日曜日は世間では「父の日」だとかで次女が彼氏持参で夕食を作ってくれた。「何作るの?」「言わない。」
それで思い出した様に、私も実家に父の日コールをした。
恋愛の力は偉大だ。自分の弁当さえ作らなかった次女が、こんなに上手くなっている、、。デザートはプリンとシフォンケーキ柿入り、みな食べて満足した。
龍馬伝を、見たあと家内と何も灯さず風呂(外)に入った。
雲を突き抜けて月の光が優しい。夜風が実に気持ちがよい。
神は「小さいほうの光る物には夜をつかさどらせ」とあるように、この時代の為に、小さい光であるが闇を照らす事を良しとされた。月は自分では輝くことは出来ない。 日の光を受けそれでひかってみえるだけ。
もちろん黒いとはね返す光は弱く、白いならもっと明るく地上を照らしてくれるだろう。月の世界が灰色な事は、神の配色と言ってもいい。
私たち人間は皆灰色だ。白っぽい灰色や黒に近い灰色の人もいるだろう。でもそれは見る角度や当たっている光の強さでそう見えるだけで闇に持っていくなら全て黒でしかない。
この世を少しでも明るくとか神の為に等と、がんばって己を白くしようとする行為は、「白く塗られた墓」。律法によるならただ一つの傷やシミでも「白い石」はもらえない。
人の努力によらず、ただ神の前に白くされる事。神は言葉を用いてこの世を救おうとなさる。
聖書では「雪より白く、、」と書かれている。白に近い灰色では無く「父」はそれを求めている。
そこに映し出されるものは、何を写しても美しい。
ある意味でクリスチャンにとっては
毎日が「父」の日でもある。
自分がこのような形で祝ってもらう時が来る事は何だか不思議な気持ちだ。
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