振り返ると、自分たちの歩いた足跡だけが、残っている。
1週間もすると、跡形もなく消えるだろうこの道を進む。
願わくば、出来るだけ早く跡形もなく消えてしまった方が、清々しい。
私の生きた50年近くの日々も同じで200年もするとだれもおぼえていない
私の、失敗、恥ずかしい自慢、バカを積み重ねた日々。
それらも、1日でも早くこの雪の上の跡のように、消えてしまって
のこるものは、ただ神の造られたものだけ。
   それが、望ましい  それが素晴らしい
ただ、今は神の庭で遊ばせてもらうことが、楽しい。

2010年1月8日金曜日

写真の一枚も無いと、あまりににも殺風景でしたので、今日の追記です。
海沿いで育った、私にすればこうやって、山を見ながら走れることは、何とも言えず、いい感じです。
ラペラのシートは結構快適で、尻が痛くなりませんでした。
ちなみに後は、家内用のトラクターのシートです。
これが、包み込むように快適なのです。
荷台としても上々です。

2010年

清少納言ではないが、ブログというものを、五十路近くになるいいオジさんが、
2010年に、なってやってみるかと、重い腰を上げてみました。

今日は1月7日バイクで塩尻まで行って来ました。
GAEEという革細工職人の所まで、行って来ましたが、
手作りのバラックのような店と倉庫(これは誉め言葉のつもりです)それは走るための理由付け。
でも、目的があることは、走る意味としては悪くはない、もちろん一番の目的は、
「バイクで走りたかった」それだけである。

最高気温4度の予想だったが、道端の温度計は6度を示していた。
長野の1月がこんなに快適なバイク日和だとは、今日まで知らなかった。
また、ショベルのハーレーが、こんなに走るとも知らなかった。
ハーレーで高速を走ったのは初めてだが、おそらく50馬力も後輪出力ではいかない時代遅れのマシンが、こんな走りをするんだと、いうことに、感激した。
140km/h迄しか刻んでないメーターパネル、それなのにタンクには

    「KING OF HIGHWAY 」 と自画自賛

バカか?と思っていましたが、なるほど王様とはこういうモノかと、思わせてくれた。
とりあえず、1おえkm/hくらいは出ましたが、まだ行けそうでした。
でも、バイクは「これは王様の乗り方としては、不適切ではないでしょうか?」と忠告もしてくれていた。
初めて高速を80km/hで淡々と流す。静かに追い越していく女性の軽乗用車。
なんら悔しくもない。
原付の頃から、前にいる物を見れば、親の敵とばかりに、抜いて、抜いて来た。
40代になってから少しは落ち着いたかと思わせても、すぐにカサブタがはがれた下からは赤い血が流れていた。
 
熱しやすく冷めやすい  これがモットーの私としては不思議体験。

行ったことの無いところに、行ってみたい。
見たことも無いものを、見てみたい。
食べたことの無い物を、食べてみたい。
今日は、私の知らない所を、FLTは教えてくれた様な、気がした。

馬には乗ってみよ!とは、よく言ったもの。
正直、ハーレーをバカにしていました。
    ハーレーに乗りたくない気持ちが沢山ありました。
    ハーレーのだめなところは、沢山知っているつもりでした。
 
でも、ハーレーに対してシンパシーが有ったことも事実です。
   ブランドではなく、ハーレーはハーレーとして良いところも、
少しずつ知っていけたら良いなと今日は、教えてもらいました。
  
           ありがとうございます。