2013年11月30日土曜日

朝の風景

 昨晩から降り始めた雪は 思いのほか積もらず
今朝は静かな朝
北アルプスは雲が少しあって 戸隠連峰の今日です。
眼で見るより赤が出ないのはカメラをまだ使えてないんだな



アメリカ程では無いにしても聖書には沢山の翻訳の種類があります。
これにはこうゆう特徴があるよ、とかこの訳はこんな風に面白いよとかは言えますが、、

さてどれが一番いいんですかって言われてもちょっと困ります。
もし実際に聞かれたら「今、持っているヤツでいいですよ」って答えるかもしれません。

誤訳の無い聖書なんてこの世界に無いんですから(私が勉強した範囲では)そもそも
原典なんていかにも崇高そうな偉そうな名前で呼ばれている元のモノなんてちゃんとそろってないんです。
特に新約ってほとんど誰かさんが誰かさんに宛てた手紙ですよ。
例えば第二コリント人への手紙を例にするなら

いつどこで誰がやったかは知りませんが、あれはたぶん、5つのバラバラの手紙を合体させたもので
しかもパウロさんが書いたので無いモノも入っている(と思った方が納得あります)、、
例えば2コリ6章の14節から7章の1節はすっ飛ばして読むと文章が繋がっていてスッキリです。
ここの挿入にはパウロなら書かない言葉や書き方の特徴もあるし
6章の13節で”心を広げてほしい”から7章の2節”心を開いてほしい”は文脈的にも言葉の流れでも関連ありますが
突然6章14節にはクリスチャンはノンクリスチャンと結婚してはいけないとも取れる様な話が入って来る。
ちなみにそれがイイのか悪いのかは各自の良心に照らし合わせてご判断お願いします。
それは逃げではなく、その人の聖書理解、信仰、良心次第で滅びるケースもあるからです。
キノコでも、食べたみんな死なないでしょ(一家の場合はDNA似てるので別)。

福音書でもノンクリスチャンにも聞かせて大概 深いいい話となる
ヨハネ8:1ー11 姦淫の女 の話でも原典では(多分)ありません。
元はヨハネさん書かなかったと可能性が確信的に高い。
そもそも写本ってやつもそれぞれでバチカンやマソラなどでもそのまま読めてもどうでしょうか?って具合です。
そもそもローマの国教がキリスト教になって初めての翻訳からしてどうなんでしょう。
権威者の琴線に触れる翻訳をすれば簡単に首が飛ぶ時代、人間的には気持ちわからいでもない
だから

「神以外に権威はない」という箇所がD難度変換で
「神によらない権威はない」とまるで政府や法王の立場を権威づける翻訳になってしまうわけ。
ヘブル語やギリシャ語がどれだけ出来ても原典が揃ってませんし、たとえそれがあっても
事実、ユダヤ人たちは ほとんど真理を知ることはありませんでした。

「じゃあ一体どうすればいいのさー」
「ここは信じてもいいけど、後で挿入されたのは聖書じゃないってこと?」
って頭を抱える必要はありません。
私たちクリスチャンは聖書は使っても 聖書に仕えている者ではないからです。

事実クリスチャンの事を”新しい契約につかえる者 ”とあります。
「文字」に仕える者ではなく、「霊」に仕えるものだからです。


2コリ5;7なぜならば私たちは、信仰によって歩んでいるのであって、見えるもので歩んでいるのではないからである。
2コリ3;3 墨によってではなく、むしろ生ける神の霊によってのものであり、石の板ではなく、むしろ肉の心の板に書き(刻まれて)いる手紙である。

飛び出る絵本というのがありましたが聖書はまさに語り出す本でもありますから
自分で解釈しないで教えてもらえばいい、だって内側には原典以上のお方、神のことばなる方がいるわけですから。
どうぞ思い込まないで、そして出来るなら色んな可能性を知って、ただ鵜呑みにしないでどうぞ御自分で確認してください。
そういった意味では誤訳の種類が沢山身近にある事は主を既に知っている者にとって
逆に真理をしる良いきっかけにこそなれ障害とはなりません。


