5月の初めに植えた稲が全て、刈り入れを迎えた。
あの細くて弱々しい苗が沢山の実をつけて
穂を垂れる姿は美しい。
空は青く暑さも、さほどでもなく風が気持ちよい、
農家は大変だが素晴らしい仕事だと思う。
刈り取った後は運んで、はざに架ける。
写真は親戚のはざだが、これで7段、
私の子供の頃うちのはざは13段あった。
そこを上り下りした事も今では楽しい思い出。
子供の頃、はざの一番上に立つと
理屈ではなく、ただ気持ちがよかった。
そこから見える風景が好きだった。
実家では、全ての稲をかけ終えると落ち穂を拾う。
聖書では落ち穂は旅人や貧しい人の為に拾わない。
人が拾わなければ、それは鳥などのエサにもなる。
確かに頭で考えるとそれを拾えばその分収穫は増える。
すぐ家族の1日分くらいには、なるだろう。
しかし、その分は
「私がもっとあなたを祝福しよう」という主の恵である。
それどころか、わざわざ束の間から抜き取って落としておく程
主は気前がよいのだ。
それを、私が見つけられるように
落として置いてある恵を私は屈んで拾い上げるだけなのだ。
稲かねですか…私の田舎ではなくなりました。
返信削除ライスセンターへ直行です。
子どものとき、上でかける父親に下から投げました。
稲穂がちくちくするし、楽しくなかったけど、宝物のような体験です。まさになにもかも主の恵みです。
硬派銀じ郎 さん ありがとうございます。
返信削除私の田舎でも少なくなってきました。
来年は、実家もコンバインの可能性もあります。
便利なのですが、ワラが残らないこと無駄が増えること、
自分の田んぼで育った米ではなくなることがなによりウーンです。やっぱり自分で手をかけた米を出来たら手にしたいものです。
私もよく下から投げましたよ。首の間にも入ってちくちくでしたね。月夜だと良いのですが雲があると懐中電灯を照らす役でもありました。
夜の10時近くまでやってましたね。
確かに今思うと宝物のような体験ですね。
共に主の恵を感謝します。