2010年3月30日火曜日

失われたピース


この雪で休める時間が与えられました
Saltさんに会いに行った理由を
出来るだけ正直に書かせていただきます。

人の心の真ん中には一つの失われた風穴のようなものがあると言われます。
人はそれを満たしたくて、善行、名誉、金、人間関係、行き過ぎた趣味 、暮らしの自慢等々偶像をあてはめようとします。
でも形が違って入らないとか、無理矢理入れてもスキマが出来ているとか、時間で腐るなど結果、心を壊してしまうことになる。

その形は十字架に見える。

私はそれを見せてもらう為に奈良に行った。
期待は失望に終わるかも知れないが、失望は今まで十分味わってきた。
今までの経験の中で、私の手持ちのカードは変わっていると、言われ続けた。
「違うんじゃない?」「あんた間違ってるよ」「どこまで傲慢なの」「鈍感」
でも、でも、でも、そんなの関係ない
とにかくイエスは失望におわることがないのだ。
まるで子供の人気カードのトレーディングゲーム。
相手の持ち手を見るためには、こちらのカードも見せないと成立しない。

お人好しのくせに懐疑的な私は向こうからの先手を待たせていただいた。
予想はしてきたつもりだったが、正直最初、 おどろいた。
同じカードに見えたから。
トランプ、花札、ジグゾーパズル、麻雀、タイガーマスク 
同じものは無い、あってはならない、2つはいらない。
神の作品に一つとして同じものがあろうか。同じものを交換してなんの意味がある。
もし同じモノがあるならどちらかは偽物になる。

話していて似てはいるが同じではない事がわかった。
ただ、ジグゾーパズルで例えるならかなり近い場所のピース。
色や形も近い(Saltさんすみません勝手にまあ私のは多少崩れた形の十字架ですから、でも血は沢山付いてますよ)
ドラゴンボールみたいに全てを揃えたら現れる方はわかっている。
イエス キリスト。
わかっていても私は、コンサートに駆けつけブロマイドを集めた少年のようにただ見ていたいのだ。

私には、桶の中に隠れていたギデオンの気持ちがよくわかる。

「この時期」にブログを始めたのはemiさんという方と関係がある。
私たちの地上での時間は限りがある。
一度も会ったことのないemiさんのピースは
イエスの髪にはめられた花のように見えた。
   私もこのピースを磨いていつか膝元にはまりたい。

サングラス

泊まらせていただいて「B&Bにしみね」からの朝の風景
此処は、日本昔話か?
水道が通ったのが7年前って良いですね。
此処を選んでお嫁に来た慶子さんえらいです(どっちのエライかは読者がお決め下さい)

Saltさんと話した中でのひとこま

ねづっちさんでは、ないのですが目の前にある何でも
  たとえば今なら鉛筆削りやモニター、雪景色、パソコン、朝ご飯などと
架けてイエスキリストと解く、そのこころは、 、、、全部良いこと説けるになるんです。

あの方はものすごーく謙遜だから隠してはあるように見えるんですが、
よく見ると全部に自分のです、私が造りました。私ですと書いてあるンです。
どんだけ自分を知って欲しいのか。

ととのいましたー。
ケープタウンとかけて イエスキリストと 解く
そのこころは  どちらも喜望の峯が見えてくるでしょう。

ととのいましたー。
ケープタウンとかけて(また?)
電気屋と解く
そのこころは  どちらも沢山の被害者が出て救助が必用とされています。

まあ、個人的には好きな話で無いんですが、(当たり前の事話てどうなんや)

コリント
13:4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。

13:5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、

13:6 不正を喜ばずに真理を喜びます。

13:7 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。

13:8 愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。

13:13 こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。

ここの愛の代わりに自分の名前を入れてどうよ?イエスはどう?
いま、ねづっちさんが、やってることも同じです。イエスキリスト知らないからだけです。
見るべき方を見ましょう。

今朝の白銀は、ほんとまぶしい
今日の所はサングラス越しで我慢しましょうと、思っている電気屋でした。

2010年3月29日月曜日

「B&Bにしみね」


「B&Bにしみね」すごく良かったです。
能登半島の田舎で育ち、
戸隠の田舎で暮らす
生粋の田舎者の私も驚く田舎
もちろん、良い意味です。


原田泰治(諏訪のご出身)の絵の世界がそこにはありました。

にしみねの庭から見上げた月と朝歩いて撮った桜です。

今日はさすがに疲れてきたのでまた、後で、

慶子さんまたよろしくお願いします。 
ありがとうございました。

2010年3月28日日曜日

バトン

家には柱時計がある。私が生まれる前からあったと思うその時計は、爺ちゃんが買ったもの。
ゼンマイを巻くと一月ほど正確に動いてくれるさすがSEIKO-SHA 。
爺ちゃんがいつも「ギリッ、ギリッ」と巻いていた音が私の頭の中の思い出です。
小さいときは時計をばらすことが趣味だった私の毒牙から逃れたほぼ唯一の時計でもある。
ちょうど電気の時計に変わる時期で近所に行っては「ねえ、これ頂戴」と、もらっては分解していた。
爺ちゃんが死んだときから、その時計は止まったままの事が多くなった。
効率優先の父らしく電気の時計を買ってきてその時計は車庫の床下に置かれた。
少しして知り合いがその話を聞いて「あの時計使わないなら譲ってくらないか」と、もらわれていった。
私が長野に移り、家を建てたとき「これ」とその柱時計を渡してくれた。
95歳まで長生きした、婆ちゃんが一度私の家を見に来たときあの時計を見上げて
「これ爺ちゃんの時計やが」と喜んでいた。
ここ何年かはめんどくさがらず無意識にネジを巻けている事が、自分の中の不思議です。
今日も爺ちゃんの柱時計は正確に時を刻み続けています。「気にいってますよ、爺ちゃん」

親から子、子から孫への命のバトンは、
過ぎてみれば儚い人生に、永遠という花束をそえてくれます。

神はそのすべてを見て喜ばれる
「それは、非常によかった」

2010年3月27日土曜日

生活必需品

えー、鳥ということで探したら家内の書きかけの鳥がありましたので、勝手にアップします。
私なんかは、こいうゆうものの価値を全くわからない人間で、誕生プレゼントはぬいぐるみとかお人形、飾るモノなどは、「そんなの、何の役にたつ?靴とか文房具とかにしたら。」なんて思ってましたが、
ある時、気づいたのは、自分の心の貧しさ。
一見必用の無いようなものを所有するとか楽しむって豊でないと無理。

最近では、飾ってあるものを見て「いやー、豊ってすばらしいな」
と、貧しかったのに豊にされた自分をみる。

プログラム、生き物の知恵、鳥の愛情 以前にテレビでこんなシーンを見ました。(多分25年程前、野生の王国だったかと。どれだけ以前やねん)
1羽の鳥が草原の巣に産んだ卵を暖めていて、色んな動物や蛇などから卵を守るために時には戦い時には傷ついた演技をしていくものでした。
最後のシーンでは遙か地平線の先で降った豪雨の為に洪水が押し寄せて来る。
哀れ、卵は濁流に飲み込まれて親鳥はギリギリで飛び立ちます。
見ていて悲しくなりました。
愛情と自然界の厳しさ、、、ああ無情。

そのあと沢山の動物を見てきた方の解説がありました。
鳥は悲しみに沈まない、実は結構平気で、来年の産卵のシーズンまで子育てに忙しくすることなくお気楽に過ごすらしいとのこと。
ええっ!そーなの?あの自分を危険にさらしてまでも守った愛は???
春になると雀やツバメの子育てを見かけます。
ピヨピヨと鳴いて巣から首を伸ばし、ミミズなどを取ってきた親鳥に自分をアピールします。
親鳥は一生懸命朝から晩まで働きます。
ある実験があります。
鳥の巣に私たちが見て雛とは似ても似つかぬ電池で動く黄色いくちばし状の枠がぱくぱく動く物を入れておきます。
中心が赤くてその回りが黄色いだけで親鳥は変わらず死ぬまで餌をその中に入れ続けます。
普通の雛なら成長するとくちばしの回りの黄色が消えて大人になってきます。
すると親鳥は餌をやらなくなる。
腹が減る仕方なく成長した子は飛び立つ、しかもまだ飛ぶことが下手なひなは強制ダイエットで体重が激減するから初めてでも簡単に飛べる。
もし親鳥が人間でいう大人になっても甘やかせて餌をやり続けていたら、飛ぶ必要もないし、飛んでみても肥満で、、となる。
60歳になろうというのに卒寿になる親に今度新車を買うからお金をもらいに来る娘、お年玉と孫に過剰な金額を与えるお婆ちゃん。(50万円!鳥つながりの鳩ちゃん程ではないが)
私はお年玉をあげたことがない。馬鹿な自慢です。
親戚が多く本家の跡取りとして生まれた私は過分なお年玉を毎年もらった(ボッシュートになることも多かったが)。
それらは私に益になるどころか害にしかならなかったという個人的経験をもとに叩き出した論理で決してケチだからではない?