2013年11月29日金曜日

知らず知らず OH- NO! 斧々な話


そろそろドカンと雪が降ってもおかしくない時期になり
ひとつやらないといけないと思っているのが 薪割です。

直径30cm以上あるカラマツが薪小屋の前を占拠して奥の薪が出せない
そこで今朝も息が切れない程度に薪を割る事にしたんですが
先日、裏山を片付けてその副産物として出た薪を作った時
薪ストーブにそのまま入らないサイズのものは割らないとと薪小屋に置いてある
斧や薪割機は遠く運ぶのが面倒だったので 近くにあったもう10年近く使ってなかった斧で割ってみたら
非常に具合が良い。

ハテ?これはどうゆうことだろうと、今朝はそれらを比べてよく見ての薪割の検証です。


手前にある赤いハンドルのは手斧で片手で使います。
焚き付けや薪割機で割れたのを離す時に便利です。

真ん中のモノが10年ぶりに使ってみた斧です。
元はオレゴンで買ってグラスファイバーのハンドルだったんですが、
下手くそな時期もあり ついに折れてしまいました。
それで12年使って樫の木の柄をつけました。
ちょっと柄が短いけど扱いは楽になりました。

奥にあるものは、断面が二等辺三角形をした斧で
ハンドルと頭は熔接してありほとんど壊す事が出来ません。
ミズーリでアーミッシュの女の子が使っていたもののワンサイズ軽いものです。

2年ほど前に 手動の油圧薪割機を買ってからはそっちの方が確実だからと
結構いい加減に使っていました。


さて 聖書の中に 薪とか斧というモノも結構出てきますが

伝道者の書 10章10節
なまった斧を研いでおけば力が要らない。知恵を備えておけば利益がある。

これは、ずっと前から覚えてもいたけど現実面では
 「どうかな?」
という、クリスチャンで尚且つ薪で冬越しをしている者としては
あるまじき受け止め方で眺めていました。
だって次の11節なんか毒蛇にかまれても呪文を覚えていれば効用があるという様な書き方
つまりは霊的な世界に置いて適用すれば絶大な効果こそあれ、この世ではどうなのよ?って
「アブダカダブラ」や「マハリクマハリタ」が毒に効くとは思えません。

手鋸やカンナ、はさみ、包丁など切れ味が大事だけど
斧って 当時の様に木を切り倒すときなら わかるけど
薪割りする程度なら さほど関係ないんじゃない?って思っていたんです。
実際割った時の勢いで地面に斧の先がめり込む事も多々あるし
チェーンソーだと「おっと」と思うけど斧はそんな使い方だもんと受け止めていました。

ただ今回カラマツを割り比べてみて明らかに真ん中の斧の方が割れる。
よーく観察してみたらオール鉄製の斧は先が丸くなっている。
そこで 人生で初めて斧を磨いてみた。

すると「なんという ことでしょう~」
あんなに苦労していた極太のカラマツがパコンパコン割れるではありませんか!
最近気持ちよく割れない事を 自分の加齢によるものとして
薪割機でやっていたのですが、今朝は全部斧だけで冬支度 完了
時間も速いし、力もいらず 何と言っても気持ちがいい

今まで、木を切る事や割る事に一生懸命で 斧のメンテを怠っていたんですね。
ボクサーのパンチが狙った所に当たらないで空をきると より疲れるといいます。
パンチのエネルギーが残ったままだからです。
しかも気分も悪い
似た様に、薪割も上手く割れてくれないで、ボコンと跳ね返されたり
ドスッって突き刺さったままになっていると抜くもの大変
次は絶対割れる様に全力で振り下ろすから、長い時間は無理
コントロールが上手くいかないなど、
知らず知らずのうちにそんな状態になっていたんですね

さて、そんな基礎的な事を怠っていた私からの反面教師としてのアドバイス

① 力ではなくコントロール

薪でも石でも 割れやすい場所と角度があるもの
そこにキチンと斧の穂先を当てる事
特に丸太の場合は外側の位置に打ち込まないと中心部だと柄が折れたりはじかれたりします。
当然、りきむと狙い通りにいかないもの
斧の頭を高くあげて 重力で落とす
その時に少しづつ最後まで加速させてイケる様に自分はアシストするだけで十分割れます。

②割るのは斧の仕事

空手バカ一代でも手で薪は割れません。
割るのは斧ですから やっぱり先っぽは尖っていた方がいいですね。

③無理をしない

大きな枝がある所や根っこなどはネジ曲がっていたり割れにくいもの
そんなモノにずっと付き合って精根尽きるより諦めましょう。
その薪を割るよりも大事な事は、快適に冬を越す事です。
薪割機を使ってもいいし、チェーンソーで引いてもいいですし森に打ち捨てておけば数年で菌類が分解してくれます。結果それが長く快適な薪ストーブライフの秘訣です。


