爽やかな朝から、ちょっとした話の流れで妻と口論的な感じに
息子が仲裁に入り(彼はいつも家内の見方)
「そのいい方、前のお父さんのようだよ」
などと、耳に心地よくない事を朝から言ってくれる。
彼が仕事に出る前に
「朝から気分を悪くして悪かったね。」
と送りだせたが、魂につい力が入ってムキになってしまったようで反省。
その後の家内が呟いた「アビガイルの行動がわからなかったけどナバルは私の肉なんだね、、」という話がキッカケで
私も サムエル上25節を読んだ。
なるほど アビガイルは、愚か者ナバルの妻として彼に仕えていたのだけれど
神が約束された民の王として建てられた方がやって来るとの話を聞いて
彼女は、近くに共に住んでいた夫ナバルを説得するのではなく遠く離れていた赤の他人ダビデの前にひれ伏した。
「どうか、あなたの敵、わが主に災いが及ぶのを願う者どもは、ナバルの様になりますように」
というアビガイルの言葉は、自分のパートナーに対してどうなのよ(?)と、魂的には、思わなくもなかった訳ですが
なるほど、ナバル=体 アビガイル=魂 ダビデ=霊 と捉えて流れを見ると
確かに聖書は霊的な書物だと神を褒め称える次第であります(当たり前だけど)。
アビガイルの行動や言葉には、夫に対する尊敬やわずかな同情すらないのである。
25章17節と25節と2回 ”どうしようもない男” と言われている通り
ナバルを改心させて”賢いナバル”にするとか、”良いナバル”にするという事は誰にも(神にも)出来ないこと。
それは、生まれた時から”ナバル”であるからです。
カルメルというこの世の豊かさを享受しナバルは、非常に裕福な生活をしていた、事業を拡大し、王の様な宴会を開いていた。
ナバルがダビデの家来に言ったことばが
「、、わしのパン、わしの水、それにわしがわしの(羊の)毛を刈る者たちのために屠ったわしの肉を取って、どこの馬の骨ともわからない者たちにくれてやれというのか」
ナバルはダビデの事を知らないワケではない。
ダビデがエッサイの息子である事、主人であるサウルの所から逃げ出してきた(奴隷)者である事も自分から語っている。
この体は滅びるしかないのである。
大事なのは私の魂が、もともと仕えていた体をとるか、向きを変えて約束のお方から使わされたに仕えるか、それが問題だ
こんな爽やかな朝から、つい熱くなってしまったという今朝のお話
いつも読ませていただいています。
返信削除感謝な解き明かしです。本当にその通りですね。
肉に死に、キリストの御霊にて生きたいです。今日も、明日も。
makoさん 分かち合いありがとうございます。
返信削除ケンカ(?)も、出来たので久々に聖書箇所からの話も書いてみたのですが、以前感じていた
ナバルのようでなく、ダビデが無駄に血を流す事も阻んでくれたアビガイルの様な生き方を心の何処かで目指していた自分が本当に魂だなと⤵ですが、
主を⇑見上げて過ごしたいと思える様にさせて頂いただけで十分感謝です。