生き物にも心が無いとは言えない。
高等と言われる動物の中にはノイローゼになったり精神的な病気もあるかもしれない。
動物を見ることは好きだが、動物園は可哀想に思う時もある。
しかし、人以外の動物は歌ったり、何かに祈りを捧げたり夕焼けに美しいと感動したり自分は何者かと星空を見上げる事をみたことない。
あまりにも複雑でバラエティーにとんだプログラムなので、人が読めないだけ。
ただ、たとえプログラムであってもそのプログラムには愛情が織り込んであることはわかります。
人の行動の方が愛がないと思うときも多々あります。自由って色んな意味で凄い。
そこまでのリスクをわかっていて、自由を与えた方は本当にすごい。
神様の信仰はすごい。

良く考えたらオレも別に必用もなければ、何の役に?
でも、いつか神の家に飾られてみたい。

「ゆたかさって、すごいなー」

2010年3月26日金曜日

戦争と平和

写真は私が木工をしていたとき、小学生だった息子が「僕もなにか作りたい」と作ったもの家に飛行機モノが無かったので、、、。


私も聞いただけの話です、
第二次大戦時
創始者岩崎弥太郎の三菱、ゼロ戦が登場したとき、
世界の空は衝撃を受けました。

零式艦上戦闘機

私の車ほどの重さで千馬力以上!
アジアの隅っこの小国が物まねでない戦闘機を作っただけでなく性能も驚くべき
ものだったからです。
アメリカの話で。「ZERO ファイターを捕獲し調べシュミレーションしてみたと
ころ、あのような木や竹、紙まで使って出来ている。「張りぼて」みたいな軽量
な戦闘機は見たことがありません。燃費が良く長い距離を飛べ、(チッサイのに
関西空港からベトナム位は十分飛べます。)旋回性に富み、垂直上昇能力もあり
ます。わが国のエース戦闘機でも全く太刀打ち出来ません。」
「では1対1で戦わせない事で対応しよう。ZERO1機には2機で」
「それもシュミレーションしてありますが、2機でも無理です」
「じゃぁ、3機で」笑い話みたいですが、
物の有り余るアメリカは飛行機を作るよりよりパイロットを育てる事の方が時間がかかるので
大体こんな流れだったようです。

片や日本は練習するガソリンも乏しくなり私の父も松根油(しょうこんゆ)とい
うゼロ戦を飛ばすための今で言うバイオ燃料を作るために赤松の木の根をおこし
た経験を持つ。物が無いときに安く出来たので(1機当時7万円)零銭(金かか
んないよ)と言われたほど。(実際は2600年に出来たので型式末尾が00か
ら命名)
youtube にアメリカから里帰りした実際のゼロ戦が日本の空を飛ぶ映像を見まし
た。驚いたのはエンジンをかけるときにセルモーターがつけられていて、ボタン
ひとつで動き出した事、アメリカは実にイージーな国ですね。

最近は地震さえも天災?と思うときがありますが、戦争は人が起こすもの。
私の住んでいる所から1時間ほどに坂城という町が在ります。
水野源三さんがすんでいらっしゃった町でもあります。
18号線沿いに千曲川が流れています。
その川に新しい橋から少し離れて石橋風のレトロモダンな橋が架かってます。
戦時中、に飛行士達はその狭くて水面までそんなに高さの無いその橋の下を、
ゼロ戦で潜り抜けてから戦地に向かって行ったと其処の橋を通ったとき話を聞きま
した。

その後、私はその川を渡るときには、
わざわざその狭くて長くて古い戦前からあるその橋を渡っていきます。
今の私の足元には、死んでくれた方の思いもあるのだ。
「張りぼて」では無い平和、待ち焦がれます。

2010年3月25日木曜日

ゆらゆら


先日野尻湖畔の友人の所に行ってきました。
「雪ある?」と電話「さすがにもう、とけたから」
行ってみるととけたとはいえ残雪1mほどの上を歩いて久しぶりのキャビンに入った。
コーヒーを飲んで近況を話し、気負いのない話をした。
私もだいぶ仕事もさせていただいたが、こういった、すこし古そうで、ゴチャしていて、なんだかキッチリしていないところが安心させてくれます。

昔は外国に行くには船しかない時代があった。
長い船室の生活はストレスになる。それで部屋には自然の木目の板を張ったと聞いた。
クロスやペンキなどのストレートやストライプのラインが、長い時間のなかではきついらしい。
木目の一定のパターンではない緩やかなラインが和ませる働きがあるからだ。
うちもほとんど板張りなのですが、家内と「あきないよねー」と言い合ってます。

今度彼らは冬を過ごすのに下田で古い別荘を買うらしい。
「シロアリだらけなんだよ。ドアもボロボロで、ま、一度、来て。」
オーシャンビューでサーフボード持って行くには良いらしいが、過酷な仕事にはまりそうで、考えている。ここの古い窓も実に綺麗だ。海もたまにはいいかもしれないが、、。
ゆらゆらとした古い窓ガラスを見ていたらそんな優しい気持ちにもなりそうだ。

あなたは正しすぎてはならない。知恵がありすぎてはならない。
なぜあなたは自分を滅ぼそうとするのか。

仕事

画像は近江八幡です。

大人になり働らいた方がいいなと思った春。
あそこなら何か仕事があるかもと朝7時30分頃 その会社に行った。入ってぐるりと見回すと一番偉そうにしているおっちゃんがいた。
つかつかと前まで行き、「○○と言います。働きたいんです」
社長は「じゃぁ、あした朝、来い」それが私の入社。
土方を1月ほどやっていたら、声がかかり、電気関係の手伝いをすることに。
いきなりコンセントを渡され「これつけろ」
その日から電気工事関係の仕事で、10年働いた。
資格を取り営業、見積、契約、施工、集金一通りさせてもらった。
ダンプ一台からたたき上げたというその社長の事は今も好きだ。

長野に来てなぜか、ログハウスを作る事になった。
板切れ一枚切れない私だったが、やり続ければ出来るもので、2年かけて1けんが、仕上がった。
ドア枠を仕上げてさて次は何をやろうかと見たら「ん?何もやることがない!」ひょっとして終わった?
信じられない感じだった。出来るんだ、その経験は後で自分の家を作る大きな助けとなった。

全体を見るとあまりにもやることが多すぎて今やることが見えなくなる事がある。
余り深く考えず、与えられた事、今出来ることを続けてやる。
私は電気工事に全く興味もなく、家などの建築も好きでもなかったが。
やってみる→出来るようになる→面白くなる。多分これはバイクを好きになる時やスポーツや音楽等と同じ事かもしれない。

仕事は人に迷惑かけないものなら、なんでもいいんじゃないかな。
私は、デスクワークはどうもなーって思っているがやってみれば結構面白いかも知れない。
事実最近はモニターの前に結構座っている自分を見てる。
家内に言わせれば私は「自称天才」=「バカ」空っぽだといろんなものが入って便利ですね。
好きじゃない、あわない、楽しくない、金にならない、人間関係が嫌い、私の能力を生かしけれてない、遠すぎる、全部否定ですが、そんなものも全部すててバカになる、と人生は楽ではないかも知れないが結構楽しい事も有るとみえてきます。

仕事って楽しいことばかりじゃないけど、先のことを難しく考えずあるじに任せて付いていくと、なんか、いいです。

2010年3月24日水曜日

ミミ

借家時代に飼っていた、「ミミ」です。(義理の母が飼ってしまった。後で雄と判明)
典型的なパンダウサギ柄でそらもう可愛かったですね。
新聞はとったことは有りませんが、関東から来た夫婦に後で住んでもらったが毎日だったか読売だったか全国配達が売りの新聞を継続したのだが、2ヶ月目には「いつまで取るつもりだ」と言われたらしい程森の中で住んでいたので、ミミも外に強く憧れていた。私はすこし考えたが、本人(本兎?)の意志を尊重して、放し飼いにする事にした。3日ほどすると、挨拶に来ていた。餌をやるともの凄い速さで森を跳ねて帰って行く後ろ姿をみて、たくましさを感じた。ふゆがはじまり、雪が降った時に2週間ぶりにラッセル車の様に雪煙をあげて久しぶりに帰ってきたときのシーンです。もう2度と動物は飼わないと宣言する私だが、また会ってみたい。
ミミー、 カンバック

