2016年2月7日日曜日

想い出

 チーコらが泊まってくれ、以前(10年は前だね)の事を思いだしました。
その頃のブログでチーコの事も私目線だけど家出シリーズの④に書いた事がありました)。

http://dennkiya.blogspot.jp/2010/04/blog-post_09.html#comment-form
2010年4月9日金曜日投稿者 電気屋 投稿時刻: 5:38

超長文ですが、すこーしだけ手直ししてここに掲載させて頂きます。
時間とご興味と根気のある方はよかったら読んでください。




私は家出を奨励している。
旅でも良いのだが、基本、家庭や社会は応援しない。
決して喜ぶべき事では無いが、私の回りにはそれなりにいる(いた)。
家族の辛さや、心配、事件に巻き込まれるリスクを知っていても
家出はまだいい方の選択だと思っている。
もちろん、何も問題なく育ってくれるなら親としては楽ではあるが、
生きている限り問題は無くならない。
どうしようもないときには、自暴自棄になった行動をするより、
何年か、せめてひと月でもその場から逃げる(離れてみる)ことも、
どうか優しく周りで受け止めて頂けたらと思う。
逃げるって私の中では留まるより、ずっと前向きである。

私は高校卒業を控えた頃、

「どこかで生きていくから探さないで」

と手紙を置いて家を出た。
今でもその時の事は鮮明に覚えている。
バイクにリヤカーを付け、着替えや富山の薬箱まで積んでいった。
霙の中ただ寒く南を目指した。
寝るところは神社や解体を待つ車の中。
最後は山口県警に補導され豚箱に入れられたが、
そこがその旅で一番快適だったという皮肉みたいな話。
扇形の宿坊で看守はバームクーヘンの部屋の中心部で見張っている。
各部屋は綺麗にケーキカットされた小部屋になっていて、私は「8号」と呼ばれた。
夜中に新人がぶち込まれて来て、隣人である人生の先人達は興味津々だ。
「どこから来た(小声で)」 「...能登から」
「何したんだ」  「...家出」
「親を心配させちゃいけねぇぜ」「はい(お前に言われたくないわ!←内心)」
「(キッパリした発音で律する様に)私語禁止←(看守)」

更に小声でお隣さん(多分7号)はささやいた。
「いつまでいるんだ」「多分明日」
「そっか」と言った彼の声はなんだか少し寂しそうだった。

最近は家出するその「家」と言う形が無い家庭が有ると聞いた。
悲しい事実だが、それでも私は言う若者達「エクソダスしろ」
ジョー矢吹のようにバッグ一つ持って、歩き出せ
そこの荒野で叫ぶものの、声を聞け
私は青少年、少女の(健全な)家出を応援している。
あなたを、何一つ不自由ない生活を与え、
何よりもあなたを不自由にさせるものから出ろ
そこには様々な危険が待っているだろう。
でも、どこにいたって、あなたを応援して下さる方はいる

大切な事だからもう一度言います。

「エクソダスしろ」




私が南に向かっている頃、父達は 私の部屋の手紙を手に東京へ向かっていた。
あなたは浜辺で声をかけられた(ナンパ)男の子の両親が突然訪ねて来たらどう思います。(やめてー)
恥ずかしくてその後2度と彼女には会っていないです。
家出にはその様な様々なリスクがあります。

ただ、あのとき、家出しなければ、自殺か殺人も可能性があった、
実際2度ほど殺されかけた。当時の仲間内には今も精神に障害が残った。

「勘弁してくれよ、こんな死に方」

と知らない方に祈る様に呟いた事もある。
学校関係者(特に先生)は当てにならない。
そう思っていただけではない。
以前から見てきたし、そもそも私の問題は教員関係者の親から発している。
彼らの前で私が血だらけになっても教員である彼らはそれを決して問題にしたくないのだ。

確かに、家出した先にも問題はある。
問題は無くならない。時間稼ぎにしかならないかも知れない。
それ以上の問題が起こるかも知れない。
私の父は私が帰ってくる日まで布団で横になることは無かったと聞いた。

「どんな寒いところでいるかもしれないのに、ねとられるか」

みんなが家出する必用はないとは思う。
でももし大人でも旅に出れるなら、、
小学生にも旅をする事は出来ると思う。
年を重ねた方にはその父と母を離れるためにも、
「家出」それは、反抗期をのがした「良い子」の最後の砦である。

