2011年1月31日月曜日

ハイジのブランコ

借家の時代も持ち家になってからも我が家にはハイジのブランコがあった。
結構リアルなハイジのブランコで借家の時はカラマツの間に高さ7m程に結んでいた。
それでも十分爽快だったが、持ち家の横には大きな大山桜の木があってそこの枝に結んだ。
高さは12mくらいになっただろうか、2連梯子が届かなくて最後はそこから必死に昇って結んだ。
私も乗ってみたが空に向かって飛び出すかの様な迫力は経験したことの無い楽しさだ。
楽しく子供達も遊んでくれたが、ある日の家庭訪問の時
次女が先生をブランコに乗りながら待っていた。
調子に乗って両手を離して見せた時ブランコから落ちた。
下は何年も落ち葉がたまった土で少し下り斜面だったので大事にはいたらず腕を骨折しただけですんだ。子供の骨なので若竹を折った時のようにニッシャッとなって大人の様にポキンと折れなかった。
ただ毛羽立ってしまうので完全に折れた方が治りは早いそうだ。
ただその後しばらくしてハイジのブランコは取り外すことになりました。
先生も来た早々,即家内が病院につれていったので
家庭訪問も無しになりちょっと申し訳なかったです。
子供が大きくなったからなんだか又付けてみたいです。
でも大人になったらブランコで酔う様になったのはなんで?老化現象?

2011年1月30日日曜日

ミズキ

ミズキの木が大きくなって畑に日陰を作ってきてたので冬のうちに伐採する事にしました。
この時期だと水分を吸い上げてないので薪にも早くなりますし葉も茂ってないので楽です。今年は雪が少ないので落ちたくはないですが、、。
以前借家に住んでいた時は、カラマツ(間引きも兼用してるので細めのもので25cm位の太さ)を1本倒すと2週間分の薪が出来た。
また今は月が欠けていく時期でもあるので太い部分はミズキはあまり材としては良くないのですが、上手くすれば木材にも使えるかもしれません。
ミズキは名前の通り、水が好きな木ですので春に切ると本当にちょっとシャワーの様にチップと一緒に水が飛び出して冷たい感じになります。
私がここに住む前からここに生えていた木ですから敬意をもって使わせていただきます。
今年は畑の野菜に十分な日があたる事を願っています。

ロール白菜

二日連続で娘たちの彼氏が来たので二日続けてお土産を美味しく頂きました。
やはり男はせっせと貢ぐ必要があるのか、、、。
夕食はロールキャベツなのだがキャベツが足りず、半分以上はロール白菜を作ってくれた。
食べてみた感じ味はまあ、ミンチから出た肉汁の美味しさなのだが、
白菜の方が噛んだ時の厚みもあって食感がいい。
いけるじゃんロール白菜!食べ終わって撮ったので綺麗な写真で無くてどうも。
実家から冬越し出来るほどの白菜ももらえてありがたいです。この時期、白菜って美味しいですね。
ご馳走様でした。

2011年1月29日土曜日

冬の過ごし方(私の)

写真は長野高遠の桜です。江戸時代から天下随一と言われたコヒガンザクラはソメイヨシノと違いピンクが濃いです。よければクリックして見て下さい。今年は雪がとけたら行きたいと思ってます。冬は時々働く事はあっても基本は雪が解けるまでゆっくりとしている。

私は勤め人の時代があってその時は仕事があるとモーレツに(古)働いておりました。毎月の給料がありましたのでローンも出来ました。それでも、毎月決まった金額を払い続ける事の大変さを味わいました。
借りたらやはり貸した人の奴隷になるとは聖書の言葉でもあります。すると冬でも働らかないとならなくなる可能性は高くなります。
冬は他の季節と違うように過ごした方が健やかだと思えましたので、ローンは無い方がいいと実感しました。

次には少しばかりの蓄えがあるといいです。特に冬の厳しい所ほど計画的に一年を過ごす必要はあります。
薪を集める事と同じですね。そして大事なことは集めすぎない事です。
12月に入院したのは忙しく働き過ぎて自分で掘った穴に落ちた私です。反省しています。
薪でも集めすぎると下から腐ってくる心配が増えるだけです。ビデオなどもいつか見ようと思って溜め過ぎると面白い状態ではなくなります。

後は日々を楽しむ事でしょうか。これが簡単そうで難しいものです。
戸隠のクマの様に冬眠出来たら一番なのですがそうもいかず、やはり朝起きてしまいますし働かなくとも腹も減ります。
多くの人が働いている時に休んでいる、しかも理由が無いならこれが結構不安に駆られます。
天気も良いのに昼間からカラオケや温泉にいってただ一日を過ごす。
すると頭の隅に「幸せだなー。でも、こんな事していて良いのだろうか」という思いがよぎります。まるで働かない事が悪い事をしているように感じられるから不思議です。
戦時中だと確実に非国民呼ばわりされたでしょう。
今まで忙しく働いてきた人ほどそんな思いが湧いてきます。
レンタルビデオや漫画でも何でもいいですが、楽しむことが出来るといい感じで冬を過ごせます。
ただ最も大事なことは私にとっては、主が面倒見て下さるという信頼だと思います。
撒くことも刈り取る事も集めることもしない猿やイノシシがこの冬の厳しい戸隠でも増えています。神が養ってくださっているからで、ましてや神が私を養う事が出来ないなどという事は無い、という確信があれば
寒い時も暑い時も、悲しい時も楽しい時も、豊かでも貧しくとも主は変わることがありませんから、安心して過ごすことが出来ます。
そもそも私のいのちも家内も子供たちも神は支えて下さっているので、自分が愚かにも知恵を使って主の恵みの間に割り込まなければ春は迎えられると思います。

2011年1月28日金曜日

マヤカレンダーでインカ?アスッテカ?

なにかと話題が無くなると騒がれているマヤのカレンダーですが、
2012年の冬至付近でコヨミが終わっている事で最後の日という短絡的な話であります。
彼らのいくつものカレンダーは目視で計測したにしてはホント大したものです。
そのコヨミの一つ「長期暦」というのがあるが5125年周期彼らの言語も4万字もあって複雑なのですが、
さすがに五千年以上の暦を作ってみてわかったことは、どうしても誤差が出るので、
そこから先の暦も作ることは出来るが、誤差も大きくなるので、それより5千年経った時点でまた作り直した方が良いから、今、作っておく無意味さをわかっていたからだ。
確かそんなことも書いてあるとも聞いた気がします。
そもそもそこまでのカレンダーを作った彼らもカレンダー使い切る前に彼らの歴史おわちゃったし、
そんな彼らの暦を信じる事は離婚ばかりしている人に良い結婚生活のアドバイスを受けるような事。
反面教師というメリットはあるかもしれないが、、まあ、様々な危機を語っている方々もほとんどは金儲けや遊び、余興であって実際に終わりが来ると本当に信じているなら
仕事辞めて別な事始めているハズと思っているのですが、、。
確かに聖書にも終わりがある事が書いてあります。
今の世界が終わるわけですが、それは喜びの日です。
最高裁判所の判決がおりる日であって「勝訴」の者たちにとってはこんな祝いの日はありません。それは始まりの日です。
そして私はそれを伸ばすことも応援することすらなくてただ神がなさる(縮める事は出来る可能性あり)。
最近マヤの最後の日が2012年の12月23日だと報道があった。
誰かの誕生の祝いと微妙に重なってくる。
何が出てきてどうなる事やら、やれやれですが。
神の性格からいってあえて外してくるとは思ってます。写真は私が撮ったものではありません。そもそも占いしないし来年の事より今を楽しみたいです。

