この時期、高原の風景の一つに水芭蕉がある。
雪解けのこれ以上ないという清らかな流れの中にあって
大切なモノを白いスカーフをまとった様な可憐な姿は、なかなか
昨日の帰り道、写真を撮ってきた。
自分の家の裏庭にも、水芭蕉に絶好の環境はあるのだけど
そこに水芭蕉には、あまり育ってほしくない気持ちもある
それは夏の盛りの頃の水芭蕉を知る者なら解らない気持でもないだろう
夏の水芭蕉は濃い緑色のお化けの様にデカい葉が暴れる如き様相(特に晩秋が、、)
まるで田舎から出てきた可憐な少女が、
数年後、歓楽街の夜の蝶に変身を見た時のよう(それはそれでイイのだが)
初めが良かったから、その後も良いかといえばそうでもなく
スタートの時点で、何の取りえもないモノが、宝となる時もあるから
人生は面白い、と、いうより主は実にユニーク
積木を積み上げる様に、下から説明していくものもあれば
上から、吊り降りてきたものを語るそんな話もある
毎日が同じように単純に見えるからこそ、
そんな日々が掛け替えのない大切なものになる
「掛け替えのない」
という言葉は、貧乏な生活から生まれたと聞いてます。
まずしい家の中には、選べるような着物もなく
いつも鴨居に架けてあるのは、同じ服だから「掛け替えが無い」わけで
だからこそ、それが尊くなる時もある
ただその状況が素晴らしいのではなく、そんなものを
装って下さる主が素晴らしい
さて、そんな一日がまた、始まりました。
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