かわいい子には、旅をさせよ
それは一理あると思う、そして旅ならいつか
父の家に、帰って来てほしい。
例え家が無くても、父が無くとも誠の父はいる。

「 私たちの道を尋ね調べて、主のみもとに立ち返ろう。」聖書より




ある朝、娘の部屋には手紙だけがあった。
3日目に探し出し、同い年の女の子のアパートの前で張り込み、連れ帰った。
私は「聖書」を開き、この様に書いてあること
それを私が守ってきた事を、とくと聞かせた。
大きな声で私は

「どうだ、お父さんの言っていることが間違っているか」

小さな声、、しかし、はっきり

「間違ってない。お父さんは正しい、、、、、
でも私は守れない、だから、出てい、く、、」

私は本当に自分の耳を疑った。ここは

「ごめんなさい。私は悪い娘でした。心を入れ替えて、、」

そう言って抱きあう親子の感動のシーンだろ?

「じゃあ、今すぐ出ていけ。夜中にこっそりと出るのではなく昼堂々とお前の足で出ていけ」(自分も夜こっそりと出たのだが)

「うん」

そういって娘はスーツケース一つだけ、もって家を出ていった。
今も、あの時の後ろ姿を想像するだけで、自分の愚かさに胸が熱くなる。

それから数ヶ月、あのときほど祈ったことはない、それしかできないのだ。
ただ、祈るだけではなく、具体的に日にちを決めて祈った。「この日には帰ってくる」
人は実際経験してみないとほとんど理解出来ない所がある。
私は子供によって神の愛がどれほどであり
私がどれほど愛の無い者であるかを知らされる経験となるそんな時間でした。

私たちの祈りを主である神は聞いてくださり、12月25日に娘は帰って来た。
それはお盆と正月とクリスマスが一緒に来た様な日だった。
居なくなった我が子が帰ってきたのだから
そして実はそれからが古い自分との戦いでもありました(幸いな事です)。

主のなさることは、本当に時にかなって美しい。
それを、私は 今日も見せていただいている。




娘が帰ってきて半年くらい過ぎた頃、
娘と同い年で、幼稚園が一緒だった子が家に来ることになった。
その子の父は再婚にも失敗し、母は、別の家庭をもって行き場もない。
娘にメールか電話していたのだろう、私に話が来たので電話で聞くと

「父親に殺される(←個人的記憶です。結構いいお父さんでもあります)。」

私が彼女の親に連絡しての家出
出来ればずっといても良かった。
裏山のタケノコを掘って暮らしていたと聞いた彼女に少しでも良い思いをさせてあげたかった。
私が長野に引っ越してからの12年能登でどの様に暮らしてきたのだろう

その時の私は、とにかくお金が無かった。
勤め人は、大変だが、来月のあてがある。
神はその時私に、務めることは、話されなかったし、
私はローンはしない事を神の前に置いていた。

金銭的には頭で考えてどうみても、もってあと2ヶ月、、
自分の家族を両方の実家に、戻してお願いする事も考えに浮かぶ(私はホームレスになる予定だった)
でもあの子はどうする、、、
今、仕事が無いという事は、=この後お金が入らない事、
悪い思いがどんどん支配してくる。せめて下の娘も中学だけは卒業させてやりたい。
そうすれば、一人でも生きていけるだろう。

「お願い神様(こんな時だけマジ真剣←「日頃からそうしろよ!」という突込みは無しで)」

冷蔵庫を何度も開けてまだ食べるモノは少しある。
ガソスタでは財布の金額を計算して

「10Lでお願いします。(当時セルフは無かった)」

スーパーの買い物に汗が出る。
何度も財布の中とカートに載せたバスケットの中身の金額を計算する、

情けない、、、、

稼ぎのない男=無能な男に見える
子供達は互いに

「もう2ロールしか無いんだから少しで、、」

とトイレの前で長女がペーパーの無駄をしない様にチビに話している。
全ての持ち金合わせて最後の一万円が無くなったら『解散』する気持ちだった。
そんな深刻な時、ある方から電話があった。

「ちょっと、用があるので来て」

何年ぶりだろうか、もう覚えてない。
大工としてその人の家を建てたが、当時私の上司でもあった宣教師とのトラブルでそれっきり
正直、彼らの所に行くのは気が乗らなかった。
どうせ前の様に、役に立たない様な何か物おしつけて、そんな事だ。

