2011年1月21日金曜日

月と


昨日は予定も無かったので(無い日の方が多いが)
アミダクジを作った。下が見えない様にして家内に決めてもらったら図の様になったのでカラオケに。
車で出発したとたん「あっ、DVD鑑賞もアミダに入れるの忘れた。」
TSUTAYAの5本1000円レンタル中でした。
どうして出発してから気づくのだろうか。
でもコロッケサンドのお昼とおやつも持って出たのでそのまま続行(そのカラオケは持ち込みOK)
フリータイムフリードリンクで2人で990円。
田舎にいたらこんな事できないなーといつも家内と話しながらの移動。(今も田舎かも知れないが県庁所在地や長野駅まで22分!実家は金沢までなので2時間強)
帰りは食べ物だけ買って帰る。
冬は特に月夜が綺麗です。
夜でも空がちゃんと碧いのがわかります。
月とすっぽんという言葉ありますが、高校の古典の先生の話(32年前)によると
「月とすっぽんは形と大きさが似ている(見た目)が月は大空にあり
スッポンは泥の中にいる」美しいものと汚いものの例えらしい。
本来、土からとられ、土に帰るだけのものが、イエスの光をうけて照らすものとされるキリスト者を思わされる。
救いを得るのと失うのとでは、まさに月とスッポンの違いがある。

6 件のコメント:

  1. う~ん、これまた優雅ですね。
    こんなあみだくじなら引きたいな。
    私はこのところ、どれにも当たりたくないようなあみだくじを連日引き続けております。

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  2. 自分でもこんな事していていいの?とも思いながらも、ありがたく歌わせていただいております。
    あみだくじにしてみたのはちょっとした遊び心かな?

    何をするか、よりも。
    誰とするかが私には優先順位が上なので、結局は何でもいいんです。

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  3. いいですね、遊び心。大好きです、その精神。

    そうなんです。何だっていいんです。道なんて。私が道なんだから。優先順位がしっかりしてれば、後はあみだくじで十分だ。

    私たちはよくイエスと無関係の正しい選択があるような気がして、「みこころはどうでしょうか?」などと祈っている場合がある。これはおかしなことです。

    しかし、仕事の現実の中では、「行くも地獄、戻るも地獄」という局面も少なくありません。

    会議で出て来る打開案は、全部くだらない選択肢ばかり。

    より強い信仰が、具体的な細か~い部分で絶えず求められるわけです。

    「イエスが人になってくださった」という事実がなければ、私は、教員を継続することは不可能です。学校という現場では、3日どころか、3時間も持たないと思います。

    それくらい、私の認識は絶望的で、イエスの力は偉大です。イエスの贖いは、私が月面で生きていける宇宙服みたいなものです。

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  4. 信仰深い生き方のたとえに
    まな板の鯉 みたいな話もあると思いますが

    実際にこの世を生きるクリスチャンは
    おかに上がった魚の様な息苦しさがあると感じます。
    酸欠で口をパクパクさせてますが
    言いたい言葉は声として届かない。

    私も無駄に時間つぶしの様な事をしていれるのも
    神は私を今ここに置かれているという信仰とだから最終的には主が面倒見て下さるという信仰でしかありませんね。
    ありがたいですね。

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  5. 月明かりの雪景色は素晴らしいですね。
    街では月明かりの美しさはわかりません。

    主が面倒を見てくださる、全くその通りです。

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  6. 銀じ郎 さん
    確かに月明かりの雪景色は独特の美しさがあります。
    特に空気が冷えて-20度になると空気中の水分が完全に無くなり砂漠の様な乾燥度になるからか恐ろしく綺麗です。車のヘッドライト無しで全く不都合なく走れます。以前はそんな夜は家内と散歩に出かけてましたが、最近は慣れ過ぎか夜のピクニックは行ってないですね。

    クリスチャンも主からの光を受けて満月並みに輝き神の透き通る大気と雪のようなアシストを頂けたら
    善意やヒューマニズム、博愛などの自家発電の様な貧弱な懐中電灯ではなく、月の明かりで夜の世も歩けるのになぁと思ってますが、自分を振り返るとずいぶん欠けていびつな感じだと感じてます。
    主との位置関係の間に世を置いてしまうからとは気づいてはいるのですが、、はい。

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