2010年3月28日日曜日

バトン

家には柱時計がある。私が生まれる前からあったと思うその時計は、爺ちゃんが買ったもの。
ゼンマイを巻くと一月ほど正確に動いてくれるさすがSEIKO-SHA 。
爺ちゃんがいつも「ギリッ、ギリッ」と巻いていた音が私の頭の中の思い出です。
小さいときは時計をばらすことが趣味だった私の毒牙から逃れたほぼ唯一の時計でもある。
ちょうど電気の時計に変わる時期で近所に行っては「ねえ、これ頂戴」と、もらっては分解していた。
爺ちゃんが死んだときから、その時計は止まったままの事が多くなった。
効率優先の父らしく電気の時計を買ってきてその時計は車庫の床下に置かれた。
少しして知り合いがその話を聞いて「あの時計使わないなら譲ってくらないか」と、もらわれていった。
私が長野に移り、家を建てたとき「これ」とその柱時計を渡してくれた。
95歳まで長生きした、婆ちゃんが一度私の家を見に来たときあの時計を見上げて
「これ爺ちゃんの時計やが」と喜んでいた。
ここ何年かはめんどくさがらず無意識にネジを巻けている事が、自分の中の不思議です。
今日も爺ちゃんの柱時計は正確に時を刻み続けています。「気にいってますよ、爺ちゃん」

親から子、子から孫への命のバトンは、
過ぎてみれば儚い人生に、永遠という花束をそえてくれます。

神はそのすべてを見て喜ばれる
「それは、非常によかった」

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