次の朝、娘の申し訳ない様な声で必用なお金を持たせたら、
あと残りは1万円になった。

する事もなく私はアポも取らず、その人の家に行った。

『いないならそれで良い、私はとにかく行ったんだから』

そう、自分に言い聞かせたかった、、が、残念ながらいた。
その後、、長ーい-どうでもいい話、変わってないなぁー、この人、、
電話でオレを呼びつけておいて、、この人の神経はどうなっているんだろう、、

「で、今日の用事はなんですか」

「そうだった、あなたにコレを渡す為に呼んだんでした」

差し出された茶封筒、

図書券?、、せめてビール券なら、換金すれば少しは、、
と思って、受け取り中を見ると一万円札が何枚か入っている、、。

「えっ、、これは、、」

顔を見上げると彼女は満面の笑顔で

「実は先月まとまったお金が入り、十分の一を教会に献金しようと思ったが、
主は”まて”と。それでこのお金は何処に行くのかと思っていた。
昨日祈っていたら貴方の顔が浮かんだそれで電話した」

さすがに魂が震えた。
彼女は更に

「ただし、一つだけ条件が有ります。この事は誰にも話さないで、誉れは地上ではいらないから」

まだ心は震えていたまま、受け取り相応しいかわからないけど
とりあえずだけでも『ありがとう』と、言おうとするとそれを察して

「私に言う必用は無い、これは神のお金だから」

それから何年かたって彼女の旦那とその話をした(旦那にも話してなかった)。
彼はそうですかと言った後ポツリとこう話した

「彼女は、一度、この人の事を祈ると決めるとその人の名前をノートに書いて毎日
毎日最後のその日まで、その人の為に欠かさず祈っていました。」

サンキュ 神様に主イエスに従ってくれて、
そしてこんな私の為にも 祈ってくれてありがとう。
その娘は今、長野で結婚して、今ではお母さんをやってます(現在3人)。
いいよな、 貴方は今、直接イエスといる。
約束したけどこうしてブログに書きました。
そして ごめんなさい、ここに書かせてもらいました。
でももう地上には貴方はいないから許してください。
今は彼女の旦那さんも天にいます。

神様、貴方は本当に生きていて今日も約束を守られ豊に与えてくださいます。

私も彼の(神の)舞台にこうして出演させてもらいながら
いつも貴方の書いたストーリーには泣かされてます。



⑤まとめです。

この雲をつかむような世にあって、風に吹きまわされるような日々
完全な家庭は地上には無く、この地の上には永遠の家がない。
イエスキリスト彼が何者であるか。
それは自分を知ることでもあると経験は教えてくれる。

イエスを信じてから22年程(現在28年目?)。
それ以前の人生にもそれなりの満足もあり、
いい家庭を持ち 十分な楽しみもありました。
私が神を必要とする状況は私の知る限り何もありませんでした。
健康で働く喜びもあり 自分の人生に何ら問題も感じてなかった。
私がイエスは何者であるかを知ろうとしたことは、

今思い返しても、それはまるで、心の深いところで何かが私を突き動かした、ようだった。
私が主を信じてから一度もイエスを信じた事を後悔したことは私はない。
ある方の言葉を借りるなら、

「何故もっと早く信じなかったのか、それが唯一の後悔」

うーん、それもあるかもしれないが、全てに主の時があります。
あのタイミングで、あの方法でしか、私はイエスが何者なのか知ることは無かった。
そしてそれが良かったと思っています。

『それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。』聖書、創世記より

この奥義は深い、私は主によってある意味人生で2度目の家出をする事になる。

「とうちゃん、、オレ長野、行くわ。」

その言葉を私に言わせたのは聖霊の力しかない
『勘当』 捨てる父あれば拾う父あり 、それがなければ今の私もない。

私は何度も失敗してきました。
でも、神に従って失敗したときは一度もない
神は私に、バチを当てたり、蹴ったり、私を奈落の底に突き落としたことは一度も無い
神は私を完膚無きまでに打ちのめし、罵った事も無い
逆にそうならないために彼自身が黄泉に下られた、そんな方です。
いつも、どんな時もイエスは私に良いことしかなさらない。

私は、特に主にある家出を応援している。
乱暴な言い方をするならイエスも家出した。
放蕩息子のように全てを与えつくされた。
貴方が本当の父の家に戻るなら、その旅の終わりには父自身が貴方の為に祝宴を用意して待っていてくださる方がいる。

