2010年3月3日水曜日

ベル



家を作ることになった年の暮れ彼女は家に来た。
彼女の顔を見たときに私の中では名前は決まっていた。

私の生まれた家にはいつも犬がいた。祖父が猟師だったからである。
祖父が育てた数多くの犬の中で一匹の黒い犬を今でも覚えている。
まだ小さかったはずの私がなぜかそのイメージが今でもあるのは父のすり込みによるものかも知れない。
その黒い犬に付けられた名前がベルだった。
猟犬はその優秀さはほとんど生まれ持ったものかも知れない。
飼い主と常に共に行動し、静かに待ち、ここぞという時には獲物に向かい例え海であっても泳いで飼い主の元に届ける。
ベルは本当にかしこい犬だった。あまりの賢さに祖父の友人が「この犬をゆずってくれないか」とお願いしたという。
祖父も優秀な犬を離したくはなかったと思うのだが、おそらく何度かのお願いと、また賢い犬を育てることが出来るだろうという高慢さからか、あげることになってしまった。
ベルは私の知らない遠くに車で連れられていった。

一月ほどたったある日祖父の家にベルがいた。
どうやって綱か檻から出てきたかは知らないがしっぽをふって嬉しそうに帰ってきたそうだ。
祖父はベルを見るやいなや「なんで来たがや、ここはもうお前の家でないがや。帰れ。」と日頃穏やかな人だったが怒鳴ったそうだ。
ベルはそれを聞くとくるりと向きを変えて来た道をトボトボと戻っていった。
父は今でも時々あの後を振り返りこう言う
  「かわいそうやったわいや。あれ以来おら爺さまも、あんな良い犬にあたることは無かったわいやなー」

帰郷するときには家のベルもいつも連れて行った。父は実家の慣習には無い家の中にベルを迎えて可愛がってくれた。父は決して動物を飼うことをしない。でも実は好きなのだとその時私は知った。
去年ベルは14歳で息を引き取った。
写真はベルが家の脱衣で家内に抱かれながら産んでくれた娘の「ツナミ」である。
ツナミを抱くときに、何とも言えない犬の香りが私の鼻をくすぐる。
その時私は家にいたベルだけではなく、実家に戻ってきたベルの事も忘れない。

自分の家から見捨てられる悲しみを犬が感じ取れるのかは知らない。
ただ、もし犬でさえそれの悲しみの少しでもわかるなら
今まで父からの寵愛を一身に受けてきた何の落ち度も無い一人子が
   
 「今日限り、この家から出ていき、身代わりとなって死んでくれ」

みたいな事を言われた悲しみを人は理解できないのだろうか。

去年の暮れは3ヶ月間新潟市から家に里帰りしてくれて、ベルの産んだ娘は私の悲しみを少し癒してくれた。

0 件のコメント:

コメントを投稿