これらは 霊的にも参考になる所があって
 
魂の殻を割るのは わたしじゃあない それは主の業、まさに神のみいつです。
私はじっとして振り下ろされるのを待つだけです。

伝道者の書 10章10節にある原語は鉄の刃です。
”鉄は鉄によって” 斧の刃先を鋭くするのは神のことばで、私ではありません。
”ひとはその友によってとがれる”
も「よーし、あの人は私の友達だから研ぎに行ってこよう」なんて無駄です。
唯一の友はイエスだけ彼だけが みことばを鋭いものにします。

そして無理をしないこと頑張らないこと
今すぐ解決や結果が欲しくても神様の計画があります。
忍耐って苦しい状態が続くという意味です。
我慢はしなくてもいいけどその中で得られるモノがあります。
カラマツなどはある程度切って置いておくと乾燥してヒビが入って、
「ホラ、ここに刃を打つんだよ」って教えてくれるようです。
水分が多くてジュクジュクした薪ほど割りにくいモノもありません(あと腐りかけの薪)。
主に飢え乾いてカラカラのたましいならパコンとガチャポンの様に割れるでしょう。

伝道者の書 10章10節には知恵ってありますが、あくまで霊の知恵であって
肉の知恵ではありません。
訳し方によっては後半は


「知恵に得や益があるだろうか」

と、肉的な知恵の限界を教えてくれています。
「バカとはさみは使いよう」
この冬を暖かく過ごすためにどうぞ皆さんも刃先を上手にお使いください。


2013年11月27日水曜日

嗚呼、自営業

 自営業には、いくつかのメリットがある。
例えば自分の都合で時間を(ある程度)好きに自分が管理できる事
ただ、これらは両刃の剣的な所があって
モチベーションと言えばちょっとカッコいいけど
実際、ヤル気の無い時は、休めてしまえる。
逆に、滅茶苦茶やる気がある時でも、仕事が無い時もある。

現実的には、見積や契約はしないで1日ナンボで仕事をしているのだから休むと収入は減る。
だから仕事がある時は働いた方が得な事はわかっていてもそうなら(れ)ない時もある。
相手がいたり期限が決められている仕事は、誰でも出来る範囲で頑張れる。
ただ今の現場はある意味で期限は無いようなものだし、別荘だから今度の夏まで誰も居ない。
請求書も出さないのに勝手に私の口座に、勝手に振り込んでくれていて既に過分にもらっている。

今日はそちらの別荘用にキッチンユニットを作ろうと材料も整え、ちょっと風が冷たいが体調もそれほど悪くない状態
家内はトールペイントでいないから、こうしたキャビネットを、家の工房(?)で、じっくり作るには最適な日だったんですが、
気分がのらず、じゃあ、暖まろうかと、テラスにお湯をはってバブルを全身に浴びながら午前中はゆっくり浸かっていた。

これで先ほど昼食を食べたけど、午後から仕事が始まれるかはなはだ疑問である。
こうしていると自己管理能力の問題か精神的な脆さの様にも思えるが
自分のやりたくない事をあえてやることが自分を管理している事とも思えない。
それで引き篭もりになったりウツになる人もいるからです。

さてさて、これから俺はどうするんだろうと、まだふやけた指でパソコンを打っている。
ちょっとフザケタ話に思えるかもしれないけど、これも訓練(かもしれない)???

2013年11月26日火曜日

自画自賛ですが、、、

 北アルプスには、雲がかかっていて朝焼けは見れなかったけど
少しだけ雲海が広がっていた。
冬には良くある光景なのだけど、その日によって霧の勢いが優ってツナミの様に押し寄せて来て
家の周りも一面乳白色になる時もある。
いつもと同じ場所であっても隠された部分が演出してくれる美しさもある。

半分冬休み気分になっているせいか
私自身は あまり振り返る事をしない方だと思うのですが、
以前の自分のブログを少し見てみました。
その内容のほとんどはどうでもイイことですが、
やっぱり年末の自分で言う所の「魂の殻が割れる事件」の後の