『あなたの将来には望みがある。――主の御告げ。――あなたの子らは自分の国に帰って来る。』聖書


私は家出を奨励している
イエスと共に旅をしよう。そしていつか父の家に帰ろう。
イエスのように、反抗する息子でなく従順な息子として帰ろう。
そこに私の想いも、そこにイエスが建ててくれた私の家もあるのだから。

『見よ。わたしは彼らを北の国から連れ出し、地の果てから彼らを集める。
その中にはめしいも足なえも、妊婦も産婦も共にいる。
彼らは大集団をなして、ここに帰る。』

『彼らは泣きながらやって来る。
わたしは彼らを、慰めながら連れ戻る。
わたしは彼らを、水の流れのほとりに導き、彼らは平らな道を歩いて、つまずかない。
わたしはイスラエル(神の国)の父となろう』聖書

長文、最後まで読んで頂きありがとうございます。
どうぞ末永くご健勝で生きてください。
そして、既に大人になったあなたにお伝えします。

旅に出ましょう。
そして全ての人が、魂の父である神の元に帰りましょう。
そこが 貴方の誠の安住の故郷であり、
そこに あなたの誠の住まいがあります。

5 件のコメント:

  1. 「あなたがたは、地に平和を与えるためにわたしが来たと思っているのですか。そうではありません。あなたがたに言いますが、むしろ、分裂です。」

    このみことばを思い出しました。不完全なものが取り払われて、完全に出会うのだと思います。
    築いてきた平和をある時ちゃぶ台返しすることによって・・真実に出会うのだと思います。

    子供の悲惨な死に出会われた親御さんを報道で知る時、同じ親としてその悲しみが身につまされる事があります。
    なぜ、真実を知らせることができなかったのかと、取り返しのつかない悲しみに心を重ねてしまいます。

    それにしても、電気屋さんの愛深さはお父様のご愛が基礎にあるからなのでしょうね。

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  2. 「あなたがたは幸いです。 喜びなさい。喜びおどりなさい。 天においてあなたがたの報いは大きいのだから。」

    頂きました聖句、その時もそして今も励ましてくれています。
    子煩悩だった父は私の孫たちもそれは可愛がっておりました。
    当時3.4歳だった息子も私と父の「もう二度とこの家の敷居を跨ぐな」というやり取りを聞いていたのか、荷物を取りに家内と戻った時父の膝にちょこんと座り顔を見上げて「もう、この家にきたらだめなが?」って何度も聞いて父は何も言わず涙を名出して居たと母から後で聞きました。
    私が愛深いかはわかりませんが、親の悲しみは、誠の親である天の父の悲しみ

    力足らずではありますが、「真実」を知る(知らせれた)者としての働きはまだ地上にあるのだろと置かれている身を振り返り感じております。
    息子さんのお仕事の事、世的には結構大変ですが、p二人共、ご立派なお心だと拝見しております。

    追記、ところで大した事ではありませんが、私の「新しい墓」へのコメント上手く入ってなかったでしょうか。

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  3. はい。すみませんこちらの問題かも知れませんが、
    入っておりません。
    どうか、もう一度送ってください。
    楽しみにしております。

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  4. 私にも息子にも立派さなど微塵もありませんが、
    キリストを知って居るというバックボーンによって、
    危急の時も静かに立っていることができるみたいです。

    私の立場と息子の立場は違うので・・、
    20年間働いてきた退職金も失うことになるかもしれないのに、
    のんきな親の言葉ですが・・。
    彼は昨日、松阪城でハヤブサを撮ったと嬉しそうでした。
    主のダウンに抱かれているのでしょう。

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  5. いえいえこちらこそちゃんとしなかったのだろうと思います。
    とりあえず先ほどコメント入れさせて頂きました。

    息子さんは鳥も撮るのがお好きなんですね。
    聖書に(エゼキエルだったと思いますが)異邦人、つまり私たちの事を「小鳥」と書かれてあって主は様々なことに例えられて面白いですね。

    鳥の中でも王様は鷲などを代表する猛禽類でしょう。
    小鳥と猛禽類の飛び方の違いは流石、造り主は素晴らしいなと感心しています。
    小さな羽根で必死でバタつかせて飛んでいる小鳥と違い
    猛禽類は、小さなチョウゲンボウでも風に乗って飛ぶのですから
    イヤハヤ必死でやってきた私などは恥ずかしい次第

    やはり以前に鳥の事を書いた事がありました。
    その一つ興味があればお読みください。

    http://dennkiya.blogspot.jp/2010/12/blog-post_15.html

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