2011年1月27日木曜日

モノマネと本物

テレマークターンの仕方を習ってみて思ったことは、習うってすごい事だという事(言葉がダブったが)
教わる方も大変だが、教える方は、もっと大変だ。
私が教官なら「なにやってんだ○○」とか「違うだろなんどいったらわかるんだよ○○」などと罵声を浴びせかけているかもしれない。
そして、習うには自分で犠牲を払って習ったほうが効果があるだろうとも思った。
高い金を払うからには、何としてもその見返り位は得たいと思うはずだし、教える方もプロになる。
学校教育が無償化され義務になっていくほどに空洞化も進んでいく部分がある。
事実「俺はあんたに教えてくださいと頼んだ事は無い」と思ってきたし、こんな人間になりたくはないと思える教師もいた。
全てが金で置き換えることには反対だがこの人ならと思える優秀な教師のクラスに入るなら犠牲は惜しくないだろう。
世界中でも大体そうだがそこに行って誰かに何かを習いたいかどうかは入る人が決める(入れるかは別として)
そして努力してそれをマスターするだろう。
習う事はすごい。でもそれ以上の事もある。

イスラエルでは自分が誰を師とするかは弟子が選んでいたという、しかし、キリストは私があなた方を選んだのだという。
そしてその弟子となるにはお金を払う事も無ければ学校に行って資格を取る必要もない。
全ての犠牲はイエスが支払ってくれたのだ。「誰でも先生の様になれたらそれで十分です」と言ったのもキリストだがなりたくてなれるものではない。
モノマネで誰かが例えばジャイアント馬場の真似をしているのを見ると自分でも出来そうな気がする。
でもそれはモノマネのモノマネでしかない。クリスチャンにとってキリストは目標ではないし、最終到達ポイントでもない。
こんな時イエス様ならどうなさるだろうかと考える事はそもそも動機からして違っていると思う。
その様な事は自分を目先の悪から少し遠ざける事にはなるかもしれないが、本物にはなれない。
彼の様になると言う事は、彼しかできない事だからこそ彼は弟子を彼自身で選んだともいえる。
彼をして、彼の選んだものは彼のように造りかえる事が彼には出来るのである。
そこには私の労苦や努力は何も加える所が無い。
キリストは努力の結晶ではなく、恵みの賜物だから。

2011年1月26日水曜日

テレマークターンで人生のターン?


今、私の足はガクガクしている。なにも恐ろしい事を経験した訳ではない。
昨日は朝8時30分から黒姫で一日スキーをしていたのだ。
でもいつもだと、ここまでにはならない、自分の好きなように勝手に滑っているからだ。
昨日は、初めての経験「習う」という事を体験してみたのです。
我流にやるのではなく基本にそって頭の中にイメージを描き出す。
頭の中のそのイメージ通りに体を動かす。
そのイメージのほとんどはインストラクターである、まっちゃんの言葉から作り上げる事になる。
それは実に屈辱的である。自分のそれまでの考えを捨てないといけない。
今日は何度転んだだろうか。スキーでここまで転んだのは初めてです。
しかもいつもはバカにしている緩い斜面でである。
実に情けない。自分が愚図で不器用に思えてくる。
それは裏を返せばそれまでは自分は利口で器用だと思っていたという高慢さなのです。
 
基本にそって練習していかないとある所で成長しなくなってしまうし、
そのまま進む事は、危険ですらある。しかし留まったままだとそれもつまらない。
誰かに教えてもらわないと多分一生かかって少ししか上達出来ないだろう。
滑れたらいい、楽しければそれでいいじゃないとも思うがもし今より先を望むならそれだけでは私には無理だと思う。
テレマークはなんば歩きという佐川急便の旧飛脚のマークの様に右足と右手を同時に出す形なのだから。初めから写真など撮っている場合じゃないと思ってカメラも持っていきませんませんでしたので画像はネットからです。

たとえば一緒に習った I 君からカヤックをまっちゃんからはスキーを私も望む誰かに何か教えてあげれたら毎日はもっと楽しくなれると思いました。
最後にまっちゃんが「こんなに忍耐があるとは思わなかったな~」と言ってくれたことを褒め言葉と思って出来ない自分へのエールとしたい。

2011年1月25日火曜日

情報

当たり前のことなのですが、、
テレビや新聞、本や映画をみていて、自分が幸せでないのなら、見ない方がよいのです。
アメリカ第3代大統領のトーマス・ジェファーソンの言葉にこうあります。

「何も読まない者は、新聞しか読まない者より賢い。なぜなら、嘘を信じる者より真実に近いからだ。」

以前教会を出る時には家族以外の誰とも打ち合わせや連絡をしなかった。
する必要もない,誠の教会の頭である方が「出ても良い。」と仰ったのだから。
後で、「聞いてなかった」「何故、知らせてくれなかったのか」言う人もいた。
発信しない訳でもなく以前の教会という名前の集まりの方向性がイエスと逆な方向に向かっているのを気づいてから修正出来ないかと 10ヶ月語ってきたつもりだったので
もっと込み入った話は出来なかっただけなのだ。

何を聞いて何を信じるかはその人の自由だ。
メディアの携わっている方の多くは人として素晴らしい方々だと思う。それは医療や政治活動、平和活動、環境活動、動物愛護の方々も同様だ。
しかし、残念な事にその根本で汚染されているものだらけというのが、今の私の見方です。
インターネットは、まだ形上それほど規制されていない。
ここで私がどんなことを書いても自由だ。
私はスポンサーや広告代理店にオベッカしなくともいいし、いつこのブログの掲載が止まってもかまわない。
そのうち、ネットの世界でも管理され規制され去勢されてしまうだろう。
この押し流されやすい世にあっても、私は何を信じるか、それだけは自由なのです。

2011年1月24日月曜日

教育


”歯が痛む夜 咳が出る夜 麻痺が起こる夜は 夜明けが待ち遠しい”

