2010年6月2日水曜日

絶対

でかいバイクに乗っていると聞かれることは「それなんcc?」
そ聞いてくる人をバイク業界用語で、「ナンシー」と呼びます。
次に聞かれるのは「それいくらするの?」いわゆる「イクラ」ちゃん
自分の想像より上だと「うーん、」となり、下だと「ふーん、」
このような聞き方は 男が圧倒的に多い。対して女性は「私ものれるかな-」とか「かっこいー、今度後ろに乗せて!」など違いがあるのが面白い。


日本人は比べたり評価する事が好きだ。
だいたいにおいて人は相対的にしか物事を判断できない。
私の乗っているバイクの車検証には排気量1530cc重さは350kgと書いてある。30年前のポンコツ、最後の鉄シリンダー確かに大きくて重い。
体調の悪いときは倒したら起こせない時もあるかも知れない。
しかし、それとて比べての話で、どうでもいいことだ。
素樹さんの「クミコハウス」の中にこんな話がある。

ある夜だった。タカシとバナラシで思い出話をした。
小学校の体育の先生がホイッスルをぶら下げたまま代理で教室にきた。
「教科書をしまえ」そういって黒板に大きく字を書いた。

”絶対”   
「読めるか!」もちろん読めた。いつも使っていたから。
「それじゃ、この言葉の反対の意味を知っているか」
クラスじゅうが、しん、とした。少ししてクラス委員長の井上さんが手をあげて「相対です。先生」「そうだ良く知ってるな。」井上さんは照れてうつむいた。
「相対-何かが起きたりする度に物事が変化する関係を言う。だから絶対、っていうのはその逆で何があっても変わらない事実の事を言う。物事にはこの2つしかあり得ない。-それじゃ聞くぞ。絶対って言えることって、いったいなんだ」
先生は見回した。みんな黙っていた。
「じゃあ、井上お前何だと思う」
井上さんは少し考えていたが結局は答えられなかった。
「誰かいないのか」
クラスじゅうが皆で顔を見合わせていた。
「じゃあ、教えてやろう。この世に絶対と言えることは一つしかない、それはお前らはみんな必ず”死ぬ”ってことだ」
「誰も彼も死ぬ。犬も猫も草も木も鳥ももちろん俺だってみんな、死ぬんだ。生きているものは絶対死ぬ、それ以外ない。これが絶対だ。」

タカシはその夜眠れなかったと。自分が死ぬって事をその授業で教わった訳だ。
それが物心がついた日としてタカシは今日もその日のその時を覚えていると言った。
「とにかくあれが始まりだったと思う。俺はその時から世界の全てを見てやろうとおもったんだ」タカシはバナラシの満月を見上げて「あの夜も満月だったな」とつぶやいた。

この全てが相対的な世の中で絶対的なご自身を神は隠しておられる。
有限な世界で、無限をはかる、時計や物差しは無い。

箴言25:2 事を隠すのは神の誉れ。事を探るのは王の誉れ。
  25:3 天が高く、地が深いように、王の心は測り知れない。

神が隠された事を探り出すのは王なるイエス、彼の心もまた、計り知れないが信じることは出来る。
それは神の恵でしかない。

7 件のコメント:

  1. そこに食い付いていいのか分かりませんが、1530のショベルって...
    多分こちらのブログを読んでいる人で、分かるのは僕ぐらいではないでしょうか。

    うらやましい。せ、せめて1200、、FLに乗りたい。

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  2. マニアックなご理解を頂きありがとうございます。
    馬鹿な男はでかいものに憧れる所があります。
    信号待ちをしていたりするとフロントフォークも私の頭もアイドリングで揺さぶられ世の中が2重にぶれて見えます。全くバカなバイクです。

