2013年12月11日水曜日

仕事納めかな~

明日から雪が降って現場に行けそうにありませんから 今日はとりあえずの今年の仕事納め
オスモカラーを塗る為に家内と一緒に野尻に向かっていく途中、車から撮った針葉樹の森
冬になって冷え込んでくるほどに こうした風景が美しいと感じます。

妻は 決して土下座している訳ではありません。
床を塗ってくれているだけです、とにかく私にはちゃんと謝らない人なんだなー(それも嫌いじゃないけど)
今回はデコラに初めて挑戦 まあ悪くない 今度またやってみようと思う
キッチンキャビネットは 扉の調整が必要だけど まあまあ (かな?)
キャビネットは全体的に楢の感じで 床は信州産のメイプルの無垢です。
優しい感じの木目がいいですね~

でも今度はやっぱり現場でつくるんではなく 家で作って持って行こうと感じました。
その方がいい仕事になるなー、意外と時間かかったし、これはまともに請求できませんね ハイ
さて、そんな彼女は真面目に接骨院に通っているのですが、その整骨院のお蔭もあって順調に回復しています。
今日も午前中で終わらせて午後から一緒に行ってきました。

面白いのは、Drに 腕を動かされて

「私って こんなに痛かったんだ~」

って気づいたって事 彼(Dr)の奥さんは

「痛みなんてほっておけばなおるのよ。だけど動かなくなるけどね。」

つまり、痛いのは体が発信している「問題あり」のサインなのだけど
痛いから痛み止め使ったり、動かさない様にしているうちにやがて問題は改善してなくても痛みの発信は小さくなっていく
例えば首を捻れば「ズキン」と痛む事が習慣化すると振り返る時に胸から叉は体全体で向きを変える事によって首の動きを補正して使っていく習慣が出来る
すると、首の使用頻度は減って、使われない部分は硬くなり、ゆっくりと退化していくように衰える。

この様な体の痛みから普段は見えない”良心の痛み”を教えてくれる。
例え不完全な良心であっても神は全ての人にそれをバンドルされていて多かれ少なかれ痛みを本人の魂に発信してくれる。
複数、多数だと 他の人がやっているのを見て 正当化出来たり これが戦争だと 人を殺す事さえ立派なことにさえなる。
ついには 痛みを感じなくなって さらに 随分と後になってから 苛まれ続ける事もあるだろう。

またDrのことば

「痛いところに原因があるんじゃないだよ」

そうなんだよね。実際心の奥でズキンとするんだけど 問題は 痛んでいるそこにあるんじゃなく
そこは痛みを発信しているだけ

このあたりまでは誰でもありがちですが、クリスチャンとなると いよいよ完全復活した良心の元 さらに複雑な事になる事も多々見かける。
それでキリスト教界には精神病理に病む人が普通以上に多くなっている、本当に救いが必要なのはどっちなのと思えるほど
Drの奥さんのことばが やはり気になります。


「痛みなんてほっておけばなおるのよ。だけど動かなくなるけどね。」

2 件のコメント:

  1. 信仰的にも評価の分かれるC.S.ルイスですが、彼の「痛みの問題」という本はけっこう好きでした。痛みを通して気づくことは多いですね。何も気づきたくないので、痛みがなくなって欲しいです。仕事納めですか・・・こちらはこれからとんでもなく忙しくなります。

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  2. Saltさん

    C.S.ルイスさんはとっても頭のいい方なんでしょう。
    暦の上ではDecember しかし師走って妙に説得力あり

    「何も気づきたくないので、痛みがなくなって欲しい」

    Saltさんらしい,言い方が面白いですが神様って結構真に受けるイヤラシイ所がありますよ
    学校は感染症を蔓延させやすい所ですが よき年始を過ごされますように

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