故源三さんは千曲市の方だ。
PTAの集まりの時小学校の校長先生がこの詩では無かったが
”新聞のにおいに朝を感じ、、、”の源三さんの詩と星野さんの挿絵の詩を読まれた後
以前の授業でそれを読んでもらった小学生の一人の感想文を読まれた。
「、、、この二人には何か共通点があると感じました。何となく不自由があっていつも家の中にいらっしゃる方なのではないかと思いました。」読み終えられてから、「この2つの詩からは障害者とは一見読み取れない。でもこのような感性をもった子がいるんですよ。学校はそんな子を育てていく場所、、。」
と言う話だったが、後にいた家内が「あれ、(長女)が書いたんじゃないかしら」と言った。
言われてみたら確かに、後で聞いてみたらそうだった。
両者の本は持っていたが、別に見せた事も話したことは無かった。
校長先生には少し悪い気がしたが、教育は親がすることで学校で起きた事であっても全ての責任はまず親にある。学校はその応援していただける存在と以前から思っていた。もちろん知識などでは学校は親より優れている事を期待しているが、団体行動などもまず先に親との関係が基本だと考えていた。親にも従えない子がほかの人につかえていけるのだろうか。
そして親に従ってきた子が、親に従わなくなる時も来るだろう。そしてその過程もすごく大切だと今では思う。
少子化や政治、年金問題、国際問題も大事だが本当に大切なものは身近にあるのだと思う。

2011年1月23日日曜日

タラの芽


春の山菜でタラの芽は良く食べます。
クロカンの途中で何本も見かけました。すでに春の準備が出来ています。
冬の寒さの中でも粘りっこい樹液で凍らない様に頑張ってました。
だから芽を採ると後から後から透明な糸を引くゼリー状のものが出てきます。
人の手で栽培されたスーパーなどで見られる綺麗な緑色のタラの芽は昨年伸びた枝を伐採したもので、
敷き詰めた大鋸屑や水の入ったバケツに挿しておいたもの。出荷前にビニールハウスで気温を上げ発芽させる。
天然ものよりもだいぶ味・香りが弱く、水っぽさがある。
天然もののタラの芽の天婦羅は冷えても歯ごたえがしっかりしているが、枝切りして芽吹かせたタラの芽は天婦羅が冷えると萎んでしまう。
写真のタラの芽は他のものと違ってすごく棘が大きく立派です。
標高は1400m程の歩いて行った最も高い所でした。
鋭いトゲは猿などの動物から自分を守るための主の装いでもあります。
この手は天ぷらにしても口の中で棘がちょっと痛いです。
春には春を感謝して一番の芽だけ頂かせてもらいます。
戸隠では高さ15m太さ40cm程のクルミの木の様なタラの木を見た事あります。
ほとんどの針のある植物がそうだが大きく成長すると針が無くなる。
パイオニアウッドと言われているが、そこまで成長したものを見上げる時何か感動する。

2011年1月22日土曜日

ピーナツバタークッキー

ピーナツバタークッキーを作りました。
ショートニングを使うレシピだけどバターを使って作ってみました。
ショートニングを使うと軽いさくさく感があるクッキー、
バターを使ったけどさくさくしてたので
カロリーはちょっと高めになるけどバターでもいけます。
ピーナッツバターのクッキーは香ばしくって美味しい~

2011年1月21日金曜日

月と


昨日は予定も無かったので(無い日の方が多いが)
アミダクジを作った。下が見えない様にして家内に決めてもらったら図の様になったのでカラオケに。
車で出発したとたん「あっ、DVD鑑賞もアミダに入れるの忘れた。」
TSUTAYAの5本1000円レンタル中でした。
どうして出発してから気づくのだろうか。
でもコロッケサンドのお昼とおやつも持って出たのでそのまま続行(そのカラオケは持ち込みOK)
フリータイムフリードリンクで2人で990円。
田舎にいたらこんな事できないなーといつも家内と話しながらの移動。(今も田舎かも知れないが県庁所在地や長野駅まで22分!実家は金沢までなので2時間強)
帰りは食べ物だけ買って帰る。
冬は特に月夜が綺麗です。
夜でも空がちゃんと碧いのがわかります。
月とすっぽんという言葉ありますが、高校の古典の先生の話(32年前)によると
「月とすっぽんは形と大きさが似ている(見た目)が月は大空にあり
スッポンは泥の中にいる」美しいものと汚いものの例えらしい。
本来、土からとられ、土に帰るだけのものが、イエスの光をうけて照らすものとされるキリスト者を思わされる。
救いを得るのと失うのとでは、まさに月とスッポンの違いがある。

2011年1月20日木曜日

日の入り


この時期は日が昇る時も良く見ることが出来る時期だと思うが
冬は家から見える北アルプスの左の陣馬平山に夕日が下りる。
夏はアルプスの右、荒倉山に日が下りる。
おてんとうさんを拝みたくなる気持ちはわからないでもない。
眠れない夜や寒い時、辛い時でも陽は昇ってくる。
どんなに苦しい時でも新しい一日を与えてくれる気にさせる。
天のはるか高い所で輝いている、暖かさを与えてくれる、全てのいのちを支えてるエネルギーの源。
それは確かに神をイメージさせる。しかしそれは神にとっては、ほんの一面でしかない。
イエスはある意味、義の太陽である。
今の私の立ち位置からみてイエスが沈んでいったとも言える十字架の夕日はどの方角に見えるだろうかと言う事は決してどうでもいいことではない。
朝日と夕日を浴びることによって私たちの体内時計のズレが正確にあわせ直されるように
イエスの朝日ともいえる誕生そしてその生き様夕日ともいえる十字架の光を浴びることによってしか、修正されることの無い信仰のズレ。
神が造られたものであるが、その沈む場所を覚えてイエスを覚える。

2011年1月19日水曜日

小鳥ヶ池

娘が戸隠は雪があるのが当たり前なので道もこれが普通だが、市街地は大変で15分の道で1時間かかると言っていた。
昨日は初めて鏡池のお隣の小鳥ヶ池に行ってきた。
毎日積もってくれるので、雪が綺麗です。歩いていてもベッドの上を歩くような気持ちよさで、これは今シーズン初しかも雪が軽いので抵抗が無く楽です。
誰もいない、全く跡もついていない小鳥ヶ池の中央を二人で跡を付けながら歩いていく下に水があると考えると不思議な気持ちになる。
そこから山を越えて谷沿いに歩き鏡池まで行こうとしたのだが冒険になりそうだったので今日はやめにし引き返す。
帰り向こうからスノーシューを履いた方とワンちゃんが3匹走ってきた。家内は2度もキスされていた(* ̄◎ ̄*)ぶっっちゅうううん。犬の感覚が懐かしい。
ベルがいたら同じようにはしゃいでいただろう。
マナもこの雪の様に毎日降り積もったという。神の恵みは毎日新しくそして十分あります。
今年の冬も綺麗です。

2011年1月18日火曜日

残り香


「ゆりの花のことを考えてみなさい。どうして育つのか。紡ぎもせず、織りもしないのです。
しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
しかし、きょうは野にあって、あすは炉に投げ込まれる草をさえ、神はこのように装ってくださるのです。ましてあなたがたには、、、」

