2011年1月8日土曜日
冬なのにあり?
冬には虫の話などはあまり関係ないかもしれませんが虫の話です。
今、虫の殆どは冬眠などで越冬中です。
童話アリとキリギリスなどでは冬こそが話のポイントで、人間的な結論じみた教訓を与えてくれる大事な箇所になってます。
しかし、あの話は嫌いです。何故あの冬、アリ君はキリギリス君に蓄えを分けてあげなかったのか。
でも道徳的な話にするならそこからこそが大事だろうと思う私はただの捻くれ者かもしれない。
アリとキリギリスは違う生き物だし、そもそも人間などはそんなにうまく出来てないし、アリさえも皆そうではない。
アリ達の中で2割弱程は怠け者もいることは結構有名だが、残りの8割にも個性がある。
聖書の中に「アリを見ろ」と神が言っている事の奥深さを知るべきだと思う(上からのもの言いですみません。自分に言ってます)
殆どのアリは地面に穴をあけてそれを住まいとする。電柱を立てる為に沢山穴を掘ってきました。結論!穴を掘るって大変です。
6日に世界仰天ニュースでやってたモロッコの監禁事件。マリカ・ウフキルさんとその家族
14年間も囚われの身で、牢獄から穴を掘って脱走!すごいです。今度、本を機会あれば読んでみよう。
映画大脱走でもこの手の話はありますが、一番難しいのは掘った土をどうするかです。
波打ち際で砂を掘ったことのある方なら簡単に想像できると思いますが、ただ掘っていると穴の周りに砂の山が出来て非常に都合が悪い。
でも遠くまでわざわざ運んでいたら効率が悪い。アリさん方はどうするかというと。土を丸めて前の足(手?)2本で大事に抱えて外まで運び出すのですが、、。
それぞれが適当にやってます。(少なくともそう見える)
真面目で頑張り屋さんは初めから遠くに置いてヤル気の無い奴(多分?)は入口のところにおいて普通の方々は中間に
そして、打ち合わせたり話し合いしたり誰か監督に指図された訳でもないのに出来上がったときには大体均一に散らばっている。
これこそ神が最も言いたかったことじゃないだろうか。これも教会の一つのひな形だと思ってます。
頑張った人がもてはやされ褒めを受けるのでもなく誰かが、リーダーとして導くわけでもなく一見テキトーでも後で全体を見た時にちょどいい。
都会ではアリの巣も見る機会が減ったかもしれない。そしてあっても、ゆっくり眺めている時間が無いかもしれない。
是非、今までアリの土の出し方を見てない方は春には見てほしい。
写真は約50平方メートル、深さ約8メートル。作業している人が蟻に見えるほどです。そこに住んでいる蟻は数十億匹という、一匹一匹は小さいですが北はフィンランドから熱帯地域まで地球上のあらゆる所に生息している蟻は身近な昆虫。
今朝は氷点下13度程になりました。
アリ達は土の下で暖かく過ごしている事と思います。ありがとうございます。
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「アリとキリギリス」や「兎と亀」をネタに6年生にディベートの授業をしたことがあります。私は基本ディベートは好きではないので、と言うより、日本人は大人でもなかなかまともなディベートなんて出来ないだろうから、私がやらせたのは正式なディベートではありません。
返信削除しかし、その中で出た興味深い意見を今でもはっきり覚えています。「キリギリスは歌うことが仕事なんだ。アリは仕事をしながらキリギリスの歌を聴いていた。それを騒音ではなく、いい音楽だと心やすらいだアリもいたはず。キリギリスが飢えたなら、ほどこすのは当然ではないか」という主旨のものでした。
その子は大して勉強の出来る子ではありませんが、いい奴でした。
ちなみにイソップ童話ではキリギリスは蝉になっています。世界中にイソップの童話がどんな風に伝わっていったかを調べて教室に掲示しました。
結末もさまざまで、アリが「門前で追い返す」バージョンもあれば、「部屋に迎え入れてほどこす」バージョンもあります。
色んなバージョンがあったんですね。初めて知りましたが、そのディベートの意見は考えさせられます。コリントⅡでの献金の話を思い出しますね。
返信削除Salt さん
返信削除私も今回考えてみてアリは次の世代に渡すために蓄えキリギリスも次の世代につなぐために鳴いているので双方から創造主の考えを少しだけ見させてもらえると思いました。
自然界に騒音は無いし、無駄な音もない。
童話が勝手に童話として独り歩きする以前は、口頭で語れてきた教訓を含む物語だったので沢山のアレンジとヒューマンエラーがあるでしょうね。
最近の童話の為の童話はどうも苦手です。
ディベートはやったことがありませんが、聖書の話の流れや人物の行動で、はじめこちらが正しいと思っていたことをことごとくイエスにディベートされている電気屋です。
エシュコル さん
私も様々なバージョンがあること、知りませんでした。童話の中でアメリカで変化したものは疑問が多いです。
2コリ8章でしょうか。そうかもしれませんね。
勉強の出来る出来ないは足が速いかどうか程度の能力の差でしかありませんから、その様な賜物を頂いた人は多くのものを求められることになります。
少なくって良かったとも思える教えです。