うちの裏には、ナラの木がある 。
数年前に、井戸小屋の脇に爪楊枝程の細さで、ひょろりとあったものを「ここでは、枯れてしまうだろう」と日当たりの良いところに移設した。
葉を見てナラだとは知っていたが、楢は硬く良い薪や家具材になるが、成長は遅い。人の背丈まで伸びるのに8年程かかると聞いていた。「枯れずに育つと良いな。」そのくらいに思っていたのだが。
3年ほど前のある日、家内と二人で驚いた。
あの弱々しかった木が見上げる程になっていたからだ。その時は家内も「これ、どうしたん↴」と聞いていたほどショボく見下ろしていた、あの木が、、「どうしたん。これ⇪」って。
もちろん聖書の中でも楢の木は何カ所も出てくる。
翻訳の問題で日本語訳では樫となっているがKing Jamesで見るとちゃんとOakとなっている。
家の楢、今では高さ9m私の家の屋根程になり、一番太い所は直径30cm程、枝を張り伸ばして下にピクニックテーブルを置いても良い日陰が出来た。
家の楢がここまで生長したのは水路の側に植えられたからだ。
聖書詩編1章1:1 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。
1:2 まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
1:3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。
水辺では、楢は根腐れして駄目だったろうが、水路は地面より水面が低い。うちは1m程下を畑の横の泉から絶えず流れ出ている。水路はたまたま出来ない。それを誰かが何かの為につくったモノを示す。私は以前そこに水路を作り池に岩魚や山女などを飼っていた名残なのだ。水路は水で出来ている道。イエスは「わたしが道、、」と言っている。
独立や開業、転職などでどうしたら食べていけるか成功するか、私の天職は、など職種を悩む必要はない。
神と共に、神の言葉と共に、その人は、何をしても栄える。
神があなたの為にわざわざ水路を引いてくるからだ
最近知ったが楢は幹は爪楊枝程でも根は割り箸程になっているらしい。
見える所より見えない所にちからを入れている木。
神や私たちにとっても、栄えることは、副産物であってそれ自体は目的ではない。
主と共に歩むことそれが素晴らしい。
その木を見上げるたびに、神の言葉は真実なんだと知らされる。
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