結婚式が決まった二人とお話しする時にはこんな話を話をすることがあります。
「当日は新郎、新婦と呼ばれます。しかしそう呼ばれるのはその日1日だけです。
後で人の式などで、あの時は自分がそう呼ばれていたことを思い少し寂しく感じるかもしれません。
でもそれでいいのです。私たちは花を見て綺麗だとか良い香りだとその時は注目しますが、花が咲いている時はほんの短い時間だけです。
すぐに枯れたり散ります。花は実を結ぶために咲きそして実を付ける為に散ります。
でも、装ってもらった経験を忘れなければ、「あの人達も今、あの時の私たちの様な気持ちを味わっているのだろうか。」と自分の事だけではなく人の事も思える時も来ます。全ての経験は正しく受け止めるなら益になります。
だから、様々なその時を十分味わっていただきたいと願っています。」

ドライフラワーは長く私たちを楽しませてくれますが、
古くなったものは薪ストーブに入れます。ラベンダーなどは燃えていく時もあのラベンダーの香りを残していきました。私達が地上を去る時は、ただキリストの残り香だけが有ってほしいです。
最後まで装ってくださる主は素晴らしいです。

2011年1月17日月曜日

野菜屋さん


いつも寄る野菜屋さんは12月25日で仕事をおえ
春になり暖かくなったら仕事を始めます。
ここのレジを任されている女性の方は、いつもおまけをしてくれます。
それは安くしてくれたり、なにかを付け足してくれたり
そんなにしてくれるの~と思うくらいのサービスです。
ので私も家でクッキーなどつくた時は、おやつにどうぞと持ってい言ったりもします。ほかのお客さんも野菜屋さんにもかかわらず家でできたきゅうりや大根などももっていったりしているようです。
昨年の仕事納めの日に買い物によったら
お客さんからもらったのだとドライフラワーを見せてくれて
「飾るとこある?」と聞かれたので「ありますよ」と答えたら
その袋に入った大半を私に渡して「使って」とくれたのです。
気前が良い人だと毎回思わされます。
そしていただいてからようやく
先日袋から出して、昨年家で咲いた白いアジサイも枯れてくると
またいい色を出していたのでドライにしていたものと
一緒に飾らせていただきました。
花のない冬にあざやかな色が部屋を飾ります。
また春会える
野菜屋さんのレジのNさんありがとうございます~

2011年1月16日日曜日

だって直人さんだからね。

あまり政治の事や事の良し悪し人の悪口はここでは書きたくないのですが
ネットでは話題の伊達直人ともう一人の話題の直人さんが風評されていましたが面白いのもあったので十分見た人もいると思いますが、転載させていただきます。

殊勝なのが伊達
首相なのが菅

タイガーなのが伊達
たいがいなのが管

プロレスがあるのが伊達
プロセスがないのが管

苗字が伊達なのが伊達直人
政治が雑なのが菅直人

ここ一番で本当に頼りになるのが伊達直人
ここ一番で全く頼りにならないのが菅 直人

裏切り者!とミスターXから目の敵にされているのが伊達直人
裏切り者!と小沢一郎から目の敵にされているのが菅 直人

必殺技を決めるのが伊達直人
「俺に決めさせるな」が菅直人

虎のマスクで顔を隠すのが伊達直人
虎の威を借るのが菅直人

庶民を勇気づけるのが伊達直人
庶民を落胆させるのが菅直人

フェアープレーで闘うのが伊達直人
スタンドプレーで目立とうとするのが菅直人

贈与するのが伊達直人
増税するのが菅直人

リングで虎をかぶるのが伊達直人
選挙で猫をかぶるのが菅直人

名を出さずに行動するのが伊達直人
口だけ出して行動しないのが菅直人

子供達にランドセルを背負わせたいのが伊達直人
子供達に借金を背負わせたいのが菅直人

以上、風評というより小馬鹿にした悪口だがこれらの事は自分の事だと思って読んでもいいんじゃないかな。
私も含めて日本の代表にしたのは日本国民だ民主党に入れた人もそうでない人も責任が無いわけではない。
神は国とその指導者の為に祈れとある。神は変わらず素晴らしいです。

2011年1月15日土曜日

郷路


4年ほど前の事
NTTからの仕事を手伝ってほしいとの事で
2名でということで息子と冬にアルバイト
さすが大手だけあって朝もあわてず、夕方も4時30分には帰ってきて5時に退社する。
仕事は雪に埋まった電話線を掘り起こすという割と単純なものだが、
積雪が平均4m程にもなるとほとんど八甲田山の世界である。場所により12mの電柱が50cm程しか出ていない。つまり地上11m位にいるのだ。
世界でも豪雪地帯として知られる。飯山斑尾境にある郷路という集落。
住民は84歳の男性一人、電話の回線が切れたら生きているとも死んだとも春までわからない。
朝、防寒着にかんじきを履き最も近いところまで車で移動自販機でホットのお茶を買いポケットに忍ばせ除雪された道にハシゴをかけて雪の壁を登る。
登れば後は雪道をラッセルするのだがおじさんたちは私も含め100m程しかもたない。標高もそれなりに高く、しかも腰近くまでカンジキを履いてもはまるからだ。
結局道のほとんどを若い息子が道を付けていく。後ろにいても息があがってくる寒く感じないのはありがたいが、数キロの道(?)が本当に遠く感じる。
途中で「スノーモービルはどう?」と聞くとこれだけ積雪があり木が多く平らで無い場所は沈んでしまいモービルは無理との事。
ヘリコプターも雪崩や着陸したら最後あがれない。結局最後は人力なのだ。
2時間少々で到着してお茶を飲もうとしたらポケットのお茶は凍っていた。
お爺さんは一人で屋根の雪下ろしをしていた。「最近はちょっと腰の切れがわるくなった。」と言いながら屋根より高くなった雪壁にスコップで雪を飛ばしている。
秋に収穫した野菜を乾燥させてお湯で戻しての自由自足。テレビも無く秋から春まで誰にも会わず暮らす。自動車や除雪機、オール電化などの文明に頼らなければこの環境でも人は生きていける、ただお金と便利さ子供の教育などを求めて他は誰も居なくなってしまった。
彼はここで生まれ育った。その時夏にバイクで同じルートを行ってまたお爺さんに会ってみたいと思いながらまだ行けてない。

本当は携帯を一台渡して無料でも良いので宛がっておいた方が遥かに安上がりなのだが、ちゃんとコストがかかってもやる日本の企業のすばらしさと一人で暮らすお爺さんの生き方に何か尊厳さえ感じた。画像は大変すぎると撮れません、でしたので昨年12月24日の私の家です。
今の私の力量にはこれくらいがちょうどいい。