木の実

画像は松代のあんずです。
家内はこれでシロップづけをつくってくれますが、去年は私も一緒に取りに行ってきました。わざと小さな実を取ったりするのは私の正確も見えて面白い。

木が好きです。好きになると木の事が気になります。
どんどん木を覚えていきます。
するとますます木の事が好きになります。何という木で、何処で育ち、どれくらいの年月を過ごし、どんな性質を持っているのだろうか。
どんな香りを持ち、どんな花が咲き、どんな実を付けるのか、その味はどうなのか。
製材されたり板になった木を見ても、これは北向きの痩せた土地で苦労して育ったのだとか、岩の斜面で踏ん張って育ったんかなと考える。
ほとんどの木には特有の香りがあります。
たとえば日本固有の檜は何とも言えない良い香りで好きです。
これと同じ香りの木はしりません。シーダーの仲間ですが、イエローシーダー、レッドシーダー、エッセンスシーダー、サワラ、槇、豪州檜など一つ一つ香りも違います。
台湾檜が一番似てると思いますがが、臭いが強すぎで頭が痛くなってくる感じです。
「いい匂い、木の香りね」と言ったりしますが、正直臭いのもあります。
ウ○コみたいな臭いのもありますし、法律で切ったり削ったりする事が禁止されている木もあります。
ローズウッドみたいに削ると薔薇の香りの木もあります。
お茶の木を削っていたとき根も木も全てお茶の良い香りがあることを知りました。

新春には木の芽や葉を天ぷらにして食べます。
その時木の香りは感じることは出来ますがいくら私が木が好きでも、木そのものは食べる事が出来ません。
人は消化出来ないしそもそも美味くない、でも木になった実は食べることが出来ます。
同じように私たちは命の父なる方をそのままで受け入れることは出来ません。
木の香りを嗅ぐ程度には神の存在を感じる時もありますが、体の中に木を取り込むことは出来ないように真実の方を受け入れる事が出来ません。
しかしその命の木に実った方であるイエスは受け入れる事が出来ます。しかし人には自由意志が有りますので神であっても強制なさいません。
神も「思いのままに取って良い」とあります。
命の木の実であるイエスを食べた人を土壌として 命の種は芽を出し時が来ると花を咲かせ、実を付けます。
人はパンのみで生きるにあらずと語ったイエスを私たちは頂いて永遠の命をもらいます。イエスもまた私たちを躯(むくろ)としてその命を世界中にまき散らすのです。
庭に何を植えるかで家内と意見が合わないときがあります。
だいたい私は実のなる木を植えたくて家内は花を植えたがる。
「おい、これ草だぞ、木なら何年でも」という具合です。

駐車場にハーブを植えてあります。車で乗り入れるとタイヤに潰された草から良い香りがします。
私も誰かに踏まれたとき立ち上る香りはそうならいいな。
最近はだんだん花も好きになってきています。
今年も杏取りに行きたいな。なんせ思いのまま取っても良いところですから。

2010年3月23日火曜日

モトクロス

飛んでいるのは息子です。
1年前の写真です。
まだこの頃は力が抜けてないですね。(それでも私より巧いが)
前に友人の奥さんが家族になってほしくない4つの職業を話してくれた。
登山家、格闘家、レーサー、あと一つなんだっけ?えー、後で聞いてみます。
わかる気もするが、子供であっても本人の人生。
親としては心配する気持ちはよくわかります。
息子も良く骨を折って帰ってきました。
河原で22mのジャンプを着地失敗し、大腿骨を折ったのに車に積んで帰ってきた時は「やるー、オレ無理」と感心しました。
時々、骨折していると普通の半分くらいの時間で直るようになってくるから不思議。
私も結構生傷絶えないですが(精神的にも?)そんな状況だと化膿もしないし直るの早って驚きますね。
経験はすごいです。
どんなに理屈はわかっても実際にやってみないとわからないしね。
理屈がわかっても楽しさはわからないし。
モトクロスは生涯出来るスポーツでもないし
「首の骨は折らんといてね」と父である私は優しく声をかける。

2010年3月22日月曜日

集まり

琵琶湖の漁夫です。

平成の大合併以前は戸隠は戸隠村だった。
二十歳のアンケートで、戸隠の嫌いなところってのを、広報に載せてました。
*コンビニがない
*遊ぶ施設がない
*人が少ない
*信号がない
*熊が出る
これ好きなとこじゃない?特に信号が有るのは好き?(お隣の鬼無里は子供が都会に出たとき信号を見たこと無いと事故に遭うといけないと、いう理由で1つ付けてあります。)
遊ぶ場所は十分あるし、お隣とのトラブルも考えると、人少なくて良くない?熊が住めるなら俺も住めるかも?って本気で思ってるし。

子供が学校行っていたとき、夏休み前などは、親は集会場などでプリントを渡される。最初はいつも黙って何も言わず聞くだけ、って思うんですが。
あまりにも@@的な内容には「最後に何かご意見等無いならこれで、、」思わず右手が上がってしまう。
「父兄同伴でもゲームセンター等には出入りしないこと、とかありますが、うちでは大事な楽しみであり教育の一つと考えてます。また外出時制服着用ありえません。川などは危険なので遊ばせない近づかせないって。此処にいる人たちで子供の頃、川や海で遊ばなかった人いますか?危険な事をして遊んだこと無いですか?それで色々やっちゃいけない事学んだんじゃないですか?リスク無くして得るものありますか?責任は親が持ちますから休みの間くらいは親に返してください」
一同 シーン &  しらー
アレッ。やっちゃったまた。「いえね、先生の立場は、わかりますから。私が気付くくらいは先生だってわかってますよね。以上です」
とにかく、会議や、会合、儀式、律法、団体行動は苦手な電気屋です。
良かったよ。天国行く条件が私による律法のクリアや、この団体に所属しないとという事で、無くって。ホー

2010年3月21日日曜日

風がすごいです。黄砂も飛んでます。今朝の戸隠視界良好ではありません。
昨夜(AM3時)の雷すごかったです。雪崩?って思うほどの長い地響き、風、豪雨、ビジッって音と共に停電、朝まで回復しませんでした。電気屋さん復旧作業、御苦労様です。
さすがに娘も起きたようでしたが、雷を怖がった「ベル」のことを思い出して寝たら「夢にベルが出てきた」と言ってました。よかったね。

人間関係のクリアランス

撮影地は近江八幡です。綺麗でした。

色んなものに遊びは必要だ。
バイクや車のエンジンにもバルブクリアランスや様々物の間にスキマを求めている。

アレとコレが並べて置かれてあるという事実は設計した方の考えが有ってのこと。
様々なパーツがお互いきめられた距離を置きながら、影響しあい、ぶつかりあい、時にはガシャガシャ音をたてながらも、全体としてみると一つの働きをしている。
前に進む事、それは目的地に向かうと言うことでもある。車庫から出る時など一時的にバックする時があっても、目的地に向かうという一連の流れの中の一つでしかない、または絶対に必要なルートでもある。
たとえパチ屋でも国会議事堂であっても目的地に着くという事に差はない。
どんなに優れたシステムであっても目的地にたどり着けないなら意味がない。
たいていの場合そのスキマをうまくうめるモノがオイルです。
ハーレーなどはひとつひとつの部品が大きく熱くなったときの変化も大きいのでスキマは初めから大きく設計されてます。そもそも鉄のシリンダーとアルミのヘッドを同軸上に並べる事がおかしいでしょう。熱膨張率違いますから!ですから普通のオイルではその間に留まれなくて流れ落ちてしまい、お互いとも傷だらけになります。そのためハーレーはまるでグリス(軟膏)の様な硬いオイルを使い、部品と部品がぶつかり合うときのクッションの役割を果たしています。片や日本の精度は世界一でさっらさらのオイルで効率良く工業製品として非常に優れています。
ただ、どう考えてみても優れているように見える物が、実際に乗ってみて味わい深い訳では無い事が不思議です。
私はハーレーでゴミ出しに行くときもありますが、同じ目的地に着くという行動であっても、着くまでの過程も楽しめるってすごいなと思います。
さあ、今日の一日もその過程を楽しめるか、ためしてみます。
私の人間関係が、ガタガタでも何とか過ごさせて頂いているのは、油のお陰であることは間違いありません。

2010年3月20日土曜日

全塗装

以前作らせてもらった家の塗装中です。
やってみて思うのは塗る事より、その前の準備が大切でそっちの方が時間もかかり大変と、いう事。
今の状態の点検、材料の準備、足場、マスキング、下地の処理、それからである。
近くではリンゴの枝の手入れをしていた。実はリンゴも冬の間にちゃんとやっておいたかで、かなり良い収穫になるか決まるという。
木の健康管理や枝をどれくらい刈り込むかなど、何でも同じだな。
私たちはリンゴがなっているのを見て、「リンゴが実ってる」と思うが、農家は良い実を実らせる事を目標として新芽もまだ出ない時期から働き続ける。
本当に何でも奧は深い。最近こればかりだ。この家何年たったかな。私も古くなるハズです。
もちろん私自信は外観の塗装程度で綺麗にはなれません。