「神の国の種」 http://dennkiya2.exblog.jp/17173565/

で、今から見れば肩に力が入り過ぎだしギコチナイ感じ、
でも 自分の転機になった時期の事で実はブログ自体よりコメントの方が内容がある気もします。
だけどあの時しか書けないものなのだろうな。
大事な事は、書いた内容が善い(正しい)とか悪い(間違っている)などの問題ではなく 風が流れたかどうかって所
風は隙間やスキ間がないと吹かないモノで、例え聖書の知識であってもギチギチに詰め込んで適度なゆるさが無いなら、
線路や橋脚であってもそれ自身で自分を壊してしまうもの
森などでも葉や枝ばかり茂らせていると日光が奥まで射し込まず、風の流れが悪くなって病気がちになります。
パウロの言っているように
とにかく「自分は知っている」とか「この事については調べ考え抜いている」と思い込んでいると、
とかく自分の目の中の梁さえも見えないもの。
そんな事に気づけただけでも、いや、気づけた事こそ

「ハレルヤ」

なのです。
多分信じた頃は、そんな事、自然でいたし、やれて(させてもらって)いたんだろう。
それがいつしか 新しいいのちを古いいのちが包むように
魂が 霊的に振る舞う事を覚え、習慣化していた。
だってこれって自分には一番便利だもんね。
それにしても、狭く古い鉢植えの中でビッシリと根が広がり尽くしていたような 行き詰まり感から
急に無限に広がっている牧場に出てきた様な気分だった。

そして、思った以上に 
「チッポラにある神の働き」 http://dennkiya2.exblog.jp/17212000/
が、面白かった(←これが特に自画自賛)。
おそらく読む人毎のチッポラがいるかもしれないけど(チッポラは自分でもあるからね)
それが幅があるって事で、
そうするとまたその幅の中で風は思いのままに吹いてくれる可能性が生まれる。


2013年11月25日月曜日

チャレンジングな人生


 2年前の3月9日福島第一原発から24km阿武隈で切り倒した楢の木からキノコが出ていた。
エノキの菌を埋めておいたからエノキタケだと思うけど
 あんまりウジャウジャ出ているから どうなのこれ?
似た毒キノコでコレラタケがある。
時期や環境、個体差も大きいから写真や言葉の説明で見分けられるほどこの世界は甘くない。
コレラタケの中毒症状は、その名のように食後概ね10時間(摂食量により、6–24時間)後にまずコレラの様な激しい下痢が起こり、
1日ほどで一度回復する。その後4–7日後に肝臓、腎臓などの臓器が破壊され、劇症肝炎や腎不全症状を呈し、最悪の場合死に至る。
毒性分は、加熱によっても失われない。
治療方法は対症療法のみで、胃内完全洗浄ののち血液透析するしかない。

今夜は味噌汁にして1杯だけ美味しく頂いた。
明日の陽が落ちる頃までに、下痢にならなければOK
アダムがあの実を食べてからどれだけ人類はチャレンジングに生きてきたことなのだろう。
だってシャグマアミガサタケ なんか
まるで脳みそのような風貌で見るからに危険そうなキノコだが実際に猛毒。こいつに手を出すと、食後7~10時間して吐き気、嘔吐、下痢、痙攣、腹痛を起こし、更に体内のいたるところから出血。ひどい場合は2~4日で死に至る。煮沸すると気化し、調理中にこの蒸気を吸い込んだだけでも中毒を起こすバイオテロなキラーキノコなのですが、海外では何と食用。 
生き物には 大体3種類ある
植物は生産者 動物は消費者 そして菌類は解体業者である
植物は無機物が生産するために必要なので たとえ動物が食べて消費した廃棄物であってもそのままでは使えない。
そこで菌類が有機物を無機物に分解してくれる立役者ですが、その恐るべき分解能力が時として肝臓、腎臓、脳さえも分解してしまうようです。
神様は不思議なものをお造りになります。

あの阿武隈の森から放射能が消えるまでに10万年と言われている。
東電は今季電気料金値上げ等により黒字に転換したらしいけど
あの事故からの支払い総額は大体3兆1000億そして国から3兆2000億円もらった。
原発はコストの安い発電というのは大嘘で、簡単に国家を破滅させる施設。
私程度でもこれくらいの事がわかるんですから、エライ方々はすごいなと本当に感心。
彼らには彼らの働きがあり、私には私の働きが残されている(毒キノコで無ければね、、)。