2011年1月14日金曜日

鏡池


戸隠連邦を写し出す鏡池の事をいつか書こうと思っていたのだが、
Sさんとのコメントの中で書きたかった事が大体まとまってきたので、以下転載させていただきます。

*主題は
「私達は 鏡のように主の栄光を映す・・」
(Ⅱコリント3の18)です。

*私
私たちは、長野市街に行くとき渓谷を下ります。
特に秋から冬の初めが綺麗なのですが(冬は凍結)湖面に逆さに写り込む景色が年を重ねるほどに綺麗に感じています。
大抵は家内が横にいるので「水面に綺麗な景色が見えるのは、その風景が綺麗だからで、水とはあまり関係ない。でも綺麗な水の方がきれいに映るし波立つっていたら綺麗な物もうつらない。」と、話しながら
ちっぽけな水たまり程の自分にキリストをどれだけ移せるだろうかと考えます。
何度でも再確認が私たちには必要なので、様々な事柄を通して飽きる事無く啓示してくださる主に感謝です。

*Sさん
鏡や水面が写すものは「そのもの」ではない
としても 光はそのものですよね。

パウロは後半で
「そのもの」によって
私達が創り変えられる、というような
ことを言っているのかも知れません。

*私
いくら鮮明にキリストを写し出したとしても、鏡や湖面はキリストではない。

しかし、確かに光が湖面を見る者の目に入るとき、見る者の目にはキリストが映し出される。その光はまぎれもなく彼から出たもの。
生まれたままの時の私はいくら求めても調べ上げても覆いがかかっていてイエスを見ることはありませんでした。またキリスト者となってからも自ら主との間に覆いをかけた事もあります。ですからキリスト者であるのに闇の中を歩み続けた時もあります。
私たちは神にはなれないが、神は男と女に人を造られた様に、形は違っていても、主の霊によって私たちはイエスと同じ像に造りかえられていくので、一見この肉的には空しい様に見える奉仕が失望に終わることが無い事を見る。

キリスト者は、ただ湖面の様に表面だけではなく、主の憐みによってイエスの様にさせていただける。
ここにキリスト者の希望がある。
その希望は失望に終わることが無い。

*Sさん
主と私達は一つである。
しかし当然、区別はある。

神と人には
当たり前のことだが
厳然たる区別がある。
しかし、私達は彼と一つである。

何故なら神が人であるイエス・キリスト
によって
その不思議を達成されたから。

聖書はそのように言っていると
信じております。

画像はあえて逆さにしてあります。

2011年1月13日木曜日

血縁関係


愛知県瀬戸市の叔父の所に2晩泊まらせてもらった。
子供の時から何度も行っていた(中3時は1ケ月)ので、半分家族の様だ。
2晩とも外食を奢ってもらい財布にも優しい親戚付き合いでした。
つくづく血のつながりってすごいなと思ったのですが、
叔父と二人の息子、私の4名はDNA解析しなくても似通っている事がすぐに判るが、
女性陣4名は血もつながってないし、本来それぞれ接点すら無いハズの赤の他人同士。
だからこそ結婚はすごいなと思いました。
だって私の姉妹達や両親以上に誰よりも家内は私の事、良く知っているし。
恥ずかしくって言えない醜態も晒してきた。それでもそんな私を受け入れてくれている。
世の旦那の全ての最もほめられたい相手は妻だと私は思う。
どんなにモテたって、褒められても(たとえ全世界を手に入れたとしても!)
妻からの評価こそが神の評価に最も近い地上での評価と考えている。
そんな難しい理屈付けなくとも、そうなんだからしょうがない。

肉による血の繋がりでさえこのように素晴らしいのだ。
霊によりキリストの血の繋がりの素晴らしさは本当の意味ではまだ味見程度しか見ていない。
冷え込んでいたとはいえ名古屋は暖かく午前中でも公園で散歩を楽しめた。
長野は粉雪が舞っていたが、私は今、戸隠の冬が好きです。
写真は帰り道、家に上がってくる途中の所が凍っているので撮ってみました。
今、ここに住まわせていただけること、なんだかいいな~

2011年1月12日水曜日

カワセミ


ヒスイともよばれるので翡翠とも書きますが、名古屋の中心部の公園にいて、割と人なれしているのかサービスして何枚も撮らせてくれた。
何度も水にパシッと飛び込んで小魚を採っていました。
その動きはアメリカのハミングバードを思い出させるようで綺麗可愛いです。
枝に留まっている写真の目つきが悪く見えるのは私をウザったく思ってみてるのではなく、
カワセミにはゴーグルが標準装備させてくださっているので飛び込む時だけでなく
時には陸上でも確認中を私がパチリしただけだとおもいますので、彼女の性格も目つきもわるくありません。(下の写真参照)
メスがくちばしの下がオレンジでオスが黒いのでこれは雌。
綺麗な鳥で見ていて飽きないが、カワセミ本来は青くなく、光の加減で青く見えるらしい。これを構造色と言うらしいが蝶やシャボン玉も同じですね。
かくいう私も本来はかなりドロドロなのですが、主の光の関係で、良い印象に見える時もあるらしいです。ありがたいこってす。はい

2011年1月10日月曜日

おばちゃん

ずいぶん久しぶりに石川にいて長野に嫁いだ姪っ子が
お泊りに来てくれました。
彼女が5、6歳の時、私が19歳で嫁いだ先で
かわいく「おばちゃ~ん」と呼んでくれました。
おばちゃんと呼ばれてすっごく嬉しかったことを彼女に会うと思い出します。
なので今まさしくおばちゃんまっただなかの私は
おばちゃんと今でも読んでくれる彼女が長野に嫁いで遊びに来てくれることを
とっても嬉しく思っています。
旦那さんと小学生の息子さんが、スキーに出かけている間に
一緒にクッキーを作り、彼女の家で待つ義母がお誕生日なので
ロールケーキを作り持って帰りました。
別荘に来たみたいだぁと喜んでいってくれたので
また来てね~といったらまた来ちゃいますよ~と言って帰っていきました。
おばちゃんは楽しい時間を過ごしたのでした。ありがとう~

2011年1月9日日曜日

またむし

えー,昨日が虫の話だったので今日も(なんでやと思う方は無視してください。)
カギムシという前足がカギ状になった虫ですが、少し気味悪いですが面白いですね。
ホラー映画弱い方は画像をクリックしてはいけません。
昆虫の先祖と言われてますが、こいつはこいつでしょ。
もし本当に先祖なら何故今も生きている?
見た目、足のあるナメクジかウミウシみたいな生き物で主のユニークさがいかんなく発揮されていると思うのは私だけ?
有爪動物は世界でこの種類しかいない、
非常に稀な生き物で太古に絶滅した動物たちと共通点が多く見つかっているらしいです。。
ハルキゲニアなどとも確かに似てますね。化石上では大きいのもいたらしいですが現在は20cm程で良かったかもしれません。

2011年1月8日土曜日

パパがかんてん

伊那食品に行ってってきたとき
寒天パパのゼリーを買ってきました。
以前からプルルン系が好きな主人のために
プリンは、本格的なプリンよりも寒天パパのプリンが好きなので
良く作っていたのです。
出血性十二指腸潰瘍の食事もゼリーは食べれたので
寒天パパは大変助かりました。
この寒天パパは、パパでも作れるからこのネーミングなのだと
わかった時点で、なんだか私の中でパパでも作れるのにはまってしまって
「ほら、パパでも作れるゼリーだよぉ」と言いながら
作っていたのです。だってちょうー簡単!!