2010年3月19日金曜日

戸隠の朝

ちなみに、今朝の戸隠です。
さむっ。
さあ、足下に注意してプラゴミ出しに行きますか。

でも青空が除いていてそこだけ色が付いている風景。
今日はいい天気になることを僕は知っている。
それだけで、うれしくなる。

思い返すこと

画像はちょうど1年前に、近江八幡の友達の所に仕事で泊まっていた時。
朝スクーターを貸してもらってパチリ。
琵琶湖の近くで水郷地帯は戸隠とは違う綺麗さで、面白いですね。
今年はカヤック持って遊びに行って堀を探索しようと話しています。
此処は日本?と思わせるような 水路もあるよと聞いてるので楽しみです。
今日は戸隠も雪ですね。春の楽しみは、まだ少し先ですね.
今日は 今日ということで ちゃんと仕事をする予定です。

2010年3月18日木曜日

パン屋

近くにパン屋さんが出来るのだ。
と言っても車で10分かかるが私の環境では十分近い。
遊び友達のまっちゃんの友達だという。
まっちゃんは100日程働きそれで一年を暮らす人だ。
パン屋は彼の友達だからじゃあオレも友達みたいなものだな、と二人で開店の準備は仕事ではなく遊びと言うことでシフトする。
いつもながら遊びは楽しい。
「あんた大工ね」
「じゃ、今回はおれ電気屋「看板どうする」
「かっけーのほしいよね」
4月に長野市飯縄でオープン。石釜も彼が作った。見た目は巨大芋虫風。
石釜でしか焼けそうにない大きくて重くて表面は硬いのに中はふっくら。
最も原始的という、彼が作った石釜で焼いたパンは、いかに!

今朝食ったら「うまいこれ」メーカーのパンでは満足しないうちの家族ほぼ全員をうならせる味!(注、次女は外泊でいない)人はパンのみで生きるにあらず。
のみってことは、やっぱパンも、必要ってことだよね。今度はピザ焼こうね。

訓練とわたし

画像は去年までいた。家の「べる」が温泉治療(家の風呂ですが)している所です。
人と同じで最後は「介護(され)犬」とよんでました。


私が犬を飼うときに望んだ事は、呼べば来る事、私が歩くと共に歩き、私が止まると止まるという事でした。
出来ればリードを使いたく無かったのでこの2つは大切な基本でした。
お手や芸など出来なくとも構わないし、教えることもありませんでした。
ペットは家族と近いような所があり本気で私を怒らせる事が出来ます。
言葉の意味(私の思い)を犬に理解させることはかなり大変でしたが、私自身とても勉強になりましたし、何より楽しい事でした。
犬にお互いの関係を知ってもらい、餌や気を引く道具を使わずお互いの信頼関係の中で希望をあたえ、集中力を養わせ、忍耐を育てさせる 作業です。

あるトレーナーさんはこう書いています。
「マテ」の意味は「行動の抑制=コントロール」です。
コントロールと言っても、人間が犬をコントロールすると言う意味ではなく、犬自身が自分をコントロールすると言う意味です。動きたいけれども、動かずにいれば必ず傍に帰ってきて褒めてくれると言う安心感、ガマンすれば必ず良いことがあると言う期待感を、繰り返し与える事によって、自分自身をコントロールする術を覚えます。「マテ」の意味を犬が理解した時、精神的成長を促す結果にもなります。

私は自己流でやってきましたが基本は同じです。
この関係はイエスと私たちにも共通するところもあります。
今振り返るとえらいことやってたな。犬に出来ることがなぜ、私が出来ない?
犬には本当は教えてもらったことの方が多いです。なんでも深いなホント

2010年3月17日水曜日

霜柱


けさ家の近くで見かけた霜柱です。まれに10cmくらいまで伸びて握り拳くらいの石を持ち上げることもあります。 しかもかなりきれいですね。日が昇るとすぐとけてしまうのに、やるなー、せめて髪型だけでも学びたいが最近長い友も減ってきたような気がする。

聖書

聖書には翻訳の間違いや確信的な誤訳もある。
それでも神の言葉と言われるゆえんは聖書が全てでありそれだけで完結しているモノではないからと思う。
聖書を解き明かすのは色々あるが、最終的には聖霊が解き明かしてくださるから(耳を傾けるなら)、読んでいて何だかわからない事や違和感を感じたりする事もあるが、必要なときにはわかるようになると思っている。
この前あるかたがブログでガラテア2章20節の所を私訳してくださったのを見せて貰った。
本当に丁寧に分かりやすく時間をかけ注意してなさったのだろうと思い興味深く読ませていただいた。
知識においても神様のすごさを味わせていただき、本当にみことばざんまいなのだと楽しかったです。

いつも不思議に思うことは、どことか言えないのだけれども実は答えがすでに内側にあってジグゾーパズルのピースの様にピタッと合う感覚です。(もちろん自分の思いこみによる一時的な勝手な解釈の間違いはあります)
そもそもイエスを主と知るときから、そう書いてあるから信じたわけではなく、信じる事が出来た後に、そうだよね、ここにもこう書いてある、という具合。
何とも曖いな感覚では有るが 私はそれも大切にしたいと思う。
羊は羊飼いの声を聞き分ける事。
それまで一度も聞いたこと無いのだが、初めて聞いたときでも間違いなくイエスだとわかる感じとでも言えばいいのだろうか。
たいていは精神的にもボロボロで状況はは全く変わっちゃいないのだが、とにかく、ただうれしいものです。

答えは、本当に心のずっと奥の方にあって後でわかったときに思い出すように確認するもの。
では、どうやってそのきっかけがあたえられるかと言うなら、知らない事は知っている方に、聞くしかない。知らないことは恥ずかしいことでも無い。でも聞こうとしない=知ろうとしない事はどうなのだろうか?
聞くことはまるで簡単そうだがが、プライドもからし種程ならいいのだが、、、なかなか聞くこともしようとしない心は石の様で水さえも、しみとおる事も出来ない。
石をどけてたり踏み固まった土を耕すのは疲れる。でも良い農夫であるお方はあきれるほどあきらめることをしない。
結局はイエスがどの様な方であるかを常に前に置くこと(謙遜と言い換えても可)こそ、正しい聖書の解釈に繋がると思う所が大きいと感じる。
何でもそうなのですが、私の方が正しいのだ的な人には付ける薬もない。
自分が病気で問題があるとわかってないなら医者の所に来て伺うことはないのですから。
日頃から自覚無くとも回りからは「あんたは病気だな」と言われています。(特に家内に)

2010年3月16日火曜日

漂流

戸隠でもかなり新潟県ちかくだと富士もこんなに小さいです。
でも、気持ちはそこまで行っているような感じを味わえます。

私のそう祖父は気のいい方と言えば聞こえは良いがお人好しだったと思う。
保証人になって貧乏したと聞いた。
それまでの家と土地は取られて半農半漁でその日暮らし、
ある時漁をしていてしけにあい流され新潟まで流された事があると聞いた。
もちろん携帯のない時代、手紙を出す金もなく、みんなは死んだと思った。
村の○○どんさんがやってきて、ひい婆ちゃんに「実はあんたの旦那には金を貸してあった。申し訳ないが返してくれ」と、もちろん払う金も当てもない。
貧乏子沢山を絵に書いた様な状態だった。
ところが、3ヶ月歩き続けてひい爺様は戻ってきた。
実は嘘だったみたい。
今だと弱みにつけ込んだ立派な詐欺だが、それでも生きていて良かったねで終わったみたいです。やっぱり、ひい爺ちゃんも冒険好き?でお人好しだったのだ。よかったね。

2010年3月15日月曜日

画像は関係ありませんが、
家内似の息子の小さいときの夢は「水族館のおねえさん」「ウーン、それは難しいぞ」と答えといたが。
そういえば私、夢、何だっけ。
小学校の4.5年頃だったと思う。一度だけからかい半分で最もらしい作文(創作文)を書いた。

「僕の夢、僕は社長になる。乞食をしても土方をしても僕は社長になる。」という内容を実に感動的につらつらと書きつづった。
表彰される程度までは想定内だったから良かったのだが、全校で生放送と、なってしまった。
みんなが給食を食べている間私は、自分読む内容とと現実の自分の差を感じながら、蒔いた種を刈り取った。

