2014年2月2日日曜日

ジィジ

朝、いつも通り起きて歩いてくるヒナを抱き上げて

「さあ、今日はお家に帰る日だ。」

と自分に言い聞かせた。
「淋しくない」と言えば嘘になるかも知れない
それくらい楽しい時間だった。
聖書にも孫に対しても書いてある
なるほど人生のボーナスステージを頂いた様なひと月


淋しいという漢字には二本の並んだ木がある。
確かに竹林の中などに入りこむと それ特有の静けさを感じる
それは、ただ音が少ないということではなく心で感じるもの
その淋しさは天の父が感じ
一人子イエスが味わられ
聖霊が今日も経験している事にも 関係している気がする。

父はどの様な気持ちで園の中央に二本の木を植え
園の管理人であった最初のアダムを、送り出し
その世界にひとり子イエスを送り
今日も魂の牢獄で悲しむ聖霊の声を聞いていることだろう

誰だってじいじ、ばあばなどになりたくもなく
そう呼ばれたくも、ないだろうけど
この関係性はそれを簡単に超えさせてくれる
子によって親にしてもらえるように
孫によってじぃじにさせてもらえる

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