そして今日ついに主人は、ゼリー作ろうと
お湯を沸かし始めたのです。
80度以上のお湯が1000cc~1100cc
やかんに計量カップ500ccので入れ始めやかんいっぱいの水をいれて
「あれこのやかん丁度1000ccかぁ」などといっていたのでそんなはずはない私が適当にやかんに半分水を入れてもゼリーを作るにあまるのになぁと思い
「本当ぉぉぉ」と疑ったかんじで聞いてみら
「なんだこの計量カップ500ccかぁ」ととぼけている。

容器にお湯を1000cc注ぎいれ寒天ゼリーの粉末を1分間混ぜるだけ
1分間の作業中「これ1分間かき混ぜないとだめなの」とやはりいうと思ったぞ
解けたので1分間必要ないだろという考えなのだ。
溶かしたつもりでも意外にそこにかたくなって出来上がるときもあるから
簡単なのだから1分間はがまんでしょう。
そして缶詰のフルーツを加えてさまして冷蔵庫に入れて出来上がり・・・
ついに作ったパパでも作れるゼリーやったね。

冬なのにあり?


冬には虫の話などはあまり関係ないかもしれませんが虫の話です。
今、虫の殆どは冬眠などで越冬中です。
童話アリとキリギリスなどでは冬こそが話のポイントで、人間的な結論じみた教訓を与えてくれる大事な箇所になってます。
しかし、あの話は嫌いです。何故あの冬、アリ君はキリギリス君に蓄えを分けてあげなかったのか。
でも道徳的な話にするならそこからこそが大事だろうと思う私はただの捻くれ者かもしれない。
アリとキリギリスは違う生き物だし、そもそも人間などはそんなにうまく出来てないし、アリさえも皆そうではない。
アリ達の中で2割弱程は怠け者もいることは結構有名だが、残りの8割にも個性がある。
聖書の中に「アリを見ろ」と神が言っている事の奥深さを知るべきだと思う(上からのもの言いですみません。自分に言ってます)
殆どのアリは地面に穴をあけてそれを住まいとする。電柱を立てる為に沢山穴を掘ってきました。結論!穴を掘るって大変です。
6日に世界仰天ニュースでやってたモロッコの監禁事件。マリカ・ウフキルさんとその家族
14年間も囚われの身で、牢獄から穴を掘って脱走!すごいです。今度、本を機会あれば読んでみよう。
映画大脱走でもこの手の話はありますが、一番難しいのは掘った土をどうするかです。
波打ち際で砂を掘ったことのある方なら簡単に想像できると思いますが、ただ掘っていると穴の周りに砂の山が出来て非常に都合が悪い。
でも遠くまでわざわざ運んでいたら効率が悪い。アリさん方はどうするかというと。土を丸めて前の足(手?)2本で大事に抱えて外まで運び出すのですが、、。
それぞれが適当にやってます。(少なくともそう見える)
真面目で頑張り屋さんは初めから遠くに置いてヤル気の無い奴(多分?)は入口のところにおいて普通の方々は中間に
そして、打ち合わせたり話し合いしたり誰か監督に指図された訳でもないのに出来上がったときには大体均一に散らばっている。
これこそ神が最も言いたかったことじゃないだろうか。これも教会の一つのひな形だと思ってます。
頑張った人がもてはやされ褒めを受けるのでもなく誰かが、リーダーとして導くわけでもなく一見テキトーでも後で全体を見た時にちょどいい。
都会ではアリの巣も見る機会が減ったかもしれない。そしてあっても、ゆっくり眺めている時間が無いかもしれない。
是非、今までアリの土の出し方を見てない方は春には見てほしい。
写真は約50平方メートル、深さ約8メートル。作業している人が蟻に見えるほどです。そこに住んでいる蟻は数十億匹という、一匹一匹は小さいですが北はフィンランドから熱帯地域まで地球上のあらゆる所に生息している蟻は身近な昆虫。
今朝は氷点下13度程になりました。
アリ達は土の下で暖かく過ごしている事と思います。ありがとうございます。

2011年1月7日金曜日

クロカン

去年から始めたクロカン
雪が降ってまたあの誰もいない緑が鮮やかな場所だった、
木々の合間を雪が無いと入っていけない場所に入りこんでいく、
真っ白な雪の上を先を行く主人のスキーの跡をついていく
時には並んで時には立ち止まり進んでいく、
すこしの坂を下ることが恐くてすっころぶ、
一人で立てず起こしてもらう顔中雪だらけだけど
主人なので恥ずかしくなどない、笑って笑ってまた進む
キリストと歩む人生も
キリストの跡を歩んでいく、時にすっころぶ事もあり
がっかりし立ち上がれないとき手を差し伸べてくださり、
月日が経つと笑えなかった事が感謝に変わっていく・・・
などと思いをはせながら
またはぁはぁ息を吐きながら主人の跡を追う。


こんな広く戸隠山が一望できる景色を二人締めにできる優越感に
浸り汗がにじんで運動不足の体に良い汗をかく
自分の足で地面を踏みしめて歩いていくことが心地よい。

2011年1月6日木曜日

クロカン



クロカンの途中人が入れるほどの根元の木を見つけた。
去年も一度通っていたのだが、去年は3m程の積雪でみえなかったのだろう。
今年は1m程でしたので写真を撮ってきました。
でも地上1m程の所を歩いていると考えると何だか不思議、木は多分ドングリだと思います。
戸隠の参道の所にも人が入れる杉の根元があったのですが、
JR東日本のCMとパワースポットブームで人が増えすぎて今は杉の穴には縄を張ってあります。
人の踏む影響で杉並木が枯れるとの報告やパワーを求め名所の杉の皮を剥いて持っていく人もいて入場制限もささやかれている昨今ですが、
そもそも何もせずそこに行くだけでパワーをもらえるって、考えてみてもありえないでしょ。
でも氷点下の雪道をストッキングも穿かずに来ているミニスカートの方もいて、パワー有り過ぎ。小百合さんも冬に撮ってCGで作り上げたCMらしいので、流石女優です。
まあ熱しやすく冷めやすい国民ですからその時をまっております。
参道から10分で誰もいない場所がある事が感謝です。

