2016年6月22日水曜日

ハーレーを選ぶという事②

私がまだ石川の時代だから25年以上前 
当時の我が家の居間に鎮座していたテレビでは東京モーターショーを映していた。
華やかなコンパニオンと共に最新の(そして今ではほとんどガラクタの)車達の前で
故徳大寺 有恒氏がインタビューされていた

「最後にお聞きします。これから車はどうなっていくのでしょうか?」

「わからない、、、でも少なくともこれだけは言えると思うんだよね。
より速く、より快適に、より安全に、より経済的に」

それはまるで預言のようになって来ている


そしてそれに逆らうかの様なメーカーもまだ存在する
その筆頭がハーレーだと言ったら言い過ぎだろうか

「何に乗ってる」と聞かれハーレー乗り同士ならでは伝え方がある

「ナックルのFL]又は「ショベルのFLH]「アイアンのスポスタ」など
エンジンが先にあって、形状説明がそれに続く
それは変わらない事こそ唯一の価値だと考えているからこそ生まれた言い方である。

最もハーレーらしいと言われるウルトラやスポーツスターを初代から最新型まで並べて見て頂きたい。。
そのスタイルは何も変わってない様に思えるだろう
時代に合わせる為に載せるエンジンを変えてきただけの様にすら見える
何故日本の車は定期的にモデルチェンジを繰り返すのか
一言でいえば販売促進の為だ。
今までの車を古臭い過去に追いやる手法である。


車好きな故徳大寺さんはこうも言っていた。

「僕にとって自動車は、自動で動く車では無く、自らが動かす車」

しかし、今や車はどんなに不器用な市民にも扱える家電製品の様で自動運転の足音もかなり近い所に聞こえる。
ひきかえバイクは、乗り手に常にバランス感覚、運動能力、持久力、そして乗り出す勇気が要求される。
天候や物理の法則に対する脆弱性はウォルターダビットソンとビルハーレーが初めて自分達のバイクに跨った1903年とほとんど変わっていない。
その頃アメリカでは250ものバイクメーカーがひしめきあっていたが
彼らの数々の夢と野望は、たちまち打ち砕かれた。
それは風雨氷雪、泥、灼熱、極寒がよほどの技量と胆力をそなえるライダーを除き、利用を制限したからだ。


人生上手くいかない時もある
横殴りの冷たい雨がこれでもか!って叩きつけパ○ツまでグッショリな時もある
灼熱の太陽がジリジリと肌を焦がす時もあるし、冷え切って顔の表情が固定されたままコタツに小一時間うずくまったままの記憶は数知れない
時にはヘルメットが割れる程、アスファルトに叩きつけられる時もあった
だから何だっていうんだ 何を選び何に乗るかその自由だけは誰も奪えない。

2 件のコメント:

  1. はじめまして。というより以前薪ストーブのアドバイスをもらった能登の者です。タイミングを見失いご連絡も出来ないままブログを拝見し続けてしまいました。
    遂にハーレーに行ったのですね。
    おだてる訳ではないのですが、電気屋さんが買ったハーレーぐらいの感じが好きです。
    キャプテンアメリカ号のようになると流石に拒否感が否めません。
    先日、バイク乗りの友人たちと話していた折り、ハーレーの話になり「俺は一台くらい持っててもいいなと思うよ」と発言したところ顔を歪めて拒絶されました(笑)
    そこまで嫌わなくていいじゃん。と言うと、やはりそのファッションや乗り方による文化の違いが受け入れらないようでした。
    確かにそんな側面もあるとは思うのですが、馬の代わりにと設計されたハーレーに跨りドコドコと流すのも良いかなと最近思うのです。
    今後とも宜しくお願いします。

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  2. あらら、久しぶりのコメントありがとうございます。
    私もチョッパーはちょっとすみません、って感じになります。
    くろがねまにあさんもイタ車2台とは豪勢ですね。
    少し前鉄ゴミの集める場所に軽トラに金属ゴミまざってマイクヘイルウッドを降ろしていて思わずもどって買う所でしたが見なかった事にして何とか通り過ぎました。
    やっぱ年齢的に一番乗りたいのは、その頃のモデルですよね。
    そのうち行きますからジャンルは違えど一度走りましょう。

    少なくても読んで下さる方いるならまた書きますか

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