2016年2月11日木曜日

昨日今日

 昨日は分電盤交換で信濃町のお宅へ
リフォーム中にすっかり仲の良くなった向こうの奥様と
最近またやり始めたザクザク刺すのでストレス解消にもなるというリースを始めている。
電気工事はまるでオマケの様で、終わった後も二人ですっかり楽しんでいる。
まあ、私のそんな2人を見ながら、ゆっくりとした甜茶とお茶菓子を頂いているのだからいいのだけど~

 今日は金沢から長野に嫁いで来た姪っ子から朝電話があり
「今日居る?誰も来てない?じゃあ行ってイイ?」
と、やってきて2人で喜々としてオリジナルレシピを開発し(大抵は材料の不足だとしても)ケーキ類を焼いている。
家内が19の時から「おばちゃーん」との呼ぶ声も変わらない(家内はその呼ばれ方も気に入ってます)。
そう考えると、お2人も結構長い付き合いになってますね~
ある男性の友達もキッパリ言ってました。
「そりゃ、こうして泊りに来るのも奥さんが居るからです。」


 所がそんな状況を私的には全然妬んでおりません。
むしろそれを歓迎している向きもある。
大体家内を嫌いになっている人とは私は付き合いたくもないのである。
エステル記のアハシュエロス王でなくても、
どうも世の旦那の中には自分の妻を他の人にも見てほしい気持ちが有るのかも知れない。
さらに私自身にはその逆の気持ちもあって
ある興味深い人物や、スゴイなって人と出会った時にその方の配偶者にチャンスがあれば合ってみたい気持ちが生まれる事も多い。
それは変なデバガメ的な気持ちではなく、自分の目効きが確かだったかどうかを確認するには、それがもっとも確実でもあると感じるからです。
私がまだ小さい時には、この地上には肉の親が居てくれたように
大人になって既に、孫らを抱く齢を重ねても、天には魂の親が居てくれる様に
この地上に命ある間、伴侶といえる存在がいてくれるように
来たるべき天上においては、キリストと言う誠の花婿がいる
ちょっと変な話に聞こえるかも知れないけど、私に出会う全ての人にキリストにあって頂きたいと願う。
そして私と親しくなる以上に、イエスと親しくなって欲しいと思う。
もちろん、色んな人がいて中には「私はキリストだけは嫌なんだ」とか仰る方もいて
もちろんそんな方には全く無理強いは致しませんが、変な話ちょっと内心ニヤニヤしていたりする。
そんなに意識してくれているからかな?
最後に言い尽くされた感のある名言で締めさせて頂きます。
「私の事は嫌いになっても
 彼女の事は嫌いにならないでください。」

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