2010年3月7日日曜日
俺って天才
雪が綺麗です。川を挟んだ両側の森です。
針葉樹と広葉樹の違いが良く分かります。
今日は私の過去を少し(だから、、)
この前テレビで矢野祥という青年が出ていた。
IQ145あれば天才という世界で 、IQ200以上確かに彼は世に言う天才であることは間違いないだろう。
まあ知能指数を作った団体をみればあのシステムにも?だが。
ほぼ記憶する力とそれを組み合わせ頭の中で展開する能力でしょうか?
誰もが一度は言ってみたいがバカと言われることを覚悟で言えば「俺は天才」である。
これは自慢ではない事実なのだからしょうがない。
しかも秀才と違うところは努力無しというところだと思う。
白鳥が「私は白いのだ」と言っていることと同じ(オセアニアでは黒もいますが)ただの遺伝です。
小さい時からいつも先生に言われてきた「あなたのお姉さんやお父さんはそれこそ勉強が出来たのに?」父は戦時下にあって中学2年の時自ら志願して当時父が憧れていた戦車に乗って戦おうと試験を受け受かった。
日本で500人、県では2人だけの合格だったらしい。
そのまま行けば私はいないのだが、直前で敗戦、百姓をしたくない遊び人だった祖父(私は祖父にも似た)に曾祖父からの田畑をまかされ7人兄弟の頭の父はひたすら田畑を耕した。
私が小学校入ってすぐ父は呼び出された。「息子さんは当校始まって以来の知能指数です。すぐに東京の学校に転校させてください」
試験は能力を測るもので基本的には全てを書ききれないものが望ましい(体重を量るのに目盛りが足りないなら計れない分かりますよね)当時の私は「はいそこまで!」と言う前に「終わった」となったという。(すみません。私も後で聞いたのでバカなので覚えてません)
父は東京にやらず、田舎の学校に「通った。学校ほど退屈な所はなかった。
多分いまならADHDと診断されただろう、私は教科書が配られるとすぐ読んで、もう読む気はおきなかった。
退屈だった。鞄や本を持ち歩く事が無駄に思えて破っていた。
テストも暇で答案用紙の裏に絵を書いたり、先生の裏をかく答えを書いたりしてよく0点をいただいた。
全てが退屈だった。小学校の中頃で「ひらがながあるのに漢字はいらないからもう覚えない、そもそも中国人じゃないし、ローマ字?おれローマ人じゃないし」中学はされに「現代人の俺がなんで古典やアメリカ人と話す機会のないおれが英語?」とエスカレート。完全に傲慢になっていた。
しかし1つの疑問が頭をグルグル「人は死んだらどうなる?」なかなか答えが見つからないので答えを知るために「じゃ一度死んでみるか」と思ったほど。
でもすぐ「でも、どうせ一度死ぬから後で」と踏みとどまった。(フー)
死んだ後どうなるかを今知るには「生まれる前はどうやったんやろ」で歴史→人類誕生→生命の誕生→地球の誕生→宇宙の誕生→更にその前→聖書→理解不能→挫折。
それらが今の私の大切なきっかけであった。
天才にはその能力を正しく使って欲しいですが、計算が人の10倍速いとか円周率を1000桁まで覚えるとかはでかい声が出せるとかの能力とさほど変わんないじゃないかな。
本当にすごい人は信じられないほどバカみたいな人。アホみたいな人(リアルアホ?)はすごいですよ、突き抜けている。
だれも思い浮かんだ事のない様なことを誰も見たことのない方法でやってしまう。
私はと言えば「10で神童、15で秀才、20(ハタチ)過ぎればタダの人」ただのおっさんで良かった。
そのうち老眼鏡を頭に置いて「おい俺の眼鏡はどこだ、全くどこに置きやがったんだよ」と言うと思います。
善悪の知識の木の実の力を砕くのは、天才ではありません。英才教育を受けたモーセは40年羊を飼っていました。ソロモンや計算高いユダはどうでしょうか?私、只のバカで良かった。これでいいのだ!
自分の知恵で神を知ることができませんでした。
それは神の知恵にかなっています。
そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。
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