2010年1月21日木曜日

克服するということ


今朝は雨、
この時期に雨が降ることも取り立て驚くことでは無くなったことが少し恐くなる。長野の冬に雨が降った個人的な記憶は長野オリンピックだ。その時は2月。
1月の21日は一年で最も寒い頃で、その時期の雨は、夏の雪のようにふさわしくないと感じる。
お陰で、デッキも洗われ、まるで中禅寺湖か宍道湖の逆さ絵の様に
綺麗に手すりが写っている。
明日は、-5℃くらいにはなるので雪だと思いますが、朝から痛いような寒さがなく、
  「洗車でもするか!」 と言うくらいの温度です。
この世は、良いことばかりではないけれども、逆に見れば、悪いことばかりでもない
真っ白な人間も地上にはいないが、真っ黒な人間もいない。
多少の濃い薄いはあるが、みんな同じ灰色の心を抱えながら生きている。
赤ちゃんの笑顔や、寝顔を見るとき本当に無垢に思いますが、
赤ちゃんには、責められるような、過去が無いこと、又、何も言えない、出来ないのでそう見えるのでしょうね。
教えなくとも、残念ながらそのうちに、綺麗ではない言葉をくちにしたり、わがままな行動をおこしたりする
これを読んでいるあなたは違うかも知れませんが、とにかく私はそうだった。

小さいとき、いじめにあった経験を持つ方は少なくないと思う。
いじめた方より、いじめられた人の方が、時間が経っても覚えていることが多いように思っている。
程度の差こそあれ、子供は、分別のある大人から見たら、知らないだけに、残酷だ。
私より、すごいいじめにあった人は沢山いると思うが、個人的な評価を見れば、かなり上位だと思っている(あくまで、個人的評価です)

いじめも辛くないわけではないが、それよりも相手に対する恨みや、自分の中にある復讐心(それがたとえ自殺という形であったとしても)が、嫌だったわけです。
ボロボロに殴られ「ごめんごめん」と言葉や態度では、ヘコヘコしながら、心の中では
「もうそれくらいで、やめてくらないかな。じゃないと俺どうなるかわかんないよ。頼むから、俺にあんたをころさせないで、まだ俺の人生これからだから」みたいな冷静さ。
自分で自分が怖ろしかったです。

そんな、怖ろしい自分が全くなくなったわけではありませんが、
ありがたいことには、「その時がきたら、今の自分は完全になくなり、自分がも、うっとりするような理想的(それ以上)の自分になれる、希望ある。
自分が復讐したり、恨んだり、ねたんだりしていると、本当に人生楽しくなれません。
そんなことは、神様にまかせて、よく見ると、自分の回りには、素晴らしい出会いや、楽しいこと、美味しいこと、美しいものが、たくさんある、それを見て、手にとって、味わってみる、人生は思っているより短いのだから、無理に自分を追い込まなくとも、刺激をわざわざ作ってそこに行かなくとも、十分すばらしいでなないですか。
さて、今日も楽しみたいと思います。
面倒くさいことや、少しやりたくないことはあるけれども、それも今しか味わえないかも知れないし、
なにより、甘くて、うますぎる物より、少し苦いとか、硬いとか、不味い物のほうが、体に良い事が多いし
あら、不思議、何度か食べていると、何だかそれ無しでは物足りなく感じてくる。
これ、うまいじゃない、これ、好きになれた、
なんだか、初めて自転車に乗れたときのように、昨日まで出来なかった事が出来る喜び
たとえ一年に、ひとつでも味わいたいなと思っています。

あと、いくつ出来るようになれるか、楽しみです。

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