いつもの道でなく猿丸という細い道から長野市へ
ここは崖が急で険しく人の手が入っていないので
紅葉もまだ綺麗です。
写真の中央の赤い木はヤマボウシで
野生にしては珍しく白にほんのりピンクの縁取りのある花を咲かせて
春も目を楽しませてくれます。
”もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし”
とあるように人がほとんど通らない所にも主の恵みと慈しみがあります。
家の井戸小屋の周りもすっかり葉がおちて落ち葉のじゅうたんの様になって
冬を迎える準備が整いつつあります。
主のなさること時にかなって美しい事 誠です。
キリスト者は「人知れず咲く」ではいけないのですが、「見せるために咲く」わけでもない。いのちの結果としての花や実でありたい。そう思います。
返信削除なるほど
返信削除言われてみればその通りです。
聞かせるための祈りや
ただ実をつけたい目的での働き
善だからという理由の行いも似てます。
花はまず造り主のために陽や天やを向いて花を咲かせる。月を向いて咲く花は夜の花。
それはまさに命の働きです。