家内の夢は「お嫁さんになること」この1点ばりだったらしい。
小学生くらいなら微笑ましいが、卒業アルバムにもそう書いてあり高校でも「お前就職どうするんだ」と聞かれ「お嫁さん」とまじめにこたえたそうだ。
私は何がしたいのだろう。
私の夢はなんだろう。
いろいろやりたいことは思い浮かぶ、解体屋さん、世界中をバイクで見て回る。
ホームレス、無人島に暮らしてみる、いやーモンゴルに移住ってのも良くない?などあるが夢って?なんだろう。
自営を始めてからいろいろなそれまでとの違った経験をさせてもらった。
仕事がある幸い、仕事を終える喜びと不安 、毎月の給料がない重圧、家族と暮らす事の偉大さ。本当に来月くらいは「解散」と夢でなくホームレスになる事を感じながら1日1日を過ごした時もある。
スーパーで食料を買えたりガソリンスタンドで満タンに出来る感動。
ここに住む動物たちも冬を越えることが出来るかが最も大変な様に当時の私もそうだった。
長野に来てからは冬が一番好きだが、現実は甘くない。
好きなことやって食っていくなんて人生そんな楽じゃないんだよ。
そうだ。楽じゃないけど楽しいことをやっていけたらそれがいいな。
家内と会ってから30年ほどの月日がたった。
本当に思えば遠、、ですが。
かなり影響は受け続け(させられ)、
夢も一人より二人でという感じになりつつある。
家内の夢が私とかさなる。「お嫁さん」その夢 悪くないな。

2010年3月14日日曜日

井戸

木の穴、石の穴と続いたので穴の話をもう一つ。家には井戸がある。
家を建てるとき気が付いた「水がいるな。」水はどうやって手に入れるんだろうと、水道課に行った。「水がほしいのですが」担当は「あんな場所ですからねー、1m1万円くらいだから最低お宅までは250万円の費用がかかります」とのこと、当時家を建てるお金どころか土地を買う金もない私がそんなお金あるわけない。「じゃいいです」担当は「でも水がないと人の住む住居としてはみとめられませんが、、」「ぼく掘ります。じゃぁ」と帰ろうとすると「これ井戸の条件やきまりがが書いてある書類です。これに従っておねがいします。」帰って読んで見ると、なにやら理解しにくい文章や取り決めが沢山書いてある。「もーめんどくさい」でもその中に全てを貫く一つのポリシーがあった。

{第一条 水は全ての人に等しく与えられている権利であり資源である。}いいじゃん。では私もその一人だな。じゃぁオレは井戸を掘る!ゴローさんの様にスコップでと思ったが、知り合いがいい機械がある仕事にもなりそうだから試し掘りにどうよと。ドラエモンの4次元ポケットみたいに「らくらく井戸掘りキット簡単ビデオ付き!」、送料込みだったのでエアーで送ってもらう、キター。組立ててみるとドラマ不毛地帯でMr兵藤がサルベスタンで掘っていたのと全く同じのミニチュア。

ビデオを見ると「Hi! I`m ○×△、、」とボン.キュ.ボンのお姉さまが大きく胸元が開いたタンクトップと真っ白なショートパンツで、本当に此処でいいんですかと思うような芝生の庭の真ん中にフンフンと鼻歌で掘っていき、25分後にはその井戸から出た水を飲んで一言「Deliciousness .You can do it !See you.」???少々の?疑問を感じながらも開始、ウォー、ドロドロ、ヘロヘロで、何度ものトラブルの連続、その時の服は捨てるしかない状態で手も腕も傷だらけ。ちゃんと爆発もしてくれました(笑)あまりに過酷で写真の一枚も取れなかった。あのビデオは一体?????

勝負は水モノといい方にあるように、わかんないよやってみないと言うこと。2日掘り続けて硬い岩盤にあたった。「もういいい」暗い中ドロンドロンの穴に差し込まれていたパイプを取り出し片づけて文字通り泥のように寝た。次の朝、期待と不安で井戸に向かった。
日本中で記録的な水不足の年、好天が続いていた夏だったが、車で向かうその道には水が流れていた。その道をたどると私の掘った穴からそれは出ていた。
懐中電灯で井戸の中を照らす。わきあがる水に光が何処までも伸びていく、深く暗いその先から怖ろしく澄んだ水がこんこんと涌き続けていた。

昔私のひい爺ちゃんが保証人になり家土地を手放し仕方なく水のない高台に移り住み自分で井戸を掘ったと聞いた。私がその機械で掘ったのと同じ深さだったと聞いたとき手を合わせて拝む事こそしないが、思った。やるじゃん、爺じい、かっけー、。今日もあの穴からは変わることなく澄んだ水が涌き続けている。 サンキュー ! ひい爺ちゃん人生は悪くないよね。神様はちゃんと見てるよね。

2010年3月13日土曜日

アップルパイ

家内が焼いたアップルパイです。
いろんなパイの中でもこれが一番好きかもしれません。
まあ、私はアイスクリームか生クリームがないと食べないのですが。
住めば都とは言いますが、長野の果物はうまいです。
ちゃんと冷え込む事が良いみたいですね。
私は冷え込みたくはありませんが。

来客

ブログを更新して、朝食を食べていたら彼も朝食なのかうろうろしているのを、家内が見つけた。ペットもいいのだが野生ってなんだかすごいなーっと思ってしまう。彼(彼女?)はどんぐりや栗、庭のクルミなど秋にはせっせと収穫し余った分は冬の為に土に埋める。その中のいつくかは、掘り返される事無く忘れられて春に芽を出す。画像が粗いのは雨が降っていてしかも3重の窓ガラス越しと言うことでご了承ください。

ボーリングシェル(Boring Shell)

戸隠に化石館がある。
館長さんは子供が担任をしていただいた方の旦那で、なかなかいい感じです。
以前市町村合併村前に広報でコメントしてましたが。それが面白かったので記憶からですが掲載させていただきます。

海岸などに行くとよく見かける穴の開いた石、上の石の穴、とくに右側のものは人為的なものではなく、穿孔貝(せんこうがい)が開けたものらしいです。
「ボーリングシェル(Boring Shell)と呼ばれるカモメガイの仲間が、石の中に棲むために自分の殻を振動させて穴を穿ったものなんですと。
化石の年代や環境の指針となる奴らしいですが、こいつはすごいです。
化石の中には既に絶滅してしまって現在はいないという生き物が沢山いますが、穿孔貝の仲間は現在確認されている種類の全てが化石から確認されていて、化石の穿孔貝の仲間で現在見つかっていないものはわずか3%だけ。
つまり今いる物は太古の昔から既に全てあって、尚かつ現在もほぼ全てが現存している。(地味な生き物ですのでほんとは100%かも)
これは進化論と食い違いに感じます。
今いる全てがそのまま古代に全て揃っている。
そしてそれは何も変わらないで(進化しないで)今もいる。私たちは華やかで表舞台に立ち大きくて力があるものに目を留めがちですが、奇抜で大きいものほど滅んでしまったような気がするのは私の気のせい?
硬い殻に守られていながら岩に穴を掘り身を守る。
穴で一生を過ごすので入り口が自分より小さくて出たくても無理なのであだ名は「墓穴貝」とも言われるが他人事では無い、酸性の液を出しながら岩を掘り続けるそいつはまるで愚痴キック言い訳ビーム自己憐憫シールドを吐き出しながら掘り下がり続けた私と同じ。
ただ私の場合は後ろに後ろにと掘り続けていたら後ろが抜けて日の光が、、、、、
うわー、まぶしぃー、なに?ここー。みたいな?

