昭和5年生まれの父が世話したお米はノトヒカリ
以前は葉タバコを生業としていた時の乾燥場に置かれてあるので取に行くと
私がいた頃はアケビが生っていたアテの木にオンビ(ムベの仲間)が12月だというのにひと房ついていた。
早速2連ハシゴをだして収穫 アケビとはまた違った美味しさで好きだったなー。
3Lの卵サイズ程の大きさですが色が綺麗です(味も熟成されて美味でした)。
この種うえても 暖かい地方のツルだから育たないだろうなー
途中先輩の家に寄ってうちで生まれたサンダーさんに挨拶です。
またGSも綺麗に使ってもらっています。
「お前、こんな具合のいいが、何で離したん」
等と言ってくれているのでそれもありがたいです。
お蔭でツゥエルブのGSはほとんど乗ってないのだとか、インプレッサの奥にひっそりと置いてありました。
今度純正のアルミパニアを注文したそうでイレハンのGSに付けるそうです(17万円!)。
それにしても41ℓのタンクは他に類を見ない程 存在感があるな、
今見ても カッコいい 前に乗ってなかったら売ってくれと言っていただろう(←相変わらず○○)
先輩の庭にはサザンカが綺麗に咲いている
山茶花と書くようにお茶やキンモクセイの中まで ツバキと葉が同じです。
この花 蕾のうちは 赤に包まれているのに 満開になると 真っ白にみえる
この春に亡くなった先輩の奥さんを思い出した。
生まれた静岡より能登での年月がうんと長くなり、以前から体は弱かったけど綺麗な人だった。
彼女が亡くなって少しして娘さんに子供が生まれた。
姉が
「恋路の家(私の実家)誰もおらんがになったらどうする?」
って聞いてきたので
「つぶして さら地にして 誰かに買ってもらうのがいいと思うけど、、」
と、答えてみたけど どうだろう、、まあ、まだ少し先のことになる
その時考えればいい
50を過ぎてわかることも多い きっと70になれば今わからない事も知れることもあるのだろう
横断歩道を青信号のうちに渡ることの必死さ、階段を上がれなくなり、何をしても息が切れる体
どんなに小さい子であっても生きてさえいれば年寄りになれる
教室でじっとしていれなかった私もこうしてパソコンの前で長くいれるようになった。
長野に着いた時、白樺とカラマツ林の間に沈んでいく夕日が綺麗だった。
子供として生まれ、大人として過ごし、そして老人になれる
誰でも生きてさえいれば 最後には自分が死ぬという経験もさせてもらえる
テント暮らし、またはジオラマのせかいであったとしても
神が与え 見せてくれるそれぞれの人生
なんと 味わい深く また おもしろい
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