2015年12月25日金曜日

あるブログより、、

 森田雄三さんという演出家の方がいらっしゃっいます。
以前から彼のブログを時々拝見していて、彼はある時「これからは出来るだけ毎日ブログを更新する」と書いてそうなさっています。

http://yuzo-goroku.jugem.jp/

先日の事ですが、、こうコメントさせて頂きました。


『初めてコメントさせて頂きます。
ほとんど毎日しかも内容の濃いことばを残されていて時々読ませて頂いております。

少し前に2015.12.11 Friday
「自己嫌悪」について

で、本来そのページをリンクさせて頂き(それも許可させて只く事もマナーですが)と、思っていたのですが、そこだけのリンクがどうやら出来ない感じでしたので、ブログのアドレスをリンクさせて頂き御赦しがあるなら

「 当然僕にも「好き嫌い」はある。清楚な若い女性は好ましいし、自慢話をする定年退職の爺さんはウザい。で、僕が行ったのは「嫌いなものを褒め」「好みのものをくさす」ということだ。
 見るからに知的で清楚なお嬢さんが、休憩時間に質問に来た。僕はみんなに「この子はケチか、自分を特殊と思っている人です」と説明した。だってこの清楚な女性が質問したいことは、みんなが質問したい事に決まっている内容なのだ。
 僕が大声を張り上げると、会場がシーンとなった。その子の驚き方やみんなの反応で、教授や講師に、個人的に質問するというのは「勉強熱心」で可愛がられるのが通例になっているのだろうという事。「可愛い子」は権威者に好かれる方法を知っているのだ。
 嫌な奴の例を書くと、遅刻してきて、ガタンゴトンと椅子を持ち出す若い男性がいた。僕が話し、参加者が集中して聞いている雰囲気を拒絶したいのだろう。話している僕は苛立つが、苛立つのを彼はねらっているのだろう。自分は「反抗的」と僕に示したいのだろう。
 僕は皆に言う。「見て見て、あれが芝居です。皆に見られているのを知っていて、わざと乱暴ににしているでしょう」。咄嗟に褒めるのだ。皆に注目させると乱暴者は大人しくなる。」

までを(又はその一部でも)コピペさせ頂けないでしょうかと思い、コメントさせて頂いてます。
もちろん、ブログの内容の良し悪しや評価のつもりはなく、個人的には悪義をするつもりもありません。
こちらの説明もまだですので書かせて頂きますが
長野市在住の53才です。生まれは石川県の能登半島です。
取り敢えずブログは
http://dennkiya.blogspot.jp/

最近は文章ほぼないですが、ブログとfBでその部分を使わせて頂く事は可でしょうか。
御検討よろしくお願いします。では
| 電気屋 | 2015/12/23 7:20 PM |  』


そう2日程前にコメントした。
すると非常にお忙しい方だと思うのですが思いもかけず、すぐに丁寧な返信を頂きました。


『電気屋様
 ブログを拝見させていただきました。素敵なブログですね。写真が清潔に感じました。死後の世界を連想しました。人間が写っていないせいかもしれませんが。夏のカンカン照りも冷ややかに感じます。
 こんなことを書くのも、8月23日の東山の茶屋街の写真がありましたよね。遠くに写っている山並みの真ん中に、我々のアトリエがあったのです。それが8月の17日に全焼しました。お盆の送り火の日ですね。
 主に僕が隠れ家のように籠っていた家なのです。一人で長期滞在して、読書や書き物をしていました。実は僕の母親が病気で入院中に帰る家がないのを嘆いていたのに接した妻の清子が、母親の為に造った家でした。「金沢の市街が一望できる」とか「日本海に沈む夕日が差し込んで」と、妻が母に話し、母は「その家に行きたい」「見たい」と言いながら、病院で亡くなってしまいました。
 そのアトリエには「薪ストーブ」があり、とても心地が良かった。あなたのブログにも「薪ストーブ」が写っていて、ついつい色んなことを思い出してしまいました。
 どうぞ、僕が書く「雄三語録ブログ」はどうにでも使ってください。光栄と思います。わざわざお問合せをありがとうございました。 』
それでちょっと森田雄三氏のブログを読んで思わされた事を書かせて頂きます。
森田氏の本文は重複するので割愛しますが、

「嫌いなものを褒め」「好みのものをくさす」

という一文が
以降の私の内側に起きた事と共通点を感じた次第だったからです。
ただ違いはあります。

それを様々な経験と更に先へと、意識してやってみた演出家森田氏と
私の人生の誠の演出家であるイエスキリストの指導で、彼の舞台でヨロヨロとそれを教えられている私という違い

私の場合、全くパウロの様にそれまで価値があると思っていた事が塵芥となり
それまでは、くだらないと思っていたキリストが救い主だと知った事と同じ経験で

27年程前私がキリストと出会い彼を師と仰いだ時から、
世界の見え方が180°変わり
そしてその時私の内側にはいりこんだ神の国の種が、
25年後私の魂と言う硬い殻を破って発芽

ノンクリスチャンがクリスチャンとして生まれる様な経験が
クリスチャンにもあるんだという事が驚きであり感動でした。
その朽ちない種は私の内側で潜み続け、それ以後はクリスチャンとして価値があると思うような事さえ塵に変えてみせてくれた。
つまり今度は世界を変えて見せてくれたのではなく
自分の魂(自分自身なのですが)に対して180°変えて見せたくれたのです。

是非、まだ真のあなたの最高の演出家と出会ってない方が、その出会いを
そして出会い師となれた方には自分の内側で霊が発動するその喜びを感動を得て頂けたらと願っています。


2013年 01月 18日 
ブログ「神の国の種」

http://dennkiya2.exblog.jp/17173565/

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