2011年1月4日火曜日

きらきら


高3の夏前だった。たぶん法事か何かだったのだろう、あまり行かない親戚へ行くことになった。
両親は車で先に行っていたのでバイクで向かった。着いてみると、他にも親戚がいた。
とりあえず中に入って挨拶だけした。「あれ~○○ちゃん大きくなって~。」とか言われる。
ふと居間の方を見るといつものおばちゃん達の中に見たことないお姉さんがいた。二十歳程か、もう少し上だろうか。
ちらりと顔を見た。色白でそして可愛かった。ちょっとドキッとした。
多分向こうの親戚方の姪御さんなのだろう町の雰囲気、そして私の親族と全く違うDNA。
居場所の無い私はそのうち中から出て外でバイクの脇でうろうろしていた。
開け放された昔からの座敷に縁側から流れこむ海風。
砂浜に打ち寄せ戻る波の音と潮の香りも一緒に流れてくる。
時折、昼でも薄暗い家屋の中に黒っぽいの服に混じって華やかなでも上品な服の彼女が手伝っているのが目の隅に見える。
1時間ほどしただろうか暑い日差しの中にいた私は本家の長男にも関わらずその場からエスケープしようと決めエンジンをかけようとした時、
傍らに明るい色服の彼女が立っていた。そこで何を話したのか今では覚えてもいない。
「ねぇ、一度乗ってみたいから、後ろ乗せてくれない。」そんな感じだったのだろう。
心の中では驚きと共に何かの鐘が鳴っていたと思うが、「いいけど、危ないから俺のメットしかないから、これかぶって。」
初めて真近で顔を向い合せるが恥ずかしくて目は見れない、愛くるしいとしか書き様の無い彼女の顎のラインにアゴ紐を通してあげた。
手のひらに彼女のほほがふれる。まるで僕の心にも何かが触れたような気もした。
親戚に何も言わず彼女を乗せ走り出す。親戚の家からの、その長い進入路から3桁の国道を左折した。
しばらく走った、まだ体が硬い感じだった。能登の漁村特有のヤキスギの外壁と漆黒の瓦に照り付ける陽が光って見える。
チラリとバックミラーを見る、私の後ろで私のヘルメットを被った彼女が抱き着いている。
家並みを抜けた後、僕と彼女を乗せたバイクは海沿いを走っていた。
女性を後ろに乗せたのはその時が初めてだったと思う。
何度かバイクを見晴らしの良いところに止めてヘルメットを取る時の彼女のサラサラの髪とこれぞ夏といった弾ける笑顔がキラキラしていた。
少ししてまた走り出す。別に意識してではないが自然と体と体がふれる。どこに当たっても角が取れた柔らかな感覚、なんだか無性に嬉しい。
胸の奥の何かが甘酸っぱいもので浸されていくのがわかる。
ノーヘルで振り返り「ちょっと飛ばすからしっかり掴って」と彼女の目を見て声をかける。
リアス式海岸特有の海に突き出た急カーブをトレースする私も彼女もどんどんバイクと一つになるように曲がるたびにスムーズに駆け抜けていける。
携帯も無い時代。もちろん親戚が騒ぎ出す前に送り届けたと思う。
「ありがと。楽しかった。またね。」そう言って彼女は何事も無かった様にヘルメットを渡して親戚の家に入っていった。
私はエンジンをかけてまた走り出した。さっきまで二人で走っていたその海岸沿いを今度はフルスロットルで駆け抜ける。
吹き込んでくる潮の香りと共にヘルメットの中にまだ彼女の香りが残っている気がした。
今でもその親戚の家に行くと名前も聞かなかった彼女の事を思い出す時がある。
もう結婚していいおばさんになっているだろう。
でも私の心の中では、年を重ねていても今も碧い海の波の様にキラキラしている。

2011年1月2日日曜日

駅伝



駅伝を見ながらのブログ更新です。
箱根と同じく人生にも様々なドラマと涙がある。
写真は去年の家からの景色と今の景色です。
一つとして同じ事は無いからこそ今が大切だと思います。
去年が終わるころ家電が鳴った。
6年ぶりの声だった。教師を辞め突然家族で海外に移住。
日本にいる事より妻といることを優先した彼の荷物はまだ3階にそのまま置いてある。
明日会ってもその荷物は彼に必要ないだろう。
私も溜まりすぎたものが沢山ある。
今年で50才半世紀が過ぎたその後半は少しずつそんな物を片付けていけたらいいな。

その他のバイク



一旦これでバイクメーカーシリーズは終わりです。家内なども元旦の長いのは読む気がないみたいです。
車でもそうだが特にバイクは個人の考え方や国民性が出しやすい乗り物だと思います。
今回書きませんでしたがドカティのムルティやKTM、トライアンフ、ベスパなど心を躍らせる乗り物は沢山ある。カワサキのW800等も日本の美しさを感じれる。
残念ながら現存しないメーカーの中に好きなマシンも多い。
優れているから生き残れる訳でもない。ビンセント、アリエル、インディアン、ライラック、オリンパス、ブリジストンなど
バイクは大量に作らなくともそれを認めてくれる人が喜びを持って乗ってくれるならそれでいいのだ。
車は馬車であり、バイクは乗馬のようだ。多くの人や荷物は積めないが狭い道や急な坂も上る様々な障害を越える事も出来る。便利なのは車、遊ぶならバイクに部があります。
車は箱に入って箱ごと移動するので安全ですが速度感はあまりありません。コンビニで買ったものを飲んだり食べたりしながら走ることも出来ません。
バイクは体がむき出しなので危険回避野力は磨かれます。でないと簡単に死ぬからです。でも車ほど他の人を殺すことはあまりありません。バイクに乗っていると風邪などはひきにくいものです、暑さ寒さにさらされているからです。
画像はCKデザインの仔猿です。モンキーの半分の大きさでバックに入れて電車や飛行機にも持ち込めます。作った方はドイツに持って行って乗ってました。帰りせがまれて置いてきたらしいです。他に仔リラもあります。
ポケバイとは違いさすが元ホンダにいらっしゃった方で、ちゃんと作りこんであります。
正式では無いかもしれませんがホンダからも許可も得ていて原付として公道も走れます。前軽井沢でツーリング団体いました。
エンジンはホンダの草刈り機30cc程でカブと同じ静かな音です。真剣に買おうと思っていた時もありました。
これからは雪国ではバイクに乗れる時期が少なくなるが冬は冬でしか出来ない楽しみがある。
スキーとバイクの乗り方には共通性がある。体重の移動や思い通りトレース出来た時の喜びである。
スキーもアルペンはオンロード(レースも含む)テレマークはオフロード、クロカンはトライアル的な面白さがある(景色を見ながらゆっくりと進む事など)。
ボードも好きだしスキーとはまたちょっと違った面白さがある。横滑りを続けていく感覚などは楽しい。
長野の冬は好きです。今年も最高の冬を楽しみたい。

