2010年6月20日日曜日

ニセアカシア

6月16日の「湖面」の写真でも写っているが、
ニセアカシアが花を咲かせている。
蜜が多いことでも知られ、
付近に甘ったるい臭いを振りまいている。
過酷な場所でも非常に早く成長するのは自前で窒素を調達できる豆科の特性の故らしい。
しかも「ハリエンジュ」の異名通り針があり土壌にも枯れた後も残り続ける。
政府も自分で導入して恩恵にあずかったのに、手のひらを返すように「侵略的外来種」のレッテルを貼らされたニセアカシア。

日本では「アカシア」と混同され古くは西田佐知子のヒット曲「アカシアの雨がやむとき」、石原裕次郎の歌、松任谷由実の「acacia (アケイシャ)」やレミオロメンの「アカシア」もすべてニセアカシアに関するものである。蜂蜜でもアカシアとあるのも同じ事。本来のアカシアはネムノキの仲間。でもパッと見、よく似ている。

アカシアは聖書にも出てきて有名どころでは契約の箱に使われている。たまたま「おい、これあったからこれでいくべ。」ではなく。○◎でなければならないと言った厳しい律法により指定されている。ただ、アカシアは普通大木にならず、特に荒野では、まっすぐに生えずねじくれ曲がりしかも加工してからも、あばれる厄介者。
だから十分暴れさせてから、小さなピースにしてそれを組み合わせて作り上げるしかない実に手間のかかる非効率な木を神はあえて選んだと言える。
レバノン杉なら一枚板で作れただろうにと、私などは考える。
幕屋といわれる場所には外庭、聖所、至聖所とあるがそのなかでも最も聖なるものと言われる「贖いの蓋」なぜなら人が守れない律法をおおい隠すモノだからこそ尊く有り難い。
それはイエスそのものでもある。それがアカシア材で作られているわけで確かに濃いオレンジ色の組木細工の蓋は綺麗かも知れないが、純金をかぶせて材を見えなくして完成となる、両端には、ケルビムという天使も見つめる形になる。

話はずれたが、強制的に移植され勘違いされ利用され悪者にされるニセアカシア名前にも「偽」って、勝手に付けられている。
根や幹、枝は有毒だが花にだけは毒がない、で今年はテンプラにしてニセアカシアに感謝して頂いてみたいが、ちょっと時期すぎたかも知れない。

2 件のコメント:

  1. 草や木に関するお話、いろいろ考えさせられます。

    ご自宅の庭の水路のそばに生えているコナラの木は、みことばの真実を思い、ちょっと「鳥肌もの」でした。

    何をしても栄える。これは、すごい約束ですね。

    常に、みことばを口ずさむ者でありたいと思います。

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  2. そうですよね。ドングリも東北などでは命を繋いでいく食源だったことを思えば、
    草や木は神が人の命の為に与えてくれた。
    それらが指し示す先には、命の親である方がいらっしゃる事は当たり前ですが考えてみればすごいです。

    そして命のパンである言葉を口ずさむ事が、ただ生きていく以上の事を与えてくれます。

    と言う訳で明日は家にはえている楢の話にします。

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