2013年11月24日日曜日

日曜の午後


家内と炊き立てのご飯に 生卵をかけての 昼食
なんかこのシンプルさと 日本の贅沢感という私なりの貧乏さがなんかいい
美味しくって卵を2ケ使ってしまった、、
少し腹がこなれた頃を見計らって

「ちょっと、いってくる」

ガードレールの無い 道が好きです。
こんな所は、わざわざシールドもしないで 裸の眼で
過ぎ去る景色を楽しみながら 走ってみます。
この地方で育っていないので家からそれほど離れていなくても
看板に並んでいる地名は知らないものばかり

初めての道 行った事のない場所 
脇道に入る時は ちょっとワクワクします。
ただ入ってみたら 以外に急な下り坂になっていて狭い道全体を落ち葉が覆っていたりして
後輪をずりずりと心臓はドキドキ心ははらはら

車だとこんな旅気分が味わえないのはどうしてだろう。
目的もなく だらだらと 「ちょっとそこまで」 って なれにくい
「この道入っていくとどこに繋がっているのだろう」
「どこに出るのだろう」って気楽に行けない
箱に入っているからかな?

千曲川まで降りてみる
乳緑色が穏やかに流れている
川面にキラキラと 照り返しがとても美しい
私の生まれた地方には 大きな川はない
だから堤防道路や河川沿いを走らせている時間は思いのほか楽しい
こうして 理由も無く 長野の片田舎を バイクで走っているだけで
主がおわすこと 生きておられること 
私を 生かして ここに置いて下さっていることを 単純に実感できる。


花火大会

明治時代から数えて108回目をむかえたという 長野えびす講花火大会に今年もひなと行きました。
例年より暖かいとはいえ、ゲレンデで滑るよりちょっと防寒対策をして出かけます。
家内は軽くぎっくり腰気味、長女は身重なのでひなの方が健脚といった感じでどんどん進みます。
夜になっても雲も無く 上空では微風が一定に流れている様で 絶好の花火日和です。
 大曲や福島、愛知方面までの煙火師が美しさ華やかさ新しさ意匠さを競う 夜の花
グランドで上げているのを見ながらなので真上にあがる迫力は 

「やっぱり今年も来て良かった、これて良かった」

と思わせてくれます。





 後半になるほど人の数も増えて この賑わいや雰囲気も
野外コンサートの様に 楽しみともいえる。
出来たらまた来年も見たいです。

2013年11月23日土曜日

つくりて

 自然の作りだす 色合いや造形は素晴らしいけど
磨かれた職人がつくりだすものも 美しいものです。
この色のモノをここにこの樹形のやつはあそこにと
神の創られた材料をよく観察し 人の手で並べていく作業

戸隠の奥社に並んでいる杉並木も 人が苗の状態から植えた事がわかっています。
植えた彼らは その目で見る事は、タイムテーブルの上では無理にもかかわらず
何百年後の今日を心の目で 見て世話をし続けたのだろう
今日、見たこの中庭も 私の生まれる前にこれを想像し作った造園家の

「どうだ、俺のつくった この庭は、、」

というつくる喜びがこちらにも移ってくるようです。
出来れば一眼を持って行きたかったな~
作り手との対話は何でも面白いものです。
今日は いい天気でした。







2013年11月22日金曜日

朝トラ









昨日裏山の倒木を薪にしていたのですが、途中チェーンソーのエンジンがかぶって中断
はじめると調子に乗ってやり過ぎる所があるので
「今日はこれくらいにしておけって事か」と、家に入ると結構体ガタガタ

今朝再開前に 体を暖める為もあってバックヤードトライアルです。
この時期は枯葉の下に石や根っこが隠れていて見えないのでとてもデリケートな操作が要求されます。
キャンバーのくだりなんかフロントブレーキレバーに指をかけただけで「ズ、ズッ」って横滑りします。
自分がマシンの中心にいて常にコントロールしている、手足の延長の様に支配出来てる状態が大切なんですが、ちょっと乗っていないと随分とへっぽこな事⤵
でも、こうして時々乗らないとバランス感覚もドンドン衰えてくるし
低い戸棚に置かれたビスケットの様に 気楽に楽しめる排気量とサイズは大きなバイクに乗る時も役にたちます。


小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実
小さいことをちゃんと出来るなら 大きいことを任されても何とかなる?