私の岩の様な心もイエスという小さな種がこの貝の様に時間をかけて穴を開けてくれたようです。
光も入るし水も流れ出すし、風も抜ける。悪くないですね。
あなたの人生に風穴どうです。

2010年3月12日金曜日

キツツキ


ありがちかも知れませんが、山に住んでいるとキツツキが家をノックします。

家中穴だらけというお宅も見かけます。実際玄関ドアからノックがありドアを開けたら、キツツキがバァーって「休みの日になにしてくれるの、まったくバカだから困るよ。俺の家つついても何もでてこないって!」と朝早く怒ったことあります。
でも、そうじゃないと最近知りました。キツツキは虫がいない所をほるような馬鹿なことはしないらしい。
家をつつくって事は家に虫が入っているからだそうです。
事実掘った穴を見ると大きくて深い穴小さくて浅い穴ありますが、ほる前に 虫が何処のどれくらい深くにいるか調べてから最初の楕円の大きさを決めて最高に効率よく虫が捕れるように仕事をするらしいのです。
よく見るとほる前に 首をクルックルっと振って三角法で虫が何処にいるか決めて自分のくちばしでほると捕まえる最終的な深さにするには最初にどれくらいの大きさから平らにほっていけば良いかを見極めてから進める。
そうですよね。虫だってバカではないからゆっくりほられているならその時間で逃げますから、バカはオレか!。
良く見極めないで事をはじめてしまうことが多い様な気がする。
でも何もはじめないで深く深く考えてばかりいたら何も始められないような気がする。どっち。

*風を警戒している人は種を蒔かない。雲を見ている者は刈り入れをしない。

*塔を築こうとするとき、まずすわって、完成に十分な金があるかどうか、その費用を計算しない者が、あなたがたのうちにひとりでもあるでしょうか。

前の聖書箇所はあんまり気にしないで 始めろと言っているかのような、他方はよーく考えて事をはじめろとあるような。、、、
でも種と塔は違うからね、たとえばタンポポの種はほとんどが無駄になるってわかっていてあの数の種を飛ばす。(タンポポには聞いてないが)でも塔、(注、家という訳もあるので分かりやすく家にしましょう)。家を作るときは何でもいい沢山作ってみて一つ気に入ればいいや、じゃーないよね。

では答えは何か?
キツツキと同じ事、頭は使うためにある。そういえば大木金太郎さん、猪木さんにも馬場さんにもほとんど頭だけで立ち向かってましたね。実に男らしいです。

2010年3月11日木曜日

松川渓谷滝の湯

今日は松川渓谷滝の湯に行ってきました。少し雪があり滑落しそうな階段を降りた川沿いにある温泉(露天は混浴)は全てがちょうど良く実に気持ちが良かったです。風の冷たさと日差し、湯温がちょうど良く、止めどなく流れる川の音と時より吹き出す源泉の音に身をゆだねていたら二人とも眠ってしまったみたいでスッキリ。家内も気に入ってくれ次は白骨です。帰りの小布施のジェラートと桜餅も非常によかった。新緑と紅葉の頃もいいだろうね。

ね曲がり竹

根曲がり竹、最初に見つけたとき「!」と関心。
何故って竹は真っ直ぐ生えてくるからこそ竹を割ったように(曲がっていると割りにくいし)とか言われるわけでしょう。
でもその竹は元から地面に寝そべる様に這えていた。
ここは豪雪地帯で最初から斜めに生えておけばいくら雪が積もっても折れない。
これが旨い。
バターを塗って焼く絶品です。
味が濃いですね。
でも美味しくいただくなら、その日の収穫その日のうちに、マナみたいです。
知人の方は春になると根曲がり竹を1日に60Kgくらいは取る1kgコンスタントに1200円するから1日7万円程の稼ぎになる。
70歳を越えた老人(失礼)のあがりにすれば良いよね。
根曲がり竹のすごさはそれだけではない良く曲がるってこと。
戸隠の山は深く冬は長い戸隠では冬の仕事に竹細工が発達した。
そんな時戸隠に生える根曲がり竹はかごを編むときもしなやかである。
真っ直ぐって事がそれだけでただ優れているとか良いのだろうか。
人生にも回り道をしてあっちこっちぶつかってきたと思えるときがある。
遠回りになったみたいだけれども今の私はそういうことの上にある。

聖書にこうあります。

人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。

振り返って、ずいぶんひねくれて見えたりねじ曲がっているなと思う道が神様から見て真っ直ぐって事もあるかと密かに期待している。
なにせ結構、逆説が好きだからね。

2010年3月10日水曜日

パラダイス


犬、猫、ニワトリの話で、勘違いしないでいただきたい。
実は私は動物を飼う事がそれほど好きではない。
事実、週に一度くらい(たとえば猫が大事な私の物にそそうをした時)「みんな良く聞いてくれ。私はもう2度と動物は飼わない」と宣言するのだ。

何年か前、一人暮らししていた娘がケージごと何かを持ってきた。
初めていったペットショップでそいつは、1匹売れ残り決して良い状態でなく震えていたので可哀想に思い買ってきたらしい。(お金無いくせに、モー!)
名前は紙切れに下手な字で「ムータ」と書いてあったのでそのままになった。
当時猫と犬もいたので我がリビングはちょっとした体験動物コーナーのようだった。
飼ってみると実に可愛いもので、抱きごごちは猫の方がいいのだが、毛触りはさすがチンチラの親戚だけあってうっとりしてしまう。
呼べば来るし、膝にあがってくるし犬の背にも乗っている。
猫とも遊びたがるし、鳴き声もあるのだと新鮮(借家の時代もウサギを部屋で飼ってはいたのだが)素晴らしい場所や状態を人は「天国にいるようだ」とか、「まるで パラダイスみたい」と言ったりしますが(注、温泉は、アー極楽)人の心の中にはパラダイスの情景が書き記してあるんじゃないかな。
誰もゴミや暴力、中傷の吹き荒れる所を天国と呼ぶことはない。何となくだが、空や水は澄んで草には花、木には実がなっている、家族友達兄弟姉妹が共にいる。私は動物たちも仲良くいてくれた方がいいなと思う。もし馬がかえたならバイクはいらない。生活出来ればお金はいらない。携帯やパソコンも何もいらない。天国が、まちどおしい。でも取りあえず今は今でいいかな。

2010年3月9日火曜日

卒業

せっかくカラーなのだから色つきのほうが、、、
なんて言うのはシロートか、ケチな貧乏症?
料理人が塩だけで甘みを出したり、水墨画の中に色を見ることもある。
高級料理なのに味気なく感じたり動いている物が止まって見える時もあれば動くことのない絵に躍動感を感じる。

人の脳は不思議なもの見えないものをみたり、見えるべきものが見えないときもある。
モトクロスは本来人が出せるスピードを超えている。速さと疲労が限界に近づくと脳の演算処理が追いつかなくなり、視界が狭まり、白黒に見える時もある。
彼女が白を纏うときに私の視界はどうなるのだろう。

感謝

なかなか良くならなかった。別所温泉も効果なし(2人300円)
やはり一番は休むことでしょうか。鼻水は残ってますが、体はいい感じです。
昨日は久々にクロカン行ってきました。
前の写真もカラーなのですがそんなモノクロの世界も美しいと思います。
今日は下の娘の卒業式、親子と共々忙しい平和な朝です。
20年 本当に良くしていただき感謝

2010年3月7日日曜日

俺って天才


雪が綺麗です。川を挟んだ両側の森です。
針葉樹と広葉樹の違いが良く分かります。

今日は私の過去を少し(だから、、)

この前テレビで矢野祥という青年が出ていた。
IQ145あれば天才という世界で 、IQ200以上確かに彼は世に言う天才であることは間違いないだろう。

まあ知能指数を作った団体をみればあのシステムにも?だが。
ほぼ記憶する力とそれを組み合わせ頭の中で展開する能力でしょうか?

誰もが一度は言ってみたいがバカと言われることを覚悟で言えば「俺は天才」である。
これは自慢ではない事実なのだからしょうがない。
しかも秀才と違うところは努力無しというところだと思う。
白鳥が「私は白いのだ」と言っていることと同じ(オセアニアでは黒もいますが)ただの遺伝です。
小さい時からいつも先生に言われてきた「あなたのお姉さんやお父さんはそれこそ勉強が出来たのに?」父は戦時下にあって中学2年の時自ら志願して当時父が憧れていた戦車に乗って戦おうと試験を受け受かった。
日本で500人、県では2人だけの合格だったらしい。
そのまま行けば私はいないのだが、直前で敗戦、百姓をしたくない遊び人だった祖父(私は祖父にも似た)に曾祖父からの田畑をまかされ7人兄弟の頭の父はひたすら田畑を耕した。
私が小学校入ってすぐ父は呼び出された。「息子さんは当校始まって以来の知能指数です。すぐに東京の学校に転校させてください」
試験は能力を測るもので基本的には全てを書ききれないものが望ましい(体重を量るのに目盛りが足りないなら計れない分かりますよね)当時の私は「はいそこまで!」と言う前に「終わった」となったという。(すみません。私も後で聞いたのでバカなので覚えてません)
父は東京にやらず、田舎の学校に「通った。学校ほど退屈な所はなかった。
多分いまならADHDと診断されただろう、私は教科書が配られるとすぐ読んで、もう読む気はおきなかった。
退屈だった。鞄や本を持ち歩く事が無駄に思えて破っていた。
テストも暇で答案用紙の裏に絵を書いたり、先生の裏をかく答えを書いたりしてよく0点をいただいた。
全てが退屈だった。小学校の中頃で「ひらがながあるのに漢字はいらないからもう覚えない、そもそも中国人じゃないし、ローマ字?おれローマ人じゃないし」中学はされに「現代人の俺がなんで古典やアメリカ人と話す機会のないおれが英語?」とエスカレート。完全に傲慢になっていた。
しかし1つの疑問が頭をグルグル「人は死んだらどうなる?」なかなか答えが見つからないので答えを知るために「じゃ一度死んでみるか」と思ったほど。
でもすぐ「でも、どうせ一度死ぬから後で」と踏みとどまった。(フー)
死んだ後どうなるかを今知るには「生まれる前はどうやったんやろ」で歴史→人類誕生→生命の誕生→地球の誕生→宇宙の誕生→更にその前→聖書→理解不能→挫折。
それらが今の私の大切なきっかけであった。

