この時期は日が昇る時も良く見ることが出来る時期だと思うが
冬は家から見える北アルプスの左の陣馬平山に夕日が下りる。
夏はアルプスの右、荒倉山に日が下りる。
おてんとうさんを拝みたくなる気持ちはわからないでもない。
眠れない夜や寒い時、辛い時でも陽は昇ってくる。
どんなに苦しい時でも新しい一日を与えてくれる気にさせる。
天のはるか高い所で輝いている、暖かさを与えてくれる、全てのいのちを支えてるエネルギーの源。
それは確かに神をイメージさせる。しかしそれは神にとっては、ほんの一面でしかない。
イエスはある意味、義の太陽である。
今の私の立ち位置からみてイエスが沈んでいったとも言える十字架の夕日はどの方角に見えるだろうかと言う事は決してどうでもいいことではない。
朝日と夕日を浴びることによって私たちの体内時計のズレが正確にあわせ直されるように
イエスの朝日ともいえる誕生そしてその生き様夕日ともいえる十字架の光を浴びることによってしか、修正されることの無い信仰のズレ。
神が造られたものであるが、その沈む場所を覚えてイエスを覚える。
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