2010年5月8日土曜日

恋路


明日の朝は少し早く家を出るので寝る前にアップします。
夕食は庭のたらの芽と能登のタケノコでした。どちらも旬はいい。

日本海はコバルトブルーのイメージがあるが、それは冬の空を写しているだけで、今も綺麗でした。
ラジオ体操のとき鯨がいたことや、鰯の大群で波が銀色にうねっていた事。
小学校の帰り50ぱいのタコを捕ったこともあったし、夏の夜釣りで、ボートでこぎ出した時の夜光虫のライムグリーンの色は夜空に自分が浮かんでいる様にも感じるひとときだった。

嫌な事も、出来るなら消しゴムで消してしまいたい事もあったが、思い出はいつも美しい。
私の生まれた所は恋路という。幸福駅の切符が流行った頃、恋路行きの切符もずいぶんと売れたことがあった。
数年前、
能登鉄道は廃線となったが、まだ駅は残っていて、様々な人の恋の思いが書きつづられた何冊ものノートを見ることが出来る。
「大阪から彼の助手席に乗って来ました。ずっとそこ指定席でありますように」
「3年前一緒に来た彼女と結婚しました。もうすぐパパです」
「友人と来ました28歳彼氏いません。贅沢いわないのでよろしくお願いします」

巡りあうべき方と、出会い、いつも、いつまでも共に普通の生活がすごせるといいですね。

追伸、コメントにアクセスしやすく設定を変えてみました。
もしよろしければ挑戦してみてください。

2 件のコメント:

  1. 海がきれいですね。

    私はもうすぐ50になりますが、実家に帰ると、未だにちょっとおかしくなります。ここで「知りたい…、得たい…、そして、消したい。」と思っていたものを自分はどうした、と言えるか、と考えたりして。

    しかし、50になる自分が、ここ(故郷)に立つ、とは考えなかったな~。神さまは不思議をされる。

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  2. 神様は本当に不思議をなさいますね。

    家内はここで子どもを育て年をとっていくんだろうなーって自分の人生のゆくさきが見えていた同居生活6年目、晴天の霹靂のように長野に行くという私についてきてくれました。

    子どものとき飛び込み島と呼んでいた島が侵食され小さくなって写っているのを見て時間がたったことをしらされます。
    今では人が立てないほどの削られた岩を見て今の自分を見るようですが、まだまだ尖ったとこや硬いところも多くて、、、。
    ダビデのえらんだようななめらかな石ころにあこがれます。

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