天才にはその能力を正しく使って欲しいですが、計算が人の10倍速いとか円周率を1000桁まで覚えるとかはでかい声が出せるとかの能力とさほど変わんないじゃないかな。
本当にすごい人は信じられないほどバカみたいな人。アホみたいな人(リアルアホ?)はすごいですよ、突き抜けている。
だれも思い浮かんだ事のない様なことを誰も見たことのない方法でやってしまう。

私はと言えば「10で神童、15で秀才、20(ハタチ)過ぎればタダの人」ただのおっさんで良かった。
そのうち老眼鏡を頭に置いて「おい俺の眼鏡はどこだ、全くどこに置きやがったんだよ」と言うと思います。
善悪の知識の木の実の力を砕くのは、天才ではありません。英才教育を受けたモーセは40年羊を飼っていました。ソロモンや計算高いユダはどうでしょうか?私、只のバカで良かった。これでいいのだ!

自分の知恵で神を知ることができませんでした。
それは神の知恵にかなっています。
そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。

2010年3月6日土曜日

自分らしさ

ガレージに迷い込んできた鳥です。
あなたのいる場所に早く戻ってね。

いつも自分らしくありたいと思う。
自分らしさとわがままは紙一重の違いみたい。
長野では男性の髭が市民権を得ている。
父兄参観に行ったとき半数の方が髭をはやしていた。
私の郷土では髭をはやしている人を見たことがない。
ある時から髭をそることをやめた(手入れはしている)
社長から呼び出され「なんの文句がある」と言われた。
「なにも。私はなにもしていません。ただ、皆さんがそっているだけなのです。」と、
会う人ほぼ全てに言われたが、そらなかった。

電気工事業界ソフトボール大会だった、肩書きだけであったが私の社長が電力会社のお偉いさんに呼び出された。
「あれは一体なんだ。お前は何をしている。今すぐそれせろ。あんな電気屋を野放しにしておいたら原子力発電建設に支障となる」とつるし上げられた。

私の髭と原発の関係は知らないが、自分なら何を言われても構わない、が、私のせいで社長が窮地に陥るならばと、そることにした。
会う人会う人に「若く見える」だの「男前が上がった」などと言われた。
私は何も変わってはいない回りと比べて少し変わった人なだけ。

原発誘致に流れる不正な金、その力はすさまじい。姉の嫁いだ先が原発予定地になった。
当時の市長は地方一の建築会社社長、もちろん賛成派の旗頭だった。
はじめに結果ありきのような流れだった。反対する事は頭で考えると何も得しない。
もう一人の姉の同級生が若くして原発の行方を問う次の市長選挙に対抗で立候補した。
元々選挙に熱心な地方だが保守的な地盤でその地方の県知事は日本一の連続当選を果たしていた。
投票率 100%この日本で考えられますか。
結果、わずかの差で現役の市長が負けた。

何が良くて、何が悪かったか私にはわかりません。
その建設会社はつぶれた事を聞いた。
ただ時折、姉が家のすぐ脇の海からとったサザエや根昆布をみそ汁に入れて食べる時に
あの深い青の海が今もそのままな事はなんだか嬉しい。

あなたのいる場所はどこですか。
もし、迷っているなら早く本来あなたのいる所に戻れるといいですね。

2010年3月5日金曜日

大切なモノ

私は、自分をアシストしてくれる物が好きだ。
画像は私の手のひらにのるエンジンです。
O.S技研というラジコンのエンジンを手がけるメーカーで、ここでも日本は世界を席巻したといってもよいと思います。(日本人の私が言うとえらく高慢だが)
このサイズで点火装置、マフラー、キャブレターをセットし丈夫で安い。
小さい頃初めてバイクに乗ったとき
    「すげー、これならどこまでも行ける」と、思った。
自分に力や自信がないからかな?

どんなにすごい車や道具を手に入れても使う人の技量が大切なことはあたりまえ、
それでも、たかがモノであってもこだわりはないわけではない。
レストランで食事のあと、駐車場で自分の車を探す。
出来れば「あれが、オレのくるま」とがっかりするモノに乗りたくない。
出来るならば「あれが、オレのくるま」と喜びをもって見つけたい。

ちなみに今の車はどれも15万Km以上乗っているボロですがどれも私のお気に入りです。
トヨタの社長が「私の名前が付いている車を悪く言われると私が悪く言われた様に感じる」と言った。
作った人の名前が入っているモノのほうが私は、興味深いモノが多い。
名前がたんなる呼び名や敬称以上の意味を持つからこそ、
世にはその名前だけ付けた偽物が横行する。


人は沢山のモノを持つ、それは3つに分けることが出来ると誰かが言っていた。

*1つは、材料としてのモノ お米や布のストックや私なら木、石、鉄などあると便利ですね。

*2つめは、道具としてのモノ 手や足の延長ですかね、ハサミがあると手だけよりいい仕事出来ますから。

*3つめは、なぜか捨てられないモノ

長野に来てから冬の暖は薪ストーブで20年やってきた。
毎年薪を集め作る事は嫌いではないが大変だ、しかし積み上げられた薪の山を見るときの何とも言えない満足と、今年も冬を越えられる事の安堵、とても豊かな気持ちになる。
長野に来て趣味と仕事の道具もふえた、昨日も宅配でチェーンソーが届いた。
今年はデッキに屋根を架けたいのでこれがあると助かるし支払い2000円の楽しみとしては悪くない。
ただ、3つ目のモノが圧倒的に好きだ。
どうしようもない、なんの役にもたたないのだけれど見ていたい、側に置いておきたいモノがある。

ある羊のたとえ話がある

羊飼いが飼っていた100匹の羊の中で1匹だけ迷ってしまった。
良い羊飼いは迷わなかった99匹をおいて、その1匹を探しかついで戻ってきた話です。

のら羊見たことありますか?羊は鋭い目や、牙、爪,咆吼が無い、でも羊飼いと共になら、どんなに厳しいところついてくる性質があるのですが、その1匹は99匹が迷わなかった所で迷ったどうしようも無い羊です。
50匹迷ったルートなら羊飼いの責任もありましょうが、私が羊飼いなら「またあいつか!あんな救いようのない馬鹿(羊)もうどうでもいいわ」と見放すところですが、良い羊飼いは違います。探しに行き見つけだし、担いで帰ってきた。「あのやろう見つけたらきつくこらしめて、、」でなく良い羊飼いは迷わなかった99匹以上にこの1匹を喜ぶのだ。

大切なモノは無くなってみてわかると言いますが、免許、財布、重要書類、道具をよくなくしてきた私は、「大丈夫、私が今見つけることが出来ないだけで、どこかこの星の上にはあるから」と、それには楽観的でした。
愚図でのろま、役に立たないからこそ大切なモノがある。


指に値段があります。保険で失ったとき支払われる金額で一番安いのは薬指
人に指を指すなといいますが薬指で指す人はなかなかいない、むにっとしか動かない指
でも、一番使わない指だから汚れも少なく力もない指だから傷口にふれても優しいそれで薬指と昔から言われてきた。右利きの人が多いから左の薬指はもっとも使えないからこそ、じゃまにならない。
指輪をそこにつけるのは(その指は心臓と繋がっているからといる人がいますが)そんな理由と信じたい。

むしろ、からだのうちで他よりも弱く見える肢体が、かえって必要なのであり、
からだのうちで、他よりも見劣りがすると思えるところに、ものを着せていっそう見よくする。麗しくない部分はいっそう麗しくするが、 麗しい部分はそうする必要がない


 

2010年3月4日木曜日

「情熱の薔薇」

「えこひいき」というキーからずいぶん話が流れて動物シリーズになりそうでしたので、今日の私の出来事を(誰もそんなの興味はナイ!)

