2011年1月1日土曜日

モトグッチ(MOTO GUZZI)



現存するイタリア最古のメーカーで、他のイタリアメーカーがレース活動やスポーツモデルの開発に重点をおくなかで、優美なデザインのツーリングモデルを主軸とした製品を作り続けてきており、エピソード豊富な独自の道を歩んできている。
技術は素晴らしく第二次大戦前のスーパーチャージャー付きマシンや500ccのV8エンジンのマシンは今でも伝説である。だからこそ公道ではそんな高性能=高金額はいらないと割り切り頑固とも言われる程縦置きのOHV空冷Vツインエンジンしか作らないという徹底さ「これでいいのだ」と言ってくれるものは高性能とスピードが魅力でもあるバイクでなかなかあるものではない。
創業は1920年。第1次世界大戦時に、イタリア空軍に徴兵された3人の 若者達の出会いがきっかけで、生きて帰れたら一緒にバイクを作ろうと話あっていたが、
3人の内の1人が第1次大戦終了直後に航空機事故で亡くなってしまい、実際の会社設立には参画できなかったことを悼み、そして3人の友情が出発点であることの象徴として、イタリア空軍の“AQUILA”(アクイラ=鷲の意)が、エンブレムである。 残りの2人、エンジニアのカルロ・グッツィが社名になる。

同じくイタリアに本社のある大手ファッションブランド「グッチ」とは関係なく綴りも "GUCCI" と異なる。またモト 冬樹とグッチ 裕三の名は多分これから取ったと思われるが関係は無いと思います。
どえらく人気がなく2チャンネルでも人気がなさ過ぎてレスが立つほどである。こんなに売れないだから見ないこのメーカーが潰れない事がまずすごい。前に私が乗っていたネバダは日本に入れた年に2台しか売れなかったから次の年は輸入しなかった。売れないからか変わらないエンジンフレームを使い続けている。ただ、だからこその面白さもある。
私が最も好きなのはカリフォルニアビンテージです(ジョンアンドパンチも同じシリーズのバイクだったと思います。)がこのエンジンは1965年から受け継がれてきたものでフレームも基本変わってない。ハーレーなども長いスパンで同じ様な物を作るイメージがあるがデザインは変わらないが(変える必要が無い?)味も中身も実は別物でグッチの歴史に最も近いのはカブだとおもう。(形や味)ネットを見るとビンテージは発売された06年は年は22台が日本で売れたらしいが、2007年を最後に3年ほど日本には来なかった。
古い車と同じ雰囲気の大きくて重い存在感はやっぱり無骨さが目を引く、そして乗った時の鼓動は他のどのバイクとも違うグッチならではの味で止まりたくないほどで病み付きになる。しかも飛ばさなくても面白い。
まず同じバイクと出会うことはない。そしてもし会うことがあったら驚き、喜び合うだろう。地球の裏側で同じ県民に会ったような感激である。このバイクの味を文章でどのように伝えたらいいのだろうか。
特に2,000回転前後の味付けは絶妙で、速く走るということを忘れてしまうほどだ。トップギアである5速にシフトを入れ、ゆるやかなクルマの流れに合わせて走れば、まるで心臓の鼓動のように回るエンジンが愉悦の時間を与えてくれる(ハーレーとはエンジンの向きが90度違うので横に揺れる。これを書く私もバカだと思うが本当だ)。
あまりにもバイクが急かさないため、全く追い越しをかける気が起きないほど。時速50kmのゆっくりとした速度が気持ち良いため、足をつくのが億劫になるほどだ。
今のある意味進み過ぎたエンジンは抵抗がなく軽く速くシューンとまわり切ってしまう。所がこの農耕車の様な古いエンジンはドロドロとして昇りつめていく感動がある。(人生もあまり簡単に登りつめるとろくなことが無い)
ただ残念な事に古くから続くあのエンジンはもう日本には入ってこない。(新型エンジンを除くチョット見は同じだがあの古臭い味が、、)日本の厳しい排気ガス規制をクリア出来ないらしい。
ゲテモノ好きと言うなら言っていただいて構わない。「好きだ!」という言葉に説明はあえていらない。私の目には高価で貴いのだ!(確かに安くない!ハーレー並み?)
アールデコに象徴されるように、技術が人々の周りの彩りとして、身近に降りてきた時代。
第一次大戦の以前から、技術的な研鑽を積んでいた、ある若者が居た。
戦争から戻った彼は、兵器という「高度な技術製品」に触れたことも影響したかも知れない、新たなイマジネーションを抱いた。
それは、独創的なモーターサイクルを作る事だった。
市販車でもレーサーでも彼らの作り出すものは他のどれにも似てない。
また、成功(?)してもバイク以外に手を出そうとしない(金が無いだけかもしれないが)
レースでの熾烈な技術開発の様相は、昨今でも共通して見られる風景です。
モトグッチも旧式な形ながら勝ち星も多く輝かしい歴史を持つ。
他のメーカーと決定的に違うのは、同じ技術を、市販車へフィードバックすることをしなかった点です。
なぜ、せめてイメージだけでも取り入れて、市販へのテコ入れをしなかったのか。
簡単に言えば、市販車とレーサーは、違うユーザーを騙さずレースはレーサーで楽しみ道は道を走れるバイクが楽しい事を実践していた。それを知っていた。
価格も維持費も高価で、扱いも難しくて耐久性が無く、一般道を走るのに実用性がない。時に危険ですらある。そんな物を市販する愚かさは彼には無い。
大型バイクをポンポン買い替えることなど、できなかった時代。苦労して買った一台は、ほとんどが一生ものだった。だから、それがいかにいつでもちゃんと走るか、が評価の第一点であり、商品性の焦点だった。
モーターサイクルの楽しみ。それが、
「次に何を買うか」と、うさん臭い広告と、井戸端会議のようなインプレッションが並ぶ雑誌に目を通すこと、ではなく、
「次はどこに行こうか」と、書き込みだらけのロードマップに、また目を落とすこと、
(MOTO GUZZI)その一台は、イタリアの、小さな、良心のかけらなのです。
写真は私の机の上にあるグッツィ最初のカリフォルニアのオモチャ(イタリヤ製で古いですね50年位は経っていると思う)です。
新年早々長くてすみません。

2 件のコメント:

  1. 元旦から突っ走ってますね。MOTO GUZZIに対する並々ならぬ愛情が伝わって来ます。

    人としての感性が鈍ってくると、好きなものは好き、嫌いなものは嫌いと言えなくなってしまう。それは恐ろしいなと思うのです。

    「イエスに従わなければ」ではなく、「イエスが好き」でいたい。健やかに楽しくいきいきと生きたい。

    本年もどうぞよろしく。

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  2. ありがとうございます。
    作り手が見えるものが好きです。

    大企業や大型店舗等になると個が見えにくくなりますね。
    私たちを見て造り手が見えるか
    私たちの価値はそれ以上でもそれ以下でも無いと思います。

    本年もよろしく。

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