この後、体も解れましたし、薪作り作業開始
ほぼひと月分の薪の山も出来たし、裏山も綺麗になりました。
薪の山は私にとって豊かさの象徴です。

2013年11月21日木曜日

ベストシーズン

今朝は雪 実はこれくらいの時期が バイクで森を走るのにベストなシーズンです。
葉が落ちて光が奥までさしこむ 明るく見晴らしの良くなった しかも誰も居ない森を独り占め出来ます。


息子がバイクの免許を取る前の年は真冬でも タイヤを改良して圧雪の上を走る事にトライしていたけど、同じ様な 経験が出来るならスキーでも真冬ならではと、割り切って楽しめている。

昨日は現在持っているバイク4台とも乗ってみました。
これが、自分でも絶妙にバランスの良いラインナップだと 勝手に感心。
アメリカではバルキリー 日本ではワルキューレ
F6Cはほとんど舗装路専用でタンデムも楽だし
バイクとしては荷物も丁度いいくらいに積める
バイクで舗装路は飽きやすいのですが、これくらいの重さと大きさ そして吠える様な排気音で
退屈な移動時間も、自分が積極的に操縦している感じを味あわせてくれる。
ボクサー6のエンジンも バラバラとした 適度なガサツさが 定速走行も味わい深いモノとしてくれている。

次に大きいのはXL500Sで 70年代ならではの懐かしさと十分な速さを持ち併せてくれている。
本当にタイトな九十九折ではF6C以上の速さを見せてくれるし、どこまででも寝かせるバンク角の深さと安定性それでいて最近のマシンの様な乗せられている感じではなく 、適度な低い性能故に楽しめる範囲が広い。
このマシンは舗装路を走っても十分だし、林道なら最高に楽しい
こいつは最新マシンと一緒でも普通について行ける23インチのワークブーツなのです。

カワサキのシェルパは、もともとから好きなジャンルでいわゆるトレッキングマシンなのですが、ノーマルのままでは「あと、もう少しパワーが、あったら」という願いを叶えてくれる300ccFCRとスーパートラップで吸排気系も強化済み。
ちょっとうるさいのが、気になっていてディスクを5枚にしてみたりノーマルのマフラーにしてみたりしたけど最近抜けをよくするために15枚にしてみて、やはりこれくらいがパワーの出かたもイイ感じとこれで取り敢えず行こうと思っています。
希望はXR200の様なドスが効いた しかもうるさくないものなんですが、なかなかあの様な音は古いエンジンでないと出ませんね。
それでも両足べったりのこのマシンは林道から獣道ちょっとしたトライアルもどきまで楽しませてくれます。

そしてTL125フィールドトリッパー、TL系の最終型で唯一の12Vリヤショックも強化されたモノです。
フロント周りはTLM220のディスクに替えてありルックスだけではなく性能も一段上に
エンジンはTLR200のものでこの手としては十分
座って走るにはイマイチだけど これで森の中や岩を乗り越える時は 気分はモータースポーツではなく禅の世界?
こいつは、路面が厳しくなればなるほど楽しいという不思議なマシン
トレッキングとトライアルごっこ 道なき道をかき分けて進むいわゆる藪コギが実に楽しい

時々友人知人と一緒に走る時など貸す時もあるので
舗装路F6CとXL500
林道XL500とシェルパ
トレッキング探索 シェルパとTLと絶妙な重なり具合があって
たった4台でこれだけ自分を楽しませてくれるラインナップは満足を与えてくれるし
ほんと 単純に感謝(もちろんこれが無くなっても感謝ですが)

これだけ書いていると なんとまあ 自慢や 自己満足の強い やな奴なんですが(実際そんな所あり)
不思議なもので バイクで走りながらの 礼拝 そんな時間があります。
今、こうして 長野で この様なバイクで 走っている事は イエスキリストを抜きにしてはあり得ない
小さい頃から多動的な私は ただじっとしている事やボーっとしている時間が苦手だった。
教室の椅子と机だけが自分に許された世界で 当時の僕はその境遇をどれだけ呪って来ただろう。

バイクは音楽も聴けず、ほとんど会話も出来ず、仕事にも使えない
ドリンクを飲むにしても止まって下りてから飲む面倒さ。
そもそもパジャマで裸足でも可である車と比べ 
乗る前に 履くモノ 着るもの 天候、はめるもの、かぶるモノとチョー面倒
夏は暑いし 冬は寒い 雨が降れば濡れ 風に吹かれるとよろける
箱の中じゃないから 危険だし イメージだって良くないし 実際モテない(←これ関係なし)