これは千曲川の中州です。海のない長野にも砂浜はあります(山砂)。
結構広くて昨日は砂埃も砂漠のように流れてました。
浅瀬を選んで川を渡りジープや好き者達がつけた轍を走っていると
行ってみたい所の一つバハ(BAJA)半島を走っている気持ちになる。
バイクは見る人が見れば作ったものと判ると思いますが、
病み上がりの体に刺激を与えるには十分。

一汗かいたあと、カラオケで先に歌っている家内と合流いつもの定番に初めての「情熱の薔薇」を、音痴の割とうまく歌えて精密採点も82点。それより充実感がもらえたこと新しい歌(自分の中では)を歌える事がうれしい。

教会で賛美ゴスペルワーシップしか歌ってなかったときは、心のなかでどこかカラオケを見下していて、
そんなところで、お金を払ってまで歌うのは、真実なる方を知らないからだ、と裁いていた。
また、行きましょう お願いしますね。

「情熱の薔薇」

永遠なのか本当か 時の流れは続くのか
いつまで経っても変わらない そんな物あるだろうか

見てきた物や聞いたこと いままで覚えた全部
でたらめだったら面白い そんな気持ち分かるでしょう
答えはきっと奥の方 心のずっと奥の方
涙はそこからやって来る 心のずっと奥の方

なるべく小さな幸せと なるべく小さな不幸せ
なるべくいっぱい集めよう そんな気持ちわかるでしょう
答えはきっと奥の方 心のずっと奥の方
涙はそこからやって来る 心のずっと奥の方

情熱の真っ赤な薔薇を 胸に咲かせよう
花瓶に水をあげましょう 心のずっと奥の方

http://www.youtube.com/watch?v=d7p_cRTJN9c  

ブルーハーツさんのYOU TUBEの動画です。

2010年3月3日水曜日

ベル



家を作ることになった年の暮れ彼女は家に来た。
彼女の顔を見たときに私の中では名前は決まっていた。

私の生まれた家にはいつも犬がいた。祖父が猟師だったからである。
祖父が育てた数多くの犬の中で一匹の黒い犬を今でも覚えている。
まだ小さかったはずの私がなぜかそのイメージが今でもあるのは父のすり込みによるものかも知れない。
その黒い犬に付けられた名前がベルだった。
猟犬はその優秀さはほとんど生まれ持ったものかも知れない。
飼い主と常に共に行動し、静かに待ち、ここぞという時には獲物に向かい例え海であっても泳いで飼い主の元に届ける。
ベルは本当にかしこい犬だった。あまりの賢さに祖父の友人が「この犬をゆずってくれないか」とお願いしたという。
祖父も優秀な犬を離したくはなかったと思うのだが、おそらく何度かのお願いと、また賢い犬を育てることが出来るだろうという高慢さからか、あげることになってしまった。
ベルは私の知らない遠くに車で連れられていった。

一月ほどたったある日祖父の家にベルがいた。
どうやって綱か檻から出てきたかは知らないがしっぽをふって嬉しそうに帰ってきたそうだ。
祖父はベルを見るやいなや「なんで来たがや、ここはもうお前の家でないがや。帰れ。」と日頃穏やかな人だったが怒鳴ったそうだ。
ベルはそれを聞くとくるりと向きを変えて来た道をトボトボと戻っていった。
父は今でも時々あの後を振り返りこう言う
  「かわいそうやったわいや。あれ以来おら爺さまも、あんな良い犬にあたることは無かったわいやなー」

帰郷するときには家のベルもいつも連れて行った。父は実家の慣習には無い家の中にベルを迎えて可愛がってくれた。父は決して動物を飼うことをしない。でも実は好きなのだとその時私は知った。
去年ベルは14歳で息を引き取った。
写真はベルが家の脱衣で家内に抱かれながら産んでくれた娘の「ツナミ」である。
ツナミを抱くときに、何とも言えない犬の香りが私の鼻をくすぐる。
その時私は家にいたベルだけではなく、実家に戻ってきたベルの事も忘れない。

自分の家から見捨てられる悲しみを犬が感じ取れるのかは知らない。
ただ、もし犬でさえそれの悲しみの少しでもわかるなら
今まで父からの寵愛を一身に受けてきた何の落ち度も無い一人子が
   
 「今日限り、この家から出ていき、身代わりとなって死んでくれ」

みたいな事を言われた悲しみを人は理解できないのだろうか。

去年の暮れは3ヶ月間新潟市から家に里帰りしてくれて、ベルの産んだ娘は私の悲しみを少し癒してくれた。

2010年3月2日火曜日

あの「こ」

長野に来るときに身重だった妻が産んでくれた次女は今年成人式を迎えた。育て方は、間違えてしまいましたが、3人ともいい子で大人となってくれた。
あのとき、勘当され、車一台で親戚も住むところもない長野に来て20年神様は本当に良くして下さり、いつもその手の業を祝福してくれた。
板一枚切った事のない者に、家を作らせる喜びを与えてくれいつも私に過分にしてくださった。
神の性質の一つに「公正」があると言われたりするが、いつも神はえこひいきしてくださるように感じる。

少し前までうちでは鶏を飼っていた。
最初は農協から買ったが、その産んでくれた卵を孵していつからか、全てのニワトリが、うちでかえったものになった。
ほとんどは問題がなくスクスクと育ってくれたが、中には体の弱い「こ」もいて、餌をうまく取れず競争に遅れてしまった。
すると、その「こ」をいつも気にかけるようになり、出来るだけその「こ」の近くに食事の残りの野菜などを投げてやるようになる。
するとその「こ」もモタモタしながらもすり寄るようになってきた。
するとますますその「こ」が、可愛くなってくる。うちの子供達は手の中にポトリと卵を産んでもらった事がだいたいみんなある。
とても暖かくまるで透き通るようなその卵をご飯にかけるときは、ただ有り難く思いながら食べさせていただく。
その「こ」もはじめは、そのような卵のひとつだった。
他に一緒に孵ったこが鶏冠ができてきたころ、その「こ」の成長が止まりあまり食べなくなった。
朝、うずくまっていることも多く、元気がない。
まだ、寒いときでもあったので(卵はだいたい2月に産んだ卵から雛を育てる)薪ストーブの横に段ボールを置いてそのですごさせた。
その日からリビングがその「こ」の居場所になった。
潰した餌や、水を飲ませてもらい、だいぶ元気になりある時はソファーの上に羽ばたくほどに元気になって、そのころ同じリビングで、猫や犬たちと歩いていてそれは、本当に微笑ましい光景だった。
でも、生まれつき体の弱かったその「こ」は、そのあとガクンと元気がなくなり、ある朝、一番その「こ」を可愛がっていた、息子が起きてきていつものように挨拶するのを、待って、息子の手の中で息子の目を見上げて頷くように息を引き取った。
その日の朝は息子がその「こ」を抱きしめたまま、ずっと嗚咽していた。
わたしは「帰ってきたら、この「こ」に墓をつくろうな」と声をかけ、
家内に「中学校に今日はむすこを休ませるよう電話しておいて」といって仕事に出た。
授業に出るよりも、その一羽のニワトリの為に一日泣く事の方が良いと思った。
仕事が終わって家の回りから息子に墓石にふさわしい石を一つ選んでもらいその石のしたにその「こ」を埋めた。

その時から私にとってニワトリはもはや家畜ではなくペット(ペットは家族と近い存在である)と言ってもおかしくない存在になった。
他のニワトリたちが年を取ってもう卵も産まなくなっても、「今まで沢山卵を産んでくれたからなー」と
最後の時が来るまで全てのニワトリを家では面倒を見させてもらうことになった。
「まるで家はニワトリの養護老人ホームみたいだ」といいながら、、、、

今でもその近くの梅の花が咲く頃その近くにある石を見て思うことがある。
天国ではまたあの「こ」に会うことあるのかなと、
私には、良くはわからないが、とにかく神のなさることはすべて時にかなって美しいのだ。
天国では、あの「こ」がリビングで元気に駆けていた時以上にすばらしいのだから。
寒さの厳しいこの地方では、梅と桜がほとんど一緒に咲くそれは春を告げ知らせてくれる景色である。
それは長い冬を抜けて春を迎える事の喜びそのものです。

見よ、冬は過ぎ、雨もやんで、すでに去り、

もろもろの花は地にあらわれ、鳥のさえずる時がきた。山ばとの声がわれわれの地に聞える。

いちじくの木はその実を結び、ぶどうの木は花咲いて、かんばしいにおいを放つ。わが愛する者よ、わが麗しき者よ、立って、出てきなさい。

風邪

風邪をひいたようで、今日で3日になる。
今回は非常に辛いとか、苦しいとかでは無いが、それでも早く立ち直りたい。
元気な時の体になって、遊びに仕事に励みたい。
画像はこの前初めてスキーでジャンプしてみたときだが、
思ったより高く感じて、オッ!となってしまった。(腰が引けてる)
今週は雨でまだ、気持ちはお休みモードでいいですが、
ドピカンなら、遊びたくてウズウズしたことだろうと考える。
また、行きたいなー