    いつかもう少し軽いグッチか陸王にしたいと、思っている私はもちろんアホです。

    ところで湯浅さんも、もしかしてナンシー、、、。

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  3. 新しい投稿をされたので遠慮なくバイク話させていただきますが、ハーレーにおいて排気量は色んな情報を含んでいますよね。
    だからすごく気になります。はずかしながら!
    S&S組まれたのかと、1530と聞いて血が騒ぎました。
    1200のショベルがいいというのは、音がいいのと、よく回ると聞いたからです。
    ハーレーであってもきびきび走れないと、性格上ストレスたまりそうで。

    でもほんとに、最終的に乗ってみたいのは750なんです。
    ハンドシフトできびきびどころじゃないんですけど、音がね、どのハーレーとも違うのに一番ハーレーらしい音なんですよね。

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  4. バイク伝道師ですからそちらの話はご遠慮なくどうぞ

    正規物で私で3オーナーになりますが、私も良くわかりません。これを買った理由は1530ccであったことは大きいですね。調子はいいですね。
    たしかにショベル1200はチョッパーのベースとしても最高で上はそちらの方が回るでしょうね。音は個人的には古いモノほど好きです。買ったときまあ、爆音ではありませんでしたが、あえてノーマルのフィッシュテールマフラーの音の方が好きで戻しています。確かに音は大きな魅力の一つですから。

    のんびり走るのも良いのですが、私もきびきび走れないとストレスを感じてしまいます。
    私は速さはイライラしないくらいあれば良いのですがバンク角が無いと無理です。新しいハーレーは、あまり所有する気持ちがわいてきませんが、もう絶望的にバンクが無く交差点曲がるだけですりっぱなしになります。なぜかこいつはバンク角深いんですよ。峠をせめる事がすごく楽しくて迷ったがグッチを放してこれを残したのも最後は峠での楽しさが決め手でした。開けたときの大きな木のハンマーで後ろから打たれるような、もの凄くクソ重い固まりを、巨人が後ろから押し出すような感じはやみつきになります。

    私はサイドバルブが好きでいつかは、、と思いますが、きびきび走りたいので、実用性も考えると大きな排気量は魅力ですしこの辺がハーレーの悩みでもありますかね。スポーツスターでも883か1200かで迷うほどですからね。

    お互い味わい深く過ごしたいですね。

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  5. サイドバルブ、いいですよね。久しぶりにバイクの話をした気がしました。ありがとうございました。

    電気屋さんは、バイクに乗る伝道師なのか、バイクの伝道をする師なのか。

    僕も以前は人に勧める立場だったのに、なぜ今乗れないんだろうと、悩んでいます。

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  6. 私の青春にバイクはないですが、やりとりの熱は伝わって来ますよ。

    ギターにも共通点があります。

    純粋に「快」につながることというのは、意外に、論理的、解説的なんですよね。

    「快」は「ことば」を越えて、五感につながってそうですが、意外に「ことば」なんだと思います。

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  7. Y.B.Mさんへ
    どちらなんでしょう。
    どっちでもいい事なんでしょう。
    どちらにせよ「師」とはおこがましかったです。

    Saltさんの仰るように
    ただ「快」な、だけなんでしょう。

    私も長野に来て10年ほど乗らなかった時期がありました。また乗れる時期が来たのでしょう。
    家の前の田んぼの水やりに(長野では水くれ、と言う)くるお爺さんの乗っているマフラーの破れた古いゴリラや、都会の交差点が青になり懐かしい排気音を残して小さくなっていく憧れているオートバイの音が好きです。

    95で死んだ婆ちゃんがまだ若いとき車が走り去った後の排気ガスの臭いを「クンクンと、鼻をうごかしたもんやった」と言っていた、それは豊かさや憧れの香りだったのだろう。

    人だけが動物的欲求以外の状態からも快感を得る事が可能で。美しいものを見、素晴らしい音楽を聴き、楽しい時を過ごす事によって人は快感を得る。
    それはどこから来た(得た)ものなのか追求していくとその先にあるものは同じ「ことば」になる。

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