2010年1月22日金曜日

共有

友達のJさんとクロカンに行ってきた。風もあり、顔も少し痛いくらいの時もありましたが、とても楽しかった。
友達の条件は、何なのか、考えてみる。
一定以上の時間、共にコミニュケーションを取っていること。
知り合い以上の、共有できるモノがあること。
お互いを、認め合い、自由であること。
利害関係と関係が、ないこと。
もちろん、上下の関係や、好きなところが全くないのでは、一緒にいて楽しくない。また、すこし難しいが、この関係は兼用できると、考えている、たとえ上司であっても友達になれることもある。

他にもあるとが思うが、友達は良いものである、一人が良いときはもちろんあるが、
気の合うメンバーで、時間を過ごすことは、それに優る事が多い。
この地上においては、一番の友達は家内である。結婚生活は、夢のような毎日ではない。
「愛は戦いである」とは、言わないが、日常生活にあって、多かれ少なかれトラブルもある。
一人の方が、楽であるには違いが無いと思う。
でも、2人のほうが、楽しいと思う。
あなたは、楽を取るか、楽しいを選ぶか。

実はほとんどの事において、私たちは、そのどちらかを選びつつ生きている。
私に、置き換えてみると、今、私の横にある、プリンターは、楽な方を選んでいる。
楽しいプリンター、それもいいね。でも楽に買えて楽に使える、今はそれだ。
車も、道具として最近は割り切ってきている。
もちろん、納得のいかないモノに乗りたくないが、妥協出来るところは随分、低い。
動けば良いじゃん、的なことも事実です。

では、楽しいを選んでいることは、薪ストーブは楽しい、満足がある、薪を集めるのに苦労はするがそれに変えられない。
バイクはその典型だ、わざわざ古くて、高くて、重くて、扱いにくく、壊れやすい、遅い、でかい、寒い、暑い、濡れる、でもやめれない。
歩くスキーもそれに入る、らくどころか、わざわざ時間を作って運動しに行く、結構高いでも、楽しい
究極の一つに子育てがある、全く楽の、反対側にある。これは、大変な仕事である。
責任も大きく、自分の人生さえも狂わせる可能性が、高い。
ただ、これを打っていて、楽しいから、子育てしているのか?と考えると????

確かに楽しくない事はない、でもそれが理由ではない。
老後とか、自分の成長や、他に変えられない満足や、幸福感、でもそのために子供を育てた覚えはない。
これに関しては深すぎて、私も、わかりません。どなたか、お答えを持っていらっしゃるなら、教えてください。
でも、今日は、たのしかった。また、行こうね J さん!

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