
この雪で休める時間が与えられました
Saltさんに会いに行った理由を
出来るだけ正直に書かせていただきます。
人の心の真ん中には一つの失われた風穴のようなものがあると言われます。
人はそれを満たしたくて、善行、名誉、金、人間関係、行き過ぎた趣味 、暮らしの自慢等々偶像をあてはめようとします。
でも形が違って入らないとか、無理矢理入れてもスキマが出来ているとか、時間で腐るなど結果、心を壊してしまうことになる。
その形は十字架に見える。
私はそれを見せてもらう為に奈良に行った。
期待は失望に終わるかも知れないが、失望は今まで十分味わってきた。
今までの経験の中で、私の手持ちのカードは変わっていると、言われ続けた。
「違うんじゃない?」「あんた間違ってるよ」「どこまで傲慢なの」「鈍感」
でも、でも、でも、そんなの関係ない
とにかくイエスは失望におわることがないのだ。
まるで子供の人気カードのトレーディングゲーム。
相手の持ち手を見るためには、こちらのカードも見せないと成立しない。
お人好しのくせに懐疑的な私は向こうからの先手を待たせていただいた。
予想はしてきたつもりだったが、正直最初、 おどろいた。
同じカードに見えたから。
トランプ、花札、ジグゾーパズル、麻雀、タイガーマスク
同じものは無い、あってはならない、2つはいらない。
神の作品に一つとして同じものがあろうか。同じものを交換してなんの意味がある。
もし同じモノがあるならどちらかは偽物になる。
話していて似てはいるが同じではない事がわかった。
ただ、ジグゾーパズルで例えるならかなり近い場所のピース。
色や形も近い(Saltさんすみません勝手にまあ私のは多少崩れた形の十字架ですから、でも血は沢山付いてますよ)
ドラゴンボールみたいに全てを揃えたら現れる方はわかっている。
イエス キリスト。
わかっていても私は、コンサートに駆けつけブロマイドを集めた少年のようにただ見ていたいのだ。
私には、桶の中に隠れていたギデオンの気持ちがよくわかる。
「この時期」にブログを始めたのはemiさんという方と関係がある。
私たちの地上での時間は限りがある。
一度も会ったことのないemiさんのピースは
イエスの髪にはめられた花のように見えた。
私もこのピースを磨いていつか膝元にはまりたい。