子供の時から蝉の羽化を見るたび
宝物を見つけたような気持ちになりました。
夏の長い陽も傾きかける頃、
木の根元に穴の中からのぞいている蝉の幼虫。
その奇跡はいつも暗闇の中で、ひっそりと行われている。
背中が割れ、エメラルド色した成虫が姿を現す。
それは虫とはいえ神々しい感じすらし、天上の姿の雛形の様です。
クシャクシャの短い羽が10分ほどで竹ひご飛行機のはねみたいにピンと伸びて実に、格好いいと子供ながら感じた。
白い羽が時間とともに透き通っていき日が昇るとそれは空に飛び立つ7年間も土の中にいたあの虫が。空を一度も飛んだことのない虫にそれをさせる情熱は誰が与えてくれるのか。
ちゃんと羽化するポイントは決して人が手を出してはいけないという事。
羽があんなにもシャンと伸びるのはお腹に用意されてある体液(私たちにすれば、備えられている血)を送り込んで伸ばすそうです。「吹き戻し」のピーヒョロ~状態でしょうか。(蝉の羽は戻さないけど)
”いのちや記憶の連続性を失うことなく、「形造り直される」”とSaltさんは書いてくださいましたが、これが私、全てのクリスチャンにも起こると思うとすごいです。スーパーサイヤ人どころではありません。
蝉があんなに元気に鳴く事も納得です。それ以前は暗い所に長くいたのですから、ただ光が一定の強さで鳴き夏でも雲で陰るとやみます。雌が鳴かないのもキリストと私たちの関係?とにかく楽しみですね。蝉は以前の出る前の幼虫の体より大きな成虫が出てきます。さらに幼虫は重くどっしりしているのに、成虫は重さが無いように軽い、幼虫はのろまなブルドーザーの様な動きですが成虫はポップコーンの様にはじけています。
天上のからだもあり、地上のからだもあり、天上のからだの栄光と地上のからだの栄光とは異なっており、
死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、
卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされ、
血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。
第一の人は地から出て、土で造られた者ですが、第二の人は天から出た者です。
土で造られた者はみな、この土で造られた者に似ており、天からの者はみな、この天から出た者に似ているのです。
私たちは土で造られた者のかたちを持っていたように、天上のかたちをも持つのです。
虫を通してでさえも自らを示して新しい命に導いてくれる神は、やっぱりすごいです。
こんにちわ、電気屋さん(*´∀`*)ゞ
返信削除クマ蝉の羽化を、真近で見入ったことがあります。
その美しさといったら、ため息が出るほどでした。
浮かしたてのクマゼミは、まさに金色。
時間と経過と共に黒が出てくるのですが、ただただ感動の一言でした。
朽ちゆく蝉にすら、ほんの数時間輝きが与えられているのですから、神の子とされた者の復活はいったいどのようなのでしょう!
本当に、スーパーサイヤ人どころではありませんね。笑
>ちゃんと羽化するポイントは決して人が手を出してはいけないという事。
そうなんですよね!
実は朝早くとってきた蝉の幼虫がカーテンで羽化を始めたとき、ちょっとだけ人の手がふれ、その蝉はそのまま死んでしまいました。
7年も暗い地中で羽ばたくことを待ち望んでいたのに、本当にかわいそうなことをしてしまったと、今でも思います。
ただ主だけでなされる。なんという霊的な影、そして真理でしょう!
このせみの記事、転載させてくださいね^^
candyさんコメントありがとうございます。
返信削除そうですか、私の生まれた地方では
くま蝉がいないのでそれは見たことがありません。
アブラゼミとミンミンゼミでした。
ミンミンゼミは乳白色からグリーンに
アブラゼミはエメラルドグリーンから茶色になります。色の付いた羽を持つ蝉は世界的には少ないそうです。
私も子供の時、羽化中の羽を触ってしまい飛べない蝉にしてしまったことがあり、心が痛みます。
被造物も贖われる時を待ち望んでいるとありますのでただ主にお願いしております。
記事、使ってくだされば私も嬉しいです。
なぜ死んじゃうのかな? 子供の時触った事があったけど、その後はすっかり忘れてしまい、気付いた時はいませんでした。
返信削除エシュコルさん
返信削除どうもです。
この地上においては命のはかなさを思わされますね。
私の経験の中では優しくさわるくらいなら問題なく飛んでいきました。
自然界での羽化でも上手に出来ず死んでしまう事もあります。
candyさんのケースも「朝早くとってきた」とあるので、良くわかりませんが、夜のあいだにちゃんと羽化出来なかった幼虫だったかも知れないと思ったりしました。
”やがて死ぬけしきは見えず蝉の声”
この芭蕉の句でも、「閑けさや」の句以上に、命の儚さに対するこだわりを感じます。
この世では、命はいつか終わりをむかえますが、
2コリントでは
「死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためにです」
とあります。
ただ、神に感謝です。