2011年1月1日土曜日

元旦


朝おいしくお雑煮をいただいた。能登の岩のりは香りもよく美味しい。
年末年始はノープランで予定もなかったのだが、来客や呼ばれたりして今日以外は何かとあるようだ。
息子が長野市内でモトクロスというので私もどうしようかなと思っていたら家内に誘われクロカンに戸隠牧場へ。
手前に戸隠神社があるが、道にもかなり車が溢れていて驚いた。早くブームが終わってほしい。
家の周りは意外と積雪が少ないのですが、ここは十分で大体1m位ありました。
神社と違いほとんど人がいなくて自分の息しか聞こえない。
去年は行きたいと思っていた所に行けなかったので今年行けるように主に期待しています。
今年もあと364日しかないのだから。

モトグッチ(MOTO GUZZI)



現存するイタリア最古のメーカーで、他のイタリアメーカーがレース活動やスポーツモデルの開発に重点をおくなかで、優美なデザインのツーリングモデルを主軸とした製品を作り続けてきており、エピソード豊富な独自の道を歩んできている。
技術は素晴らしく第二次大戦前のスーパーチャージャー付きマシンや500ccのV8エンジンのマシンは今でも伝説である。だからこそ公道ではそんな高性能=高金額はいらないと割り切り頑固とも言われる程縦置きのOHV空冷Vツインエンジンしか作らないという徹底さ「これでいいのだ」と言ってくれるものは高性能とスピードが魅力でもあるバイクでなかなかあるものではない。
創業は1920年。第1次世界大戦時に、イタリア空軍に徴兵された3人の 若者達の出会いがきっかけで、生きて帰れたら一緒にバイクを作ろうと話あっていたが、
3人の内の1人が第1次大戦終了直後に航空機事故で亡くなってしまい、実際の会社設立には参画できなかったことを悼み、そして3人の友情が出発点であることの象徴として、イタリア空軍の“AQUILA”(アクイラ=鷲の意)が、エンブレムである。 残りの2人、エンジニアのカルロ・グッツィが社名になる。

同じくイタリアに本社のある大手ファッションブランド「グッチ」とは関係なく綴りも "GUCCI" と異なる。またモト 冬樹とグッチ 裕三の名は多分これから取ったと思われるが関係は無いと思います。
どえらく人気がなく2チャンネルでも人気がなさ過ぎてレスが立つほどである。こんなに売れないだから見ないこのメーカーが潰れない事がまずすごい。前に私が乗っていたネバダは日本に入れた年に2台しか売れなかったから次の年は輸入しなかった。売れないからか変わらないエンジンフレームを使い続けている。ただ、だからこその面白さもある。
私が最も好きなのはカリフォルニアビンテージです(ジョンアンドパンチも同じシリーズのバイクだったと思います。)がこのエンジンは1965年から受け継がれてきたものでフレームも基本変わってない。ハーレーなども長いスパンで同じ様な物を作るイメージがあるがデザインは変わらないが(変える必要が無い?)味も中身も実は別物でグッチの歴史に最も近いのはカブだとおもう。(形や味)ネットを見るとビンテージは発売された06年は年は22台が日本で売れたらしいが、2007年を最後に3年ほど日本には来なかった。
古い車と同じ雰囲気の大きくて重い存在感はやっぱり無骨さが目を引く、そして乗った時の鼓動は他のどのバイクとも違うグッチならではの味で止まりたくないほどで病み付きになる。しかも飛ばさなくても面白い。
まず同じバイクと出会うことはない。そしてもし会うことがあったら驚き、喜び合うだろう。地球の裏側で同じ県民に会ったような感激である。このバイクの味を文章でどのように伝えたらいいのだろうか。
特に2,000回転前後の味付けは絶妙で、速く走るということを忘れてしまうほどだ。トップギアである5速にシフトを入れ、ゆるやかなクルマの流れに合わせて走れば、まるで心臓の鼓動のように回るエンジンが愉悦の時間を与えてくれる(ハーレーとはエンジンの向きが90度違うので横に揺れる。これを書く私もバカだと思うが本当だ)。
あまりにもバイクが急かさないため、全く追い越しをかける気が起きないほど。時速50kmのゆっくりとした速度が気持ち良いため、足をつくのが億劫になるほどだ。
今のある意味進み過ぎたエンジンは抵抗がなく軽く速くシューンとまわり切ってしまう。所がこの農耕車の様な古いエンジンはドロドロとして昇りつめていく感動がある。(人生もあまり簡単に登りつめるとろくなことが無い)
ただ残念な事に古くから続くあのエンジンはもう日本には入ってこない。(新型エンジンを除くチョット見は同じだがあの古臭い味が、、)日本の厳しい排気ガス規制をクリア出来ないらしい。
ゲテモノ好きと言うなら言っていただいて構わない。「好きだ!」という言葉に説明はあえていらない。私の目には高価で貴いのだ!(確かに安くない!ハーレー並み?)
アールデコに象徴されるように、技術が人々の周りの彩りとして、身近に降りてきた時代。
第一次大戦の以前から、技術的な研鑽を積んでいた、ある若者が居た。
戦争から戻った彼は、兵器という「高度な技術製品」に触れたことも影響したかも知れない、新たなイマジネーションを抱いた。
それは、独創的なモーターサイクルを作る事だった。
市販車でもレーサーでも彼らの作り出すものは他のどれにも似てない。
また、成功(?)してもバイク以外に手を出そうとしない(金が無いだけかもしれないが)
レースでの熾烈な技術開発の様相は、昨今でも共通して見られる風景です。
モトグッチも旧式な形ながら勝ち星も多く輝かしい歴史を持つ。
他のメーカーと決定的に違うのは、同じ技術を、市販車へフィードバックすることをしなかった点です。
なぜ、せめてイメージだけでも取り入れて、市販へのテコ入れをしなかったのか。
簡単に言えば、市販車とレーサーは、違うユーザーを騙さずレースはレーサーで楽しみ道は道を走れるバイクが楽しい事を実践していた。それを知っていた。
価格も維持費も高価で、扱いも難しくて耐久性が無く、一般道を走るのに実用性がない。時に危険ですらある。そんな物を市販する愚かさは彼には無い。
大型バイクをポンポン買い替えることなど、できなかった時代。苦労して買った一台は、ほとんどが一生ものだった。だから、それがいかにいつでもちゃんと走るか、が評価の第一点であり、商品性の焦点だった。
モーターサイクルの楽しみ。それが、
「次に何を買うか」と、うさん臭い広告と、井戸端会議のようなインプレッションが並ぶ雑誌に目を通すこと、ではなく、
「次はどこに行こうか」と、書き込みだらけのロードマップに、また目を落とすこと、
(MOTO GUZZI)その一台は、イタリアの、小さな、良心のかけらなのです。
写真は私の机の上にあるグッツィ最初のカリフォルニアのオモチャ(イタリヤ製で古いですね50年位は経っていると思う)です。
新年早々長くてすみません。