先日能登に行った折 久々に会った3人がいたのですが
皆10年ぶりくらいで、同級生の彼とは25年以上会っていなかった。 一人は私のいとこで 生まれて間もなく小児麻痺になり 不自由でないのは脳だけ 学生の頃までは、彼と将棋、花札、マージャンを徹夜でやったもの 私より3つほど年上で症状も進み ただでさえ不自由だった両手も 使い物には ならなくなっていた。 以前、彼には 神とイエスの事を話した事があったけど 話せないから手振りと表情で 「神がいるなら何故、私はこのような状態なのだ」 と、訴えて、 「わからないけど神の深い計画がある」 と、力なく答えたもの 二人目は 私の親戚でまた従兄弟になる 私と学校は違えど学年は同じで高校の時は一緒にバイクにも乗っていた。 私が父の家を出て長野に向かったその年 彼は転勤先の寮で倒れていてそのまま25年目になる 叔母さんによると時々起きては、テレビを見たりこちらの話している事がわかる のだと言うけど そんなフィールは、全く今まで感じた事はなかった ただ10年以上前だけど病院に彼がいた時 面会に行って 彼のお母さんもいなかったけど ヨハネの福音書を声を出して読んだ 病院だからそんな大きな声でもなかったけど 彼の耳に聞こえる程度の声でゆっ くりと呼んだ。 驚いた事は 彼も含めて 同様な症状の4人とも 声を揚げて泣き出した事が印 象的だった 「ひょっとしたら、わかるのかも知れない」 そう言いながら帰り道家内と話して帰った。 最後の一人は、小学校の6年間同じクラスだった 同級生のK君 工事をしていた家の主である従兄弟が 「Kちゃんも可哀いしきないげったわいなー」 って、言って何かあったと尋ねたら脳内出血で半身麻痺だという すぐに彼の家に行くと以前彼女としては会ったことがある奥さんが 「久しぶりですね」 彼も足を引きずりながら玄関まで出てきてしばらく話した。 夜起き時計の針は3時を示していたという、もう一度寝ようと思ったら 頭の中で何かが「シュ~」って抜けたらしい これは普通では無いとすぐに奥さんに声をかけて救急車で運ばれたという 出血の量はわずか14ccたったそれだけで 体のほぼ半分の機能を失った。 どちらかといえばお互いに落ち着きのない問題児で 私の名前を先生が大声で呼ぶと 似た名字の彼もいっしょに直立していた その 頃が懐かしい 今回不思議だった事は 自分のこころの状態で 全く彼らといて 気の毒だとか可哀そうだとも思わなかった 何か励ます言葉や ましてや聖書のことばを語ろうという 意欲も沸いてこなかった ただ 彼らと一緒にいて頭をさすったり、手を握ったり、話を聞いたりしただけ 一見希望がほとんどない様に見えて 3人と会えた事がとても良かったという思 いが残っている。 それは、お見舞いに行けて良かったとか 何か良い事の一つもしたからでもなく 彼らの魂は今日も生きていて 機能している、それが感じられたから 私と比べて優れているとか劣っているとか そんなこともなく 神の目には 同じ様なものだから 同じような可能性が 彼らの目の前にはある 神は何と偉大で イエスの名はなんと素晴らしいことだろうか
0 件のコメント:
コメントを投稿