両手両足、全身を使って常にバランスを取り続けないといけない
止まったら足で支えないといけないし、うっかりすれば倒れる
この上なく 不都合で 不自由な 不完全な乗り物
だけど 自分がこれを選んだのだから 誰かに命令されたとか 無理やりやらされているのではない
だからそこ わたしにとってほとんど唯一ボーっとできるバイクに乗っているその時間は
聖所の中で私の魂が何所にも行かなくていい ただ静まれる時。






2013年11月20日水曜日

そして夕があり


秋から冬にかけては 夕日が綺麗だし 暮れる時間が早いので 目にする事が多い
夕日を見るのに私の目は飽きる事が無く こうして 同じような写真をまた掲載してしまう

男性が定年退職後、ハマる事に 蕎麦打ち、陶器師、農作業がある
どれもアダムに関係する事  魂に安息を与えてくれる地道な繰り返し作業
孫のヒナ坊も 土いじりが好きで長い間小さな手で 土で遊んでいる
アダムと言う名はアダマ(赤土)から創られたからで 土から出てきたものは やはり土が好き
そして最後のアダムから生まれたものは 天のお方の意志に思いをはせる

うちの周りは広葉樹が多く今庭には枯葉が一面に覆っていて芝が見えない
でもこれが春になると 土にかわっていくさまは実に見事です。

よし 今度 朝日も撮ろうっと

この地上にアクセスする(知る)には この体が必要で
自分に アクセスする(知る)為に 魂がある
そして 神にアクセスする(知る)のは ただ霊による

クリスチャンが”交わり”という時 クリスチャン同士の集まりだと思う事が多いけど
”交わり”は 私の霊が 神にアクセスする事で  神の意志を知る事
それこそが(それだけが)誠の礼拝となる
もちろん お互いのクリスチャンの内側におわすお方が 魂と言う牢獄に制限されず 自由であるなら そんな ”交わり”は 魂にとっても幸いな時となるだろう

「神は暗闇を衣とし」とあるように 至聖所には 一切の灯りが無いから 
私の肉の目では何も見えず
私がどんなに頑張っても届かない所に 神はおられる。
血を携えているから 幕屋が破られたから 大胆に入って良いと思っているかも知れないけど
所詮 魂の入れる場所でもなく それは 許されていないし 無理
それは 神が霊だからです

ただ 私の霊は入れるので 私の魂は霊を心の限り見つめていれば
霊とコンタクトをとれるから そこで受け取った 私の魂は 神の意志を知る
そこで私の意志を用いて 私の体を動かす事を選択するなら
天において 父の御心がなるように 
この地においても 父の御心がなるようになる

実際に自分がやっている事が 善いか悪いかではなく
私の動機が 善いか悪いかでもなく
その行動や出来事の出所が 神からか 魂(私)からか それともサタンからなのか

全く同じ行動や結果になったとしても
神にとっては その出所だけに感心があるといってよい
その衣に 血が付いていれば 父は死んだ息子のモノだと思うし
長男のかぐわしい香りが 立ち昇っているなら 祝福して下さる。

そして夕があり 朝があった 第一日
夕方は 至聖所の 入口のようです。


2013年11月19日火曜日

アップルピザ

食べ物続きのついでに アップルピザです。
この時期の長野では特にリンゴが安くて美味しいからこそ
それを使ったスィーツは格別です。
カリッとした表面と 内側の甘さがいいです。
今回は手作りのアイスじゃないけど それでもあいますねー
外は寒いからこそ 暖かい部屋で 
まあ、こうゆう内容は妻のブログの方がいいですね

http://blog.goo.ne.jp/hakigiyowaera

戸隠では もう初冬言っても良い この時期
そろそろ ゲレンデも滑りたくなってきた。

気分は半分 冬休み  だからか、、
昨日も半日で家に帰って来たのに
今朝は 何だか 仕事に向かうのがおっくうな感じがして

「いつも早く出ていって 早く帰って来るから
たまには 遅く仕事に行って 遅くまで 働くのもいいかもね」

って言ったら

「遅く行って、早く帰ってきてもいいのよ。
1時間だけでも 働ければ その分仕事が進むじゃない」

彼女がそう言ってくれるから 今日